第101話:母上に浮気情報を届けたい息子たちと、それを絶対に通したくない夫
手紙じゃとどかないよねぇ。
パリ、シテ島のフランス王宮。
軍議用の机の上に、上質な羊皮紙が三枚、ずらりと並べられていた。
「母上に知らせる!」
怒髪天を突く勢いで叫んだのは、長男の若ヘンリーである。
羽ペンの先からインクを垂らしながら、
今にも羊皮紙を突き破りそうな勢いで最後の一文を書き終える。
「実の妻を城に閉じ込めておきながら、自分は別の女を寵愛しているなど、
人の道に外れている! 母上にも知る権利がある!」
その横で、リチャードも深く頷いた。
「当然だ。母上が何も知らされずにいるなら、伝えねばならん。
父上が何をしているのか、知らないままでいる必要はない」
兄二人の盛り上がりを前に
ジェフリーだけが、少し冷静だった。
「……母上、もう知っている可能性はありませんか?」
「「知るわけないだろう!」」
兄二人の声が綺麗に重なった。
「父上が情報を止めているんだぞ!」
「母上の耳に余計なことを入れるはずがない!」
「……はいはい」
ジェフリーは肩をすくめた。
だが結局
三兄弟それぞれが、母アリエノール宛てに手紙を書くことになった。
そして。
なぜかその三通すべてを読まされる羽目になった
フランス王ルイ七世は、静かに額を押さえた。
若ヘンリーの手紙。
『母上!
父上は我らを苦しめながら、別の女性を殊のほか寵愛しているとの
噂が広まっております!
母上を城に閉じ込めておきながら、このような振る舞いは断じて許せません!
我々は、父上の横暴に屈しません!』
感情。怒り。勢い。
非常に若ヘンリーらしい。
続いてリチャード。
『母上。
父上についての風聞を聞きました。
ご心痛はいかばかりかと思います。
父上がどのような振る舞いをしようとも、
母上が不当に扱われてよい理由にはなりません。
必ず状況を変えます。どうかお待ちください』
重い。
真面目。
そして、何かを決意している気配が怖い。
最後にジェフリー。
『母上。
父上がウッドストックで親しくしている女性についての噂が、
こちらにも届いております。
どこまで真実かは分かりません。
ただ、この話が広まれば、父上に不満を持つ者たちが増えるかもしれません。
兄上たちは大変怒っています』
「…………」
ルイは三枚の手紙を机に置いた。
同じ話題について書いているはずなのに。
人格が出すぎである。
「……なぜ三人とも、これほど違う手紙になるのだ」
誰に聞くでもなく呟いた。
若ヘンリーは情熱。
リチャードは騎士道。
ジェフリーは状況観察。
同じ父親から生まれたはずなのに、見事なくらい別方向へ育っている。
「とにかく」
ルイは深く息を吐いた。
「届けられるかどうかは分からぬが、アリエノール殿へ向かう者に託してみよう」
「お願いします!」
若ヘンリーが力強く頷いた。
「母上には真実を知っていただかねば!」
ルイは何とも言えない顔をした。
問題は。
その「真実」が、まだ噂の域を出ていないことなのだが。
今の若ヘンリーに言っても聞かないだろう。
そして数日後。
シノン城塞。
城の一室で、王妃宛てに持ち込まれた書状を確認していた書記官が、
一通の封を開いた。
目を通す。
『父上は我らを苦しめながら、別の女性を――』
「……駄目だな」
脇へ置く。
二通目。
『父上についての風聞を聞きました。ご心痛は――』
「これも駄目だ」
同じ場所へ。
三通目。
『父上に不満を持つ者たちが増えるかもしれません――』
「……これはもっと駄目だ」
三通。
全滅。
隣に座っていた別の書記官が、ちらりと手紙の山を見る。
「全部、王妃殿下のご子息からか?」
「ああ」
「何が書いてある」
「家庭の火事に薪をくべる内容だ」
「なるほど」
それだけで通じた。
国王側からは、王妃の心をいたずらに乱すような報せや、
反乱側との自由な連絡は認めないよう厳しく言い渡されている。
まして、夫の女性関係。
息子たちの怒り。
反乱への不満。
全部入り。
通せるはずがない。
その頃、同じシノン城塞の上階。
私は侍女たちをじっと見つめていた。
「……ねえ」
「はい、王妃殿下」
「最近、息子たちから手紙来てない?」
侍女の動きが止まる。
「……今のところは」
「一通も?」
「はい」
「若ヘンリーからも?」
「はい」
「リチャードも?」
「……はい」
「ジェフリーも?」
「はい」
「…………」
私は目を細めた。
怪しい。
ものすごく怪しい。
あの三人が
私が捕まって、
父親と全面衝突して、
しかも愛人疑惑まで出ているこの状況で、
一通も手紙を書いていない?
「そんなわけあるかぁぁぁぁ!!」
テーブルを叩いた。
侍女たちがびくりと肩を揺らす。
「絶対どこかで止めてるでしょう!」
「わ、私どもには何とも……」
「ヘンリーね!?」
返事はない。
返事がないということは、だいたい当たりである。
「いいわ」
私は椅子へ座った。
「向こうから来ないなら、こっちから書く」
「殿下?」
羊皮紙を引き寄せる。
羽ペンを取る。
そして、全力で書いた。
『若ヘンリー、リチャード、ジェフリーへ。
愛人の件はもう知ってる!
侍女の雑談から普通に入ってきたわ!
でもね!
そこに怒る前に、まず戦争をやめなさい!!
愛人問題と国家反乱は別件!
父親の恋愛事情に腹を立てるのは勝手だけど、
それを理由に軍隊を動かすんじゃない!
若ヘンリー!
怒る前に話を聞きなさい!
リチャード!
母上を助けると言って兵を動かそうとするな!
助けに来るなとは言わないけど、軍隊を連れて来るな!
ジェフリー!
父親の女性関係を政治利用しようとするんじゃない!
たぶん考えたでしょう! お母さんには分かるからね!
私は元気!
部屋は暖かい!
ご飯もうまい!
だから全員、今すぐ落ち着いて、親父と話し合いの席につきなさい!
以上!
母より』
「よし!」
書き終えた。
完璧。
母親としての愛情
政治的助言
息子たちへの説教
そして現状報告
すべて入っている。
「これをパリへ」
私は侍女へ手紙を渡した。
「必ずね!」
「……かしこまりました」
侍女は両手で受け取った。
そして
部屋を出た。
階段を下りた。
城内の担当者へ手渡した。
封が確認された。
内容が読まれた。
『愛人の件はもう知ってる!』
「…………」
書記官が目を閉じた。
「知っているのか」
隣の男が顔を上げる。
「何を?」
「例の噂だ」
「……どこから漏れた」
「侍女の雑談らしい」
二人で天井を見た。
情報統制とは。
「それで、何と?」
「戦争をやめろ。父親と話し合え。自分は元気で飯もうまい」
「まともじゃないか」
「ああ」
書記官は頷いた。
「まともなんだが」
もう一度、手紙を見る。
夫の女性関係
息子たちへの直接連絡
反乱を巡る指示
家庭内事情
全部入り
「……通せるか?」
「無理だな」
「だよな」
そっと脇へ置いた。
こうして。
息子から母へ。
三通。
母から息子へ。
一通。
家族の意思疎通に必要な手紙は、すべて城内の机の上で仲良く足止めされた。
そして、パリ。
「……返事が来ない」
若ヘンリーが青ざめていた。
「母上なら、絶対に何か言ってくるはずなのに」
リチャードが拳を握る。
「父上が止めているに決まっている」
「やはり母上は、自由にものを言うことすら許されていないのか……」
若ヘンリーの顔が険しくなる。
「きっと母上は、あの城で一人、父上の裏切りに耐えながら我々の助けを――」
その頃、シノン。
「返事が来ない!」
私は部屋の中を歩き回っていた。
「絶対また変なことやってる!」
侍女たちは黙って見守っている。
「私が『戦争やめろ』って書いたのに返事がないってことは、
あいつら聞く気ないのよ! どうせ今頃、また三人で軍議してる!」
実際には。
読んでいない
届いていない
だが
そんなことを知る術は、双方にない。
息子たちは
『母上は助けを待っている』
と思い込み
母親は
『息子たちは説教を無視して暴走している』
と思い込む
ヘンリー二世による完璧な情報統制は
皮肉にも
プランタジネット家の家族間コミュニケーションを、
これ以上ないほど完璧に破壊していた。
夕暮れのシノン城。
書状を確認していた書記官たちの机には、今日も止められた手紙が積まれていた。
息子たちから母へ、三通
母から息子たちへ、一通
その山を見ながら
一人が、疲れ切った声で呟いた。
「……なあ」
「何だ」
「この一家」
少し間を置く。
「いっそのこと、直接会わせて話をさせた方が早くないか?」
隣の男は黙った。
そして、ゆっくり首を横に振った。
「馬鹿を言え」
「何だよ」
「それをやろうとした結果が」
机の上の手紙を指差す。
「今のこの大反乱だろうが」
「…………」
「あ」
二人は揃って黙った。
それから同時にため息をついた。
プランタジネット家。
今日も話し合いへの道は、果てしなく遠かった。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




