第1話 無能窓口
「またお前かよ、風見。書類の隅でも見て満足してろって」
昼前のダンジョン庁第一支部は、今日も騒がしかった。
探索者登録窓口の前には、入域申請を出しに来た探索者たちが列を作っている。
金属鎧の擦れる音、魔道具の起動音、苛立った舌打ち。
現場に出ない職員は役立たず――そんな空気が、この場所にはいつもあった。
その中心で、風見悠真は黙って申請書類を受け取っていた。
「次の方、どうぞ」
淡々とした声に、派手な赤髪の男が鼻で笑う。
「おいおい、よりによって無能窓口かよ。今日はついてねえな」
周囲の探索者がくすくすと笑った。
悠真は何も言い返さない。
言い返したところで、何かが変わるわけではないからだ。
彼はダンジョン庁の受付職員。
現場経験なし、戦闘資格なし、昇進見込みなし。
庁内でも探索者たちからも、「ただの書類処理係」と思われている。
実際、表向きはそうだ。
だが悠真には、一つだけ他人にはないものがあった。
申請書を受け取る。
名前は石堂レン。
登録ランクはC。
所属クランなし。
今日の入域目的は第七層までの素材採取。
同行者二名。
持ち込み装備欄は一般的な近接装備一式、補助魔道具一基。
そこまでは、普通だった。
だが、視線を上げた瞬間、悠真の中で何かが引っかかった。
男の革鎧の肩口には、最近無理に補修した痕がある。
にもかかわらず、申請書には「新調済み」とある。
腰の短剣は刃こぼれしているのに、提出された装備点検票は「問題なし」。
何より、男の右手首から漏れる魔力の流れが、申請ランクCのそれではない。
強い、のではない。
歪んでいる。
無理やり外部から上積みしたような、不自然な膨らみ方だ。
そして決定的なのは、連れの二人だ。
後ろに立つ男たちの足運びと視線が合っていない。
即席の仲間だ。
しかも、悠真が書類をめくるたびに、赤髪の男だけが妙に庁内の監視カメラの位置を気にしている。
――危ない。
頭の奥で、冷たい感覚が走る。
悠真の視界に、いつものように違和感が輪郭を持って浮かび上がった。
【看破】
彼だけがそう呼んでいる感覚だった。
装備の傷、魔力の揺れ、言葉の間、申請の齟齬。
ばらばらの違和感が一つの答えへ繋がる。
目の前の男は、偽装探索者だ。
しかも目的は素材採取ではない。
持ち込み禁止級の強化薬か、あるいは封印指定の魔道具を内部で使うつもりだ。
悠真は申請書を置いた。
「この申請は通せません」
一瞬、空気が止まった。
「……あ?」
赤髪の男のこめかみがぴくりと動く。
「……なんでだ?? あ? 理由は?」
「装備点検票と実際の装備状態が一致していません。同行者との登録履歴にも不整合があります。加えて、持ち込み申請されていない補助魔力の反応があります」
男の目つきが鋭くなる。
「てめえ、何言って――」
「再検査をお願いします」
悠真の声は変わらない。
その瞬間、隣の窓口にいた先輩職員の佐々木が露骨に顔をしかめた。
「おい風見、いい加減にしろ。毎回毎回止めてたら列が詰まるだろ。軽微な記載漏れなら後で――」
「軽微ではありません」
悠真は視線を外さずに言った。
「このまま通せば、中で事故が起きます」
周囲から不満の声が上がる。
「また始まったよ」
「現場も知らねえやつが」
「だから無能窓口なんだよ」
赤髪の男は机を叩いた。
「証拠はあるのかよ!」
その怒声に、フロアの警備担当が近づいてくる。
悠真は短く答えた。
「あります。右脇のホルスター、二重底ですね。そこに未申請の魔道具があります」
男の表情が固まった。
本当に一瞬だった。
その沈黙だけで、十分だった。
警備担当が即座に取り押さえに動く。
男は反射的に振り払おうとしたが、次の瞬間、脇のホルスターから小さな金属筒が床へ転がった。
転がった瞬間、床の結界がびりっと震える。
周囲がざわめいた。
「封圧杭……!?」
「なんでそんなもんを持ち込んでる!」
「第七層で使ったら崩落するぞ!」
警備担当の一人が顔を青くした。
封圧杭。
一部の空間系罠を無理やり固定する違法魔道具だ。
扱いを誤れば、層構造そのものを歪め、小規模な崩落を引き起こすことがある。
過去にも、これで死傷者が出た。
赤髪の男は舌打ちして暴れたが、すぐに追加の警備員に押さえつけられた。
後ろの二人も逃げようとして取り押さえられる。
窓口前は一気に騒然となった。
佐々木が青ざめた顔で、床の魔道具を見ている。
「ま、まさか本当に……」
悠真はただ、提出書類を整え直した。
その時、奥から支部監査課の人間が駆け込んでくる。
「風見! 誰が止めた!?」
「私です」
「……またお前か」
呆れたような、しかし安堵も混じった声だった。
周囲の探索者たちの視線が変わる。
さっきまでの嘲笑は消え、代わりに妙な緊張が混じっていた。
悠真はその空気にも反応しない。
次の申請書を受け取るだけだ。
だが列の後方で、一人だけ静かにその一部始終を見ていた男がいた。
黒いコートに、胸元だけ隠されたクラン章。
ダンジョン庁の職員ではない。
そして一般探索者でもない。
男は目を細め、誰にも聞こえない声で呟いた。
「……書類を見てたんじゃないな。あれは、事故そのものを止めた」
その視線が、まっすぐ悠真へ向いていた。
無能窓口と笑われた男の名前を、初めて値踏みするように。
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