第9話 愛
「向!」
暗い廊下の先。
涙を流しながらAyaが駆け寄ってきた。
「向!」
「よかった……!」
「無事だった……!」
向は立ち尽くした。
Ayaの背後。
伸びる黒い影。
揺れる長い髪。
そして。
八本の脚のようなもの。
「……」
「向?」
Ayaは足を止めた。
「どうしたの?」
「私だよ」
「もう大丈夫だから」
しかし向には違って見えていた。
長い髪。
歪んだ笑顔。
耳元に響く女の声。
「捕まえた」
「向」
「ずうっといっしょだよ」
「永遠に」
「違う……」
向は後ずさる。
「違う……」
「向!」
Ayaは名前を呼ぶ。
「向!」
聖も駆け寄ってきた。
「違う!」
「それはAyaだ!」
「落ち着け!」
しかし向には届かない。
「向」
「愛してる」
「向」
「ずうっといっしょだよ」
「向」
「離さない」
頭の中で声が響く。
Ayaは涙を流していた。
「向!」
「私だよ!」
「向!」
「一人にしないで……」
「向!」
「話さないって言ったでしょ!」
だが向の目には。
愛する人を奪おうとする何かに見えていた。
「返せ……」
涙が溢れる。
「Ayaを返せ……」
足元に転がっていた鎌。
震える手で握る。
「向!!」
聖が叫びは無駄だった。
「やめろ!」
「Ayaだ!」
「向!」
Ayaも泣きながら手を伸ばす。
「向!」
「私だよ!」
「お願い!」
「向!!」
「Ayaを返せぇ!!」
向は叫んだ。
静寂。
響いていた声が止む。
倒れたAya。
胸を押さえながら。
涙を流している。
「……あ」
鎌が床に落ちた。
「Aya……?」
Ayaは苦しそうに息をする。
「向……」
「なんで……?」
「私……だよ……」
向は震えながら膝をつく。
「違う……」
「そんな……」
Ayaは微笑んだ。
「向……」
「泣かないで……」
「私……」
「向のこと……」
「大好き……」
「だから……」
「生きて……」
その手が。
ゆっくりと離れていく。
「Aya?」
「Aya……?」
「なあ……」
「起きろよ……」
返事はない。
向は崩れ落ちる。
「ごめん……」
「ごめん……」
「Aya……」
「ごめん……」
心臓を貫くほどの深い傷、大量の血
向は腹を貫いた気でいた、鎌で胸をえぐりそのまま内蔵を一刀両断していた。
聖は何も言えなかった。
ただ。
泣き叫ぶ親友を見つめることしかできなかった。
その時。
遠くの廊下から。
女の笑い声が聞こえた気がした。
いや。
それすら幻だったのかもしれない。
向はAyaを抱きしめたまま、
初めて理解する。
怪物など最初から存在しなかった。
自分が恐れたもの。
自分が疑ったもの。
そして愛する人を奪ったもの。
それは、
自分自身の心だった。




