もう無理なヤツ
静寂の中、舞い上った埃が窓から差し込んだ春の陽をキラキラと反射している。
王立高等学園の1年生校舎の二階の隅、普段は全く人の来ることのない物置部屋に放置されたぼろっちい机に突っ伏して、ジョゼ・ランギーニが何やらブツブツつぶやいている。
イエローカードです。ヒロインがそういうことしちゃダメ。
聞き耳を立てる。
「ダメだ……。もう無理……」
……。
お前もかよ……。
ジョゼが、寄ってくる生徒の目を避けながらコソコソと人気のない方に移動しているのを見かけて後をつけたら、見たくないもの見ちゃった。
ゲーム本編どおりのキャラだったと安心してる場合じゃなかった。
美しい銀髪のロングヘアーを持ち、いつも快活な笑顔を絶やさず、イケメンどもを攻略するはずの彼女が、入園2週間にしてこんな姿をさらすとは思ってもみなかった。
まあね、食堂の娘が即席の貴族教育を受けただけで場違いな場所に放り込まれたんだから、そのストレスはわからないわけではない。でも、ヒロインとしてそれは乗り越えてもらわなければ。
がんばれジョゼ!今のは見なかったことにするから。
ここを乗り越えれば4人のイケメンが君を溺愛してくれるのだ。
多少性格に問題はあるかもだけど、アイス丸先生の手によるビジュは作者も絶賛だぞ?
行き過ぎた好奇心を反省し、私がそっと扉の前から離れようとしたとき、ジョゼがバッと顔を上げて叫んだ。
「あー、バイク乗りてえ!納豆食いてえ!」
「え?」
思わず声を出してしまった。
ジョゼがこちらを振り向き、目が合い、私たちはそのまま10秒ほど見つめあった。というか固まった。
「……み、見た?」
ジョゼのシンプルな問いに、私はコクコクと無言でうなずく。
再びの沈黙の後、ジョゼはいきなり土下座した。それはもう、見事なジャンピング土下座だった。
悪役令嬢に引き続きヒロインも土下座かよ。
ただこっちは、バイク、納豆って叫んでたので、エドガーかぶれじゃなく日本由来確定。
想定外。ヒロイン、転生者だったよ!
「お願いします!誰にも言わないでください!何でもしますから‼
私がちゃんとしないと父ちゃん、じゃなくて父がお城クビになっちまうっす」
せっかく「父」って言い直したのに、語尾。
「妹まだちっちゃいんす。血はつながってねーけどオニかわいくて、クビになったらうち貧乏で領地とかねえからオニやべーんす。頼んます、姐さん‼」
あっという間に崩壊した口調にも気づかずパニクって頭を下げまくる姿に、私は冷静さを取り戻し、土下座を続けるヒロインに歩み寄り、顔を上げさせた。
「ジョゼ・ランギーニさん。とりあえず立ちましょうか」
大人しく立ち上がり、すがるような目で私を見るジョゼ。私が田舎男爵令嬢の微笑みを返すと、ビクっと顔をこわばらせ、大きなエメラルド色の瞳に涙がにじんだ。
なにこれ、飼いたい。
私はモフり衝動を押さえて、なるべく優しい声で言う。
「大丈夫、誰にも言わないから」
「……っ、ありがとうございます‼」
再び土下座しそうになるのを押しとどめ、私は言葉を継ぐ。
「で、今から大事なことを言うんだけど、いいかしら?」
「は、はい……」
私は力を込めて言う。
「あるよ?日本人の心の食べ物。食べに来る?」
そう。私は王都で納豆の再現に成功している。
実家を出る前から計画していて、そのために新米といっしょに稲藁を送ってもらったのだ。
作り方は、茹でた大豆を藁で包んで暖かい場所に置いておけくだけ。納豆菌はこの世界にも存在した。
すごく嬉しかったが、同居人の師匠をはじめ侯爵家の人たちにまで酷評された。想定内だけど、アンネッタさんの「家畜の餌以下ですね」には傷ついた。
そして、同志を切望していたらしい私の心は、今、傍観者の禁止事項をあっさり破った。
一瞬ポカンと私を見つめた瞳から、今度はブワっと涙があふれた。
「ミチル姐さん……。会いたかったっすぅううう!」
誰、その姐さん?
美少女に抱き着かれるのは嬉しいけどさ、人違いだから。
「……さーせん、ミチル姐さんじゃなかったんすね。『納豆は日本人の心』って姐さんいっつも言ってたから、姐さんもコッチ来たかと思ったっす。でも、まさかここで地元の人に会えるとは思ってなかったから、オニ嬉しいっす」
泣き止んだジョゼは、今や満面の笑顔だ。
獣人だったら光の速さで尻尾を振っているところだろう。
転生ヒロインは前世名井坂真美と名乗った。享年19才。死因バイク事故。
その話し方には、最早、貴族の品性の欠片もない。
「ジブン、これでも元レディースのサブだったんすよ。実家は牛久で、馬の牧場やってて、今は育成だけっすけど、ひいじいちゃんの時にはダービーで8着になったんす。ナモンっつうんすか? そーいうやつっす。栃木には負けねえっす」
「ナモン?」
「ほら、名前の名に家の門の門っす」
「ああ、わかった……」
わかったのは、名門をナモンと言い、栃木をライバル視する茨城県牛久市の元ヤンであるということだ。
お互い転生者なので遠慮なく前世のことを話せるのはとても気が楽だった。
ジョゼはその後も怒涛のごとく語った。
本能的に前世のことは黙っていたそうで、同郷者の前で溜っていたものが一気に溢れた感じだ。
ゲームはパズルしかやったことがなく、ここが乙女ゲーの世界だとは思ってもいなかったので、そこは黙っておくことにした。
そして話すうちに、私はこの転生ヒロインにあっけなく陥落していた。
パトリツィアの時もそうだったが、私はアホっぽい美少女が大好物なのだ。
かわいくてすぐ懐く。至高の生き物だと思う。
転生元ヤンの平民育ちが、即席の貴族教育だけで学園でやっていけるはずもない。
私はもう、アホの後輩を庇護する先輩の気持ちになっていた。同級生だけど。
作者穂村真琴としても、貴族のはしくれビアンカ・ナンチャーラとしても、この子は私が守らねばって思った。
「そんで納豆の姐さん、納豆いつ食わしてくれるんすか?」
「いつでもいいよ」
「じゃあ今日!」
期待に満ちた視線は糸を引くレベルだ。
「いいよ。
あ、同級生だから姐さんはやめてね」
「タメか! じゃあビアっち!」
「……うん。いいよもうそれで」
というわけで、放課後に合流し師匠と3人で食卓を囲む。
一応ジョゼの護衛さんも声をかけたけど、彼は丁重に断って部屋の隅に控えている。
この頃当たり前のように席に着く、どこぞの侯爵家の護衛メイドにも見習ってほしい。
メニューは焼き魚定食。当然、元日本人ふたりは納豆付きだ。
「うわあ、ほんとに食べてる。あははは!」
空き教室で別れる前に、家には偽ロリの同居人がいることとお嬢様モードを崩さないことを念押ししたため、ジョゼもはじめは貴族然としていた。
だが、日本人の心を前にしてそれはあっけなく崩れた。
今は泣きながら猛烈な勢いで納豆ご飯をかきこんでいる。まあそうなるよね。
鼻の頭に二粒。師匠が大笑いしている。
「ほら、慣れれば泣くほど美味しいんですよ?食べてみます?」
「無理。でも面白いから見てる。
ビアンカちゃん、良かったじゃん。変態仲間ができて」
「失礼な!」
泣くやら笑うやら怒るやら、大騒ぎの夕食が終わると、デザートタイムだ。
デザートは芋ようかん。また泣いた。
泣きながら腐った豆と芋を食う美少女は、珍生物として師匠に気に入られた。
かぶっていた猫はとっくに逃げた。
「ジョゼちゃんはもうウチでは素のままでいていいよ。
学園じゃ気が詰まるでしょ?
困ったことがあったらラモナちゃんが相談に乗るよ?」
ジョゼは感激して涙ぐんだ。
「頼んます、ちっちゃい姐さん!」




