第10話 係の向こう側
管理課庶務の朝は、静かに始まる。
書類の束が積まれる。確認して、受理票を付けて、次の係に回す。
それだけだ。
隣の席の先輩職員が、昨日と同じ時間にコーヒーを取りに立った。
窓の外は曇りだった。
特に何もない朝だった。
◇
管理課庶務に異動して3日目の昼、俺は庁本部の五十嵐参事官にメッセージを送った。
『特別入坑申請の処理記録を確認したい。過去2年分。担当者名と処理日時が分かれば十分です』
返信は夕方に来た。
『手配します。2日かかります』
それ以上は何も聞かなかった。
◇
2日後の朝、管理課庶務の内部便に薄いファイルが1冊入っていた。
差出人は庁本部総務局。
受取人は俺の名前。
同僚の誰も気にしなかった。
庶務には様々な部署から書類が来る。
俺はファイルを机の引き出しに入れた。
昼休みに開いた。
特別入坑申請の処理記録。過去2年。担当者名と処理日時の一覧。
17件のうちの残り3件。
申請番号を照合した。
1件目の担当者欄に名前があった。
・一ノ瀬。
2件目を確認した。
・一ノ瀬。
3件目を開いた。
・一ノ瀬。
3件全部、同じ人間が処理していた。
◇
名前だけでは何も言えない。
特別入坑申請係は5人いる。
件数によっては特定の担当者に集中することもある。
俺は一ノ瀬の全処理件数を確認した。
2年間の全件数に占める割合。5人の中では平均的な数字だった。
偶然の一致という可能性は残る。
ファイルには申請書のコピーも入っていた。
依頼した範囲ではなかったが、五十嵐が付けた。
俺は3件のコピーを並べた。
【看破】が動いた。
頭の中で、何かが噛み合う感触があった。
ステープルの跡が、2本ある。
よく見なければ分からない。
紙の左上の隅、数ミリずれた位置にもう1本の穴がある。
一度外して、また留め直した。
申請書を一時的にばらす理由は、多くない。
コピーを取るか、撮影するか。
処理の前か後かはここからは分からない。
だが3件全部に同じ跡がある。
念のため、ファイルに入っていた他のコピーを数件確認した。跡はない。
俺は五十嵐に短い文章を送った。
「一ノ瀬が処理した他の申請書と比較してください。左上のステープル跡が2本ある案件が他にも出るか確認したい」
3時間後に返信が来た。
「一ノ瀬が処理した件を全件確認しました。同じパターンは3件のみです。他の担当者の申請書にはありません」
俺はそれだけ読んで、ファイルを閉じた。
◇
翌日の午後、俺は書類の回送で特別入坑申請係に寄った。
管理課庶務が各係に書類を届けるのは普通の業務だ。
今日は先週処理が完了した書類の控えを戻す日だった。
カウンターに近づくと、若い係員が受け取りに来た。
「一ノ瀬係員はいらっしゃいますか。先月分の控えで確認したい箇所がありまして」
用件は曖昧でよかった。
庶務が各係に確認を取ることはよくある。
「少々お待ちください」
30秒ほどで、男が出てきた。
30代。細身で眼鏡。手に書類を持っていた。
動きに余計なものがない。
「管理課庶務の風見です。先月の控えで少し確認を」
「はい」
俺が手元の書類の束を持ち直したとき、
【看破】が動いた。
視野の端が、一段鮮明になった。
一ノ瀬の目が、俺の顔から書類の束へ、0.5秒だけ流れた。
まだ何の書類かを言っていない。
それなのに視線が書類へ先走った。
俺の言葉ではなく、俺の手の中身を確認しようとした。
「先月14日から18日の分なんですが、1件だけ受付日の記載が読み取りにくくて」
「確認します」
それ以上の変化はなかった。
一ノ瀬は普通に対応して、俺は用件を済ませて戻った。
◇
庶務の席に戻り、俺は五十嵐に短いメッセージを送った。
『一ノ瀬です。確度は高いと思います』
夕方に返信が来た。
『記録の照合と合わせて、絞り込みはできています。ただ、これだけでは証拠になりません』
『現行を押さえる必要があります』
『《白狼の牙》の次の特別入坑申請が出たとき——その処理を追います』
『分かりました』
画面を閉じた。
次の申請が出るタイミングは、玲に聞けば分かるかもしれない。
ただ、それを聞くことが何を意味するかを少し考えた。
俺が動かせる情報と、動かすべき情報は、同じではない。
読んでいただきありがとうございます。
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