第8話 桜
「あなたは……」
「私から奪わないよね?」
血まみれの女は、涙を流していた。
Ayaは声も出せない。
女の長い黒髪。
白い着物。
そして、影だけが蜘蛛のように八本の脚を持っている。
「……誰?」
女は答えない。
ただ悲しそうに笑う。
「私は……桜」
「ずっと待っていたの」
その瞬間。
Ayaの視界が歪んだ。
暗闇。
蝋燭の灯り。
そして。
見知らぬ女の視点。
***
四百年前。
北城。
桜は城下町の娘だった。
美しく、優しい娘。
両親を亡くし、行き場を失ったところを城主・北条冷継に迎えられた。
「怖がることはない」
「ここがお前の家だ」
冷継は優しかった。
夜ごと悪夢に苦しみながらも、桜には穏やかな笑顔を見せてくれた。
「殿」
「お薬を」
「ありがとう、桜」
「お前がいてくれて助かる」
その言葉だけで、桜は幸せだった。
だが。
周囲の者たちは違った。
「城主様を惑わせた女」
「得体の知れぬ娘」
「桜が来てから殿がおかしくなった」
そんな噂が広まっていく。
そして。
冷継の死。
家臣たちは怒り狂った。
「桜が毒を盛った!」
「この女が殿を殺した!」
桜は泣きながら訴える。
「違います!」
「私は何も……!」
しかし誰も信じなかった。
「黙れ!」
「化け物!」
「人殺し!」
髪を掴まれ。
引きずられ。
井戸の前へ連れて行かれる。
「やめて!」
「お願い!」
「私は殿を愛していただけ!」
「愛していたの!」
家臣たちは石を投げた。
「化け物!」
「死ね!」
「殿を返せ!」
桜は泣き叫ぶ。
「違う!」
「違う!」
「私は……」
「私は……!」
誰も耳を貸さなかった。
そして。
ドン。
桜の身体は井戸の底へ落ちた。
真っ暗な闇。
折れた足。
冷たい水。
「助けて……」
「誰か……」
「お願い……」
返事はない。
「怖い……」
「寒い……」
「殿……」
「助けて……」
数日。
いや。
数週間だったのか。
飢え。
渇き。
孤独。
その時。
暗闇の中で。
カサ……
何かが動いた。
無数の蜘蛛。
井戸の壁を埋め尽くすほどの蜘蛛。
桜は泣きながら笑った。
「そう……」
「あなたたちも……」
「一人なの?」
蜘蛛たちは桜の身体を這う。
それでも。
もう怖くなかった。
「寂しいね……」
「みんな一緒……」
「一人じゃない……」
そして。
最後の息と共に。
桜は呟いた。
「どうして……」
「どうして誰も……」
「私を信じてくれなかったの?」
「愛していたのに……」
「愛していたのに……」
「愛していたのに……」
***
「!」
Ayaは気が付く。
目の前。
血まみれの桜。
桜は涙を流していた。
「私は悪くない」
「私は愛していたの」
「なのに……」
「みんな奪っていった」
「だから」
「もう離さない」
「愛する人は」
「永遠に一緒」
その瞬間。
桜の影が動いた。
八本の脚。
そして。
長い髪の奥から。
無数の目が現れる。
「あなたは……」
「奪わないよね?」
Ayaは後ずさる。
「来ないで!」
すると。
遠くから。
「Aya!」
向の声。
「向!」
振り向くAya。
しかし。
再び前を見ると。
桜の姿は消えていた。
畳の上には。
一輪の桜の花と。
一本の白い糸だけが残されていた。




