第10話 その為に俺らが居る
本部庁舎、午前九時二十分。
いつも通りの夏の終わりかけの朝だった。
各部署は持ち場につき、書類が運ばれ、無線が飛び交う。
救護班では診察準備が進み、第一特務遊撃隊は装備点検を終えようとしていた。
蓮は壁にもたれたまま缶コーヒーを開けた。
その少し離れた場所で、蒼真は無言で無線機のバッテリーを確認していた。
白石がにやにやと近づいてきた。
「神代、今日は彼女から連絡来てないの?」
「…殺すぞ」
「通常運転確認っと」
葛城が呆れたように笑う。
「お前ら朝から元気だな……」
「むしろ、蒼真転がり込んでますよ」
蓮がぽつりと呟いた。
「は?同棲!?」
白石が、お前ついに!と蒼真の頭をぐしゃぐしゃと撫で回す。
「男になったのか」
雨宮まで参加してきた。
「同棲でもないし、麗華の家の方が庁舎に近いんすよ!」
その時だった。
――ビーッ! ビーッ! ビーッ!
庁舎全体に、鋭い警報音が鳴り響いた。
空気が一瞬で凍る。
隊員たちの表情から私語が消えた。
続いて館内放送が流れる。
『緊急警報。市内三区域にて同時多発襲撃発生。武装集団による一般人への攻撃を確認。各戦闘部隊は直ちに出動せよ。救護班は第一級救護体制へ移行』
蓮は缶コーヒーを握り潰し、そのままゴミ箱へ投げ入れた。
「行くぞ」
葛城の声と共に第一特務遊撃隊が動き出す。
蒼真の目から、私情が消えた。
恋人にからかわれていた男の気配は全くない。
「白石は俺と東地区」
「雨宮は隊長と西通り封鎖線へ」
「蓮と蒼真は中央区」
葛城の指示が飛ぶ。
全員が即座に動きそれぞれの車両へと向かう。
その背中に、誰も異論は挟まない。
同じ頃、救護班棟。
麗華は放送を聞いた瞬間、白衣を脱ぎ捨て、救護班の隊服の袖を捲った。
「トリアージタグ全部出して。処置室二つ開放、搬送ルート確保」
「東雲医官、現場要請来てます!」
「行く。搬送車回して」
救護班が一斉に動き出した。
誰より落ち着いた声で指示を飛ばしながら、麗華は一瞬だけ窓の外を見た。
そこには、装備を整え車両へ乗り込む蒼真の姿。
蒼真もまた、救護班棟の方を一度だけ見た。
目が合った――気がした。
次の瞬間、互いに背を向ける。
行く場所がある。
やるべきことがある。
蒼真達の車両が唸りを上げて発進し、
麗華の搬送車も続いた。
本部庁舎の朝は終わった。
ここから先は、戦場だ。
中央区・大通り交差点付近。
車両が急停止するより早く、蒼真と蓮はドアを蹴るように飛び出した。
煙。
割れたガラス。
倒れた信号機。
逃げ惑う人々の悲鳴が、朝の街に不釣り合いなほど響いていた。
「北側に民間人固まってます!」
一般部隊の隊員の声に、蒼真が視線を走らせる。
歩道脇、崩れたシャッター前。
親子連れと高齢者数名が身を寄せ合い、動けずにいた。
その前方には、黒装束の武装集団三名。
「蓮」
「あぁ」
言葉はそれだけで十分だった。
蒼真が地を蹴る。
一人目の懐へ、一瞬で踏み込む。
相手が銃口を向けるより早く、その手首を叩き上げ、肘を砕く。
悲鳴が上がる前に、腹へ膝。
男の体が宙に浮き、アスファルトへ叩きつけられた。
二人目が横から刃物を振るう。
蒼真は半歩だけ下がり、空を切らせる。
その勢いのまま相手の腕を取り、肩越しに投げ飛ばした。
鈍い音。
三人目が逃げるように銃を乱射する。
「伏せろ!!」
蒼真が叫ぶと同時に、乾いた発砲音が一つ。
次の瞬間、武装集団の手元から銃が弾き飛んだ。
蓮の援護射撃だ。
雨宮から射撃訓練をしてもらっているだけあって、精度が段違いにあがっている。
「やるじゃん」
蒼真が口角を上げて呟く。
そのまま三人目へ突っ込み、鳩尾へ拳を叩き込む。
男は白目を剥いて崩れ落ちた。
「蒼真、怪我人!」
「分かってる!」
蒼真はすぐに親子連れの元へ駆け寄った。
泣きじゃくる子どもを抱き上げ、震える母親へ返す。
「もう大丈夫だ」
その声は、さっきまで敵を沈めていた男と同じとは思えないほど静かだった。
「一般部隊は民間人の避難誘導を頼みます!敵殲滅は第一、第二特務遊撃隊が行います!」
蓮が一般部隊へ声を張り上げ指示を出す。
その時だ。
無線が荒れた。
『中央区南通りに爆発。負傷者多数!』
蒼真の表情が変わる。
南通り。
そこは、麗華たち搬送班が向かった区域だった。
蒼真の呼吸が一度だけ浅くなる。
「……蓮」
「あぁ、行くぞ」
この場を第二特務遊撃隊に任せ、二人は再び走り出した。
中央区・南通り臨時救護地点。
搬送車が角を曲がった瞬間、麗華は息を呑んだ。
煙が立ち込め、店舗のガラスは砕け散り、道路には横転した車両。
逃げ遅れた人々の叫び声と、救助を求める声が入り混じっていた。
爆発の熱気が、まだ街に残っている。
「停めて!」
車両が完全に止まる前に、麗華はドアを開けて飛び降りた。
「トリアージ開始!歩ける人はあっちの壁際へ誘導!重症はここに集めて!」
凛と通る声が、混乱した現場を切り裂く。
救護班の隊員たちが即座に散った。
「東雲医官!男性一名、腹部裂傷!」
「こっちへ運んで!圧迫止血、輸液ライン確保!」
「子どもが瓦礫の下に!」
「一般部隊に救助要請!呼吸確認を先に!」
麗華は膝をつき、血に濡れた青年の腹部へ手を当てた。
「聞こえる? 名前は?」
「……た、すけ……」
「助ける。喋らなくていい」
迷いなく止血材を押し込み、横で震える新人隊員へ指示を飛ばす。
「手、代わって。そこを絶対離さないで」
「は、はい!」
「目逸らさない。あなたが今、この人を生かしてる」
新人の顔色が変わる。
その時、別方向から悲鳴が上がった。
「医官!こっち妊婦さんです!」
麗華は立ち上がる。
「この人は搬送第一優先。私は向こう行く!」
額の汗を腕で拭い、走る。
崩れた看板の下で、若い女性が腹を抱えてうずくまっていた。
その傍らで夫らしき男が半泣きで叫んでいる。
「お願いです!妻を……!」
「大丈夫、落ち着いて。何週ですか?」
「30週です……!」
麗華は女性の脈を取り、腹部を確認する。
硬い…。
外傷は軽い。だが顔色が悪く、呼吸も浅い。
「ちょっとごめんなさい」
女性のスカートを捲り女性器からの出血を確認する。
「胎盤早期剥離の可能性!担架!すぐに搬送!」
周囲の隊員が麗華の指示で動いていく。
その瞬間――
遠くで銃声が響いた。
現場の空気が凍る。
「まだ敵が残ってるの……?」
誰かの声。
麗華は顔を上げ、煙の向こうを睨んだ。
救護地点から二本先の路地。
そこはまだ、制圧確認が取れていない区域だった。
無線が鳴る。
『南通り東側路地に逃げ込んだ武装犯一名。一般人複数取り残しの可能性あり』
周囲がざわめく。
隊員の一人が言う。
「危険です!戦闘部隊の到着待ちを――」
麗華は担架へ妊婦を乗せながら、短く言った。
「待ってる人が居るなら私は行く」
その目に迷いはなかった。
「応急キット持って来て。動ける者二名、私と来て」
煙の向こうへ。
まだ助けを待つ誰かの元へ、麗華は走り出した。
煙の残る南通り東側路地。
瓦礫と倒れた看板で道幅は狭まり、奥は薄暗く視界も悪い。
火薬の臭いと焦げた空気が、肺に重く張りついていた。
麗華は応急キットを肩に掛け、足を止めない。
後ろには救護班員二名。
どちらも緊張で顔が強張っている。
「無理だと思ったら戻って。足手まといになる方が危ない」
「……はい!」
短く返事が返る。
その時。
「……た、すけ……」
か細い声。
麗華が即座に振り向く。
路地脇の崩れた店舗入口。
シャッターの下敷きになった中年男性と、その横で泣きじゃくる少女がいた。
「生存者確認!」
麗華は駆け寄り、膝をつく。
「お父さん!起きて!」
少女が震える声で叫ぶ。
男性の額には裂傷。脚部は瓦礫に挟まれ動かない。
呼吸は浅いが意識はある。
「大丈夫、助ける」
麗華は少女の肩へ手を置いた。
「あなたは強い子。少しだけ離れて待ってて」
少女は涙を拭い、小さく頷いた。
「二人で瓦礫持ち上げて。せーので引き抜くわよ」
隊員二名が位置につく。
「せーの!」
重い瓦礫が持ち上がる。
その瞬間――
パンッ!!
乾いた銃声が響いたを
壁に火花が散る。
「伏せて!!」
麗華が少女を抱え込み、地面へ倒れ込む。
路地奥、煙の向こうに黒装束の男が一人。
片腕を押さえながらも拳銃を向けていた。
「さっきの無線の……!」
隊員たちの顔が青ざめる。
男が再び銃口を上げる。
その瞬間、麗華は少女を庇うように覆いかぶさった。
――次弾が来る。
そう思った刹那。
影が一つ、煙を裂いて飛び込んだ。
男の腕が跳ね上がり、銃が宙を舞う。
鈍い打撃音。
続けざまに腹部へ膝。
壁へ叩きつけるような一撃。
武装犯は声もなく崩れ落ちた。
麗華が息を呑む。
立っていたのは、蒼真だった。
肩で息をしながら、ゆっくりと麗華へ振り向く。
「……何してんだ、お前」
蒼真の怒っている声を麗華は初めて聞いた。
蒼真の目には、隠しきれない焦りも滲んでいた。
「無線聞いてねぇのか!!制圧確認が取れてから動け!!」
蒼真が麗華を怒鳴りつけていた。
麗華は抱えていた少女を離し、立ち上がる。
「それじゃ遅い!助けられる命も助けられない!」
蒼真の眉がぴくりと動く。
「その為に俺らが居るんだよ!!」
蒼真が麗華へこんなに感情的に叫ぶのは初めてだった。
「黎明、第一特務遊撃隊 先行突破殲滅の俺がいるんだよ!大人しくお前は後ろで仕事してろ!!」
そこまで叫ぶと蒼真は、ハッとした。
今、俺は麗華になんつー口の利き方を…。
恐る恐る麗華の顔を見る蒼真
「口悪いわね」
麗華は呆れた表情をしている。
守りたい、助けたい気持ちは同じだよね、蒼真。
張り詰めた空気の中で、二人だけがいつもの距離に戻っていた。
だが次の瞬間、蒼真は視線を逸らし、小さく吐き捨てた。
「……無事でよかった」
麗華の表情が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
怒鳴ったのは支配したいからじゃない。
失うのが怖くて、理性が追いつかなかっただけだ。




