第7話 名前を呼ぶ
本部最上階、総統執務室。
広い窓の向こうに朝の街並みが広がっている。
その景色を背に、神代天音はソファへ深く腰掛けていた。
「で?」
穏やかな声だった。
だが向かいに並ぶ幹部たちの背筋は自然と伸びる。
「救護班への物資申請、また三日止められてるって?」
机上へ置かれた書類を指先で叩き、天音はにこりと笑った。
「誰かな。人命に関わる部署を嫌がらせしてるのは」
室内の空気が凍った。
古参幹部の一人が咳払いをし、天音に物申す。
「総統。申請には順序というものが——」
「あるよ?」
被せるように天音が答えた。
「だから優先順位を変えるんだよ。現場と救護班を最優先にする」
柔らかな口調のまま、視線だけが冷える。
「机に座って判子押してるだけの部署は後回し。問題あるか?特に医療物資が必要時になければ負傷者はどうなる?」
誰も口を開けない。
壁際に立つ橘が静かに目を伏せ、鷹宮は腕を組んだまま薄く笑っていた。
「それから」
天音は新たな書類を持ち上げる。
「救護班周辺の警備、人員増やすぞ。女性隊員も多いのに最近、妙な視線や付きまとい報告が増えている」
その瞬間、橘の目つきが変わった。
「既に候補は選定済みです」
「仕事早いね、橘」
「貴方が遅いだけです」
「ひどいな」
軽口が交わされても、誰も笑わない。
古参幹部が苦々しく眉を寄せた。
「総統、若手ばかり重用し過ぎでは」
「結果出してるぞ、あいつら」
天音は椅子から立ち上がると、窓際まで歩いた。
「椅子にふんぞり返って座ってるだけで国が守れるか?」
振り返った笑顔に、誰も反論できない。
その時だった。
コンコン、と扉が叩かれる。
「失礼します!」
若い隊員が駆け込んできた。
顔色が悪い。
「救護班エリアで騒ぎです! 外部協力業者を名乗る男たちが職員に詰め寄っていて……東雲医官も現場に——」
空気が変わった。
天音の笑みが消える。
橘は既に扉へ向かい、鷹宮は上着を掴んでいた。
そして廊下の向こうでは——
「……どこに手ぇ出してやがる」
低く、底冷えする声が響いた。
蒼真が、そこにいた。
廊下の向こうから響いた低い声に、報告へ来た若い隊員がびくりと肩を揺らした。
蒼真はすぐに救護班エリアへと駆け出した。
天音は、ふっと目を細める。
橘は無言のまま扉を開け放ち、鷹宮と共に先に出ていった。
救護班エリア前。
数人の男たちが通路を塞ぎ、女性職員たちへ声を荒げていた。
「だから確認させろって言ってんだろ!」
「こっちは正式な業者だぞ!」
箱詰めされた医療物資が床へ散らばっている。
怯えた若い女性隊員たちが下がり、その前に麗華が立っていた。
「正式業者なら、事前申請書類と身分証を出して」
冷静な声だった。
「それが確認できない限り、この先へは通さない」
「女の分際で偉そうに——」
男が一歩踏み出した、その瞬間。
その腕を、横から伸びた手が掴んだ。
「……誰が偉そうだって?」
蒼真だった。
男の腕を握る手に力が入る。
みし、と嫌な音が鳴る。
「っ、いてぇ!」
「蒼真」
麗華が名前を呼ぶ。
それだけで蒼真の眉がわずかに動いた。
「……麗華、怪我してねぇな?」
第一声がそれだった。
麗華は呆れたように息をつき、けれど少しだけ口元を緩める。
「してない。だから離して。折る気?」
「……まだ折ってねぇ」
「まだって何」
周囲の救護班員たちがざわつく。
“2人とも名前で呼んだ?”
“神代くんが先に東雲先生の心配した?”
“え、何この空気”
“東雲先生、神代くんと付き合ってるの?
そんな視線など、蒼真には一切入っていない。
男は顔を真っ赤にして叫んだ。
「なんだお前は!」
「お前らをつまみ出す人間だよ」
蒼真が静かに答えた時、背後からさらに低い声が落ちる。
「訂正しろ」
橘だった。
「お前らを“連れていく”人間だ」
その横で鷹宮がにやりと笑う。
「総統命令だ。偽装侵入、威圧行為、業務妨害。まとめてしょっぴく」
男たちの顔色が変わった。
少し遅れて歩いてきた天音は、散らばった物資を見下ろしながらため息をつく。
「まったく」
誰へともなく呟く。
「だから警備強化って言ったのに」
そして麗華を見る。
「怖い思いをさせてすまない」
「いえ、私は平気です」
「だろうね」
天音は麗華へ微笑んだ後、蒼真へ視線を向けた。
「お前は平気じゃなさそうだが」
蒼真は男の腕をまだ掴んだまま、無表情で答える。
「……別に」
「嘘つけ。手ぇ白くなるほど握ってる」
白石の声だった。
いつの間にか蓮、葛城、雨宮まで後ろに揃っている。
蓮は一瞥してため息をついた。
「蒼真、離せ。東雲さんの仕事増やすな」
「……ちっ」
ようやく手を放す蒼真。
男はその場にへたり込み、橘と鷹宮に拘束され、連れて行かれた。
騒ぎが収まり、救護班員たちが片付けを始める。
麗華がしゃがみ、床の物資を拾おうとした時だった。
蒼真が無言で先に拾い、箱へ戻していく。
「……ありがと」
「別に」
「今日それ何回目?」
「知らねぇ」
「素直じゃないね」
麗華が笑う。
蒼真は顔を背けた。
その耳だけが、少し赤かった。
「東雲さん」
葛城の声だ。
「今日から、第一特務遊撃隊のメンバーが交代で救護班の警備に当たることになりました。緊急任務等の際は第二特務遊撃隊が担当にあたります」
そう言うと葛城は1枚の書類を麗華へ手渡した。
書類には当面の間の担当者名とスケジュールが記載されていた。
「こちらの書類に記載のない部署、氏名の人間が警備と偽り、また不法侵入に繋がりそうな危険がある場合はすぐにご報告を」
「分かりました」
麗華は書類の中に蒼真の名前を探してしまう。
……やけに蒼真と蓮のペアの日が多い?
「…なんか、バランス悪くない?」
「ああ、神代と黒瀬は下っ端なんで」
ニコッと葛城が笑う。
「下っ端と言えど、実力は最強の2人ですので、ご安心を」
「まぁ〜神代が希望した回数、もっと多かったけどね」
葛城の影から、白石が現れる。
「さっきもすごい勢いで走ってった」
雨宮も会話に参加し出す。
「むしろ、妙な視線と付き纏いって神代の事なんじゃない?」
白石が蒼真と麗華の顔を見ながらニヤニヤしている。
「なんで俺だよ?!」
必要時以外、ここに来てねぇよ!と物資を拾い続けていた蒼真の声が足元から聞こえてくる。
「蒼真はいつも車で待ってる」
「その情報いるかぁ?!」
どうしてこう、みんな俺を煽るのだろう?
麗華ですら、いらん情報を吹き込み出す…。
“神代くんがいつも車で待ってる?”
“やっぱり付き合ってる?”
救護隊員達がまた、ざわつきだす。
(……付き合ってない…別に好きとか言ってねぇし、麗華も飯友くらいにしか思ってないだろうし……。でも、麗華と居ると安心するんだよな…あ、俺さっき呼び捨てで呼んでた…やべぇ、怒られる)
物資を拾う手を止め蒼真は顔を上げた。
目の前にはいつの間にか麗華がいた。
「蒼真、めんどくさいからさ」
めんどくさい?
何が?
あれ、俺、嫌われた?
「付き合お」
「………ん?」
蒼真の頭脳は麗華の言葉の意味を処理する事が出来なかった。




