第2話 北条冷継
今から四百年以上前。
山々に囲まれた北城。
城主・北条冷継は若くして城を継いだ。
武芸に優れ、領民にも慕われた名君。
しかし三十を迎えた頃から、その様子は少しずつ変わり始める。
「殿、朝議のお時間にございます」
家臣が障子を開ける。
冷継は布団の中で震えていた。
「来るな……」
「殿?」
「天井を見るな……」
「女がおる」
家臣が見上げる。
そこには何もない。
「誰もおりませぬ」
「いる!」
冷継は叫ぶ。
「笑っておる!」
「ずっと見ておる!」
家臣たちは顔を見合わせた。
その頃からだった。
城内では奇妙なことが起こり始める。
夜になると聞こえる女の笑い声。
誰もいない廊下を歩く足音。
閉じたはずの障子が勝手に開く。
そして、天井に現れる蜘蛛の糸。
家臣たちは不安を抱き始めていた。
「殿は病なのでは……」
「いや、物の怪に憑かれたのだ」
そんな噂が広まっていく。
だが冷継には、一人だけ心を許せる存在がいた。
桜。
城下から迎えられた美しい女。
「殿、また眠れませんでしたか」
「桜……」
「私がおります」
優しい声。
冷継は安心したように微笑む。
「お前だけだ」
「儂の話を信じてくれるのは」
桜は微笑んだ。
「当然でございます」
「私は殿のお側におります」
「永遠に」
その笑顔に、冷継は気付かなかった。
彼女の背後。
障子に映る影だけが。
まるで蜘蛛の足のように、ゆっくりと揺れていたことに。
──その夜。
冷継は目を覚ます。
部屋は真っ暗だった。
どこからか、カサ……カサ……という音が聞こえる。
「誰だ」
返事はない。
音だけが近付いてくる。
カサ……カサ……
冷継は恐る恐る顔を上げた。
天井。
そこに。
長い黒髪の女が、逆さまになって張り付いていた。
女は笑っていた。
「見つけた」
冷継の悲鳴が北城に響いた。
翌朝。
城中の天井から、白い糸が垂れていた。
そして誰も知らなかった。
その夜。
冷継の部屋を訪れた桜が、
誰もいない部屋で一人、
嬉しそうに笑っていたことを。




