第62話 日本の危機
「おまえたちが日本を救うだって?」
俺は思わず声を出した。
「ずいぶん大きく出たじゃないか。日本の危機ってのはいったい何のことだ? おまえたちは龍の卵を何に使おうってんだ?」
「孝一郎さんは日曜日のわたくしの就任会見を見ていただけましたよね?」
「ああ、テレビで見たよ」
「そのときに申し上げたとおり、日本の危機とはエネルギー危機のことです。資源危機、と言い換えてもいいかもしれません」
「資源危機?」
聞き慣れない言葉だ。
「はい。日本は石油や天然ガスなどのエネルギー資源はもとより、鉄鋼や非鉄金属、それこそレアメタルなども含む原材料資源のほとんどを輸入に頼っています。さらには大豆や小麦など、米以外の主食作物も、その大半を輸入に頼っています。極端な言い方をするならば、日本という国は、外国に頼らなければ何も作り出すことができず、国民全員が食べていくことすらできない国なのです。日本国民の命運は事実上、資源保有国が握っていると言っても過言ではありません。かつて安くて良質な労働力をもって、安くて品質の良い家電製品や自動車を世界に輸出していた日本の経済的優位性は過去のものです。いまや高いエネルギーと高い原材料を輸入して、高い賃金の労働者が必死に作っているメイドインジャパン製品は、国際社会での競争力を失いつつあります。食料資源については、いまの大原政権が国内生産、国内消費を軸とした『生活ミライ プロジェクト』によって、安全な農作物づくりと流通の仕組みを模索していて、この町での実験が効果を上げているように、近い将来、一定の成果が得られるかもしれません。しかし、エネルギー資源や金属などの原材料についてはどうにもなりません。『無いものは無い』のです。『無から有』は生み出せません。しかし――」
神々廻優花はそこでいったん言葉を区切ると芳乃の目をじっと見つめる。
「わたしたちは発見したのです。龍の卵という膨大なエネルギー資源を」
「エネルギー資源だって? それはつまり原子力発電の核燃料みたいなものとして使う、ってことのか?」
「核燃料とは違います。これもわたくしの就任会見で申し上げましたが、北総エナジーは龍の卵を利用して、完全にクリーンなエネルギーを生み出し、日本の全家庭、全企業に無料で供給する計画を持っています。」
そうだ。たしかにあの会見で神々廻優花はそのようなことを言っていた。しかし……何かが引っかかる。
ここで、この話し合いの席で初めて圭吾さんが発言した。
「すみません。わたしからもいくつか質問させていただいてもよろしいでしょうか?」
さすが圭吾さん。落ち着いた話し方も表情も大人だな。イケメンだし。
「もちろん。なんでも聞いてください」
神々廻優花も穏やかな表情で答える。
「ありがとうございます。 ではまず第1に、なぜ何十兆円もの巨費を投じてエネルギーを無料で配るのですか?」
「そうですね。まず、わたしたちはエネルギーを売って利益を得ようと考えているわけではありません。このクリーンエネルギープロジェクトの最も重要な目的は、日本をエネルギー危機から救うことです。日本はいま差し迫っているエネルギー問題を解決しない限り、すべての国内産業は遠からず衰退し破たんします。しかし逆にエネルギー危機問題を速やかに解決できれば、日本の産業は国際競争力を取り戻し、かつてない規模の発展をするでしょう。 それは日本国内のエネルギー関連事業の基盤を支える我々北総エナジーグループにとっても大きな利益に直結することと考えているのです」
「なるほど。長い目で日本全体の利益を考えている、ということですね。わかりました。では二つ目の質問です。これはごく素朴な疑問なのですが、なぜレアメタルとしての価値が16兆円ほどと思われる龍の卵に30兆円を提示したのですか?」
「もちろん16兆円で売っていただけるならそれに越したことはありません。しかし先ほどから千堂さんもおっしゃっているように、金額の多寡で交渉できる問題とは思っておりません。ですからわたしたちは無駄な駆け引きをせず、ストレートに、いま会社がすぐに用意できる最高金額を申し上げたのです。もし金銭での交渉に応じていただけるなら、わたしたちは30兆円以上の金額でも応じる用意があります。ただしその場合は何年かに分けてのお支払いになるかとは思いますが」
「なるほど。理解しました」
圭吾さんは落ち着いた表情で淡々と話をすすめる。
「それでは三つ目の質問です。あなたがたはどうして石室山を買いたいのですか?」
「え?」
神々廻優花はちょっと驚いた顔で圭吾さんを見た。
「それは……いま申し上げたとおり日本のエネルギー危機を――」
「そうではなく」
圭吾さんはやや強い口調で神々廻優花の話を遮った。
「あなたがたが必要としているのは石室山ではなく龍の卵ですよね? もちろん龍の卵は千堂家にとっても吉鷹村にとっても神聖で大切なものです。しかし、仮に石室山に龍の卵が無かったとしても、石室山そのものも、とても神聖で特別な場所なのです。先ほどから話を聞いていると、なんとなく石室山に固執しているように思えます。たとえば龍の卵だけを買い取りたい、とか、御社のクリーンエネルギープロジェクトに必要な分だけ譲り受けたい、という考えは無いのでしょうか?」
「その件についてはわたくしがお答えします」
橘常務はそう言って小さく手を上げた。
「神々廻がCEOに就任する以前から、北総エナジーグループは今回のクリーンエネルギープロジェクトに必要不可欠なレアメタルを全社を挙げて探し続けてきました。それこそ人工衛星を打ち上げて地球の全表面をスキャンしてまで徹底的に探したのです。しかし、我々が必要とするレアメタルがこれほど大量に存在するのは、全地球上でも石室山だけなのです。伝説的な文献によれば、過去には龍の卵の一部が山の中から地上に運び出されたことがあるようですがそれらはすべて爆発あるいは燃焼してしまい現在は残っていません。総合的に考えて、龍の卵は化学的に非常に不安定な物質で、安置されている場所から移動することが非常に難しいのではないかという考えに至りました。また世界中でここにしか存在しない龍の卵は、石室山の地下だからこそ安定して存在しうる、何らかの地理的要因があるのかもしれない、とも考えられています。このあたりはまだ確証の得られないところではありますが、我々はできれば龍の卵を石室山の地下に安定した状態で保管したまま利用したいと考えているのです」
「つまり石室山にエネルギー供給プラントのようなものを作るということですか?」
圭吾さんは橘常務に聞いた。
「それが一番好ましいと考えています」
橘常務が答えた。
「ますます話にならない」
芳乃が不機嫌な声を投げかける。
「いったい神聖な石室山をなんだと思っているのだ。山を掘り返そうなど、言語道断だ」
芳乃はそう言うと目を閉じて腕を組んだ。
一瞬、冷たい沈黙が部屋を支配する。
「千堂さん」
神々廻優花が芳乃に問いかけた。
「これは日本という国の将来と、そしておそらくは世界の未来をも変革するための話し合いなのです。このままでは日本の産業はことごとく破たんします。そして世界は完全にクリーンな次世代のエネルギーを必要としています。千堂さん。あなた方が千年以上も命がけで守ってきたものは、日本と世界の未来を支え、地球を守るための資源なのです。それを我々に託してはいただけませんか? いま、あなたの決断が世界を救うのです」
そう言うと神々廻優花は真剣なまなざしで芳乃の目をじっと見た。
芳乃は何も答えない。表情はかたくなで、北総エナジー側の話に関してはほとんど聞く耳を持たない、という態度だ。
しかしもし、神々廻優花や橘常務が言っていることが本当だとしたら……。龍の卵が日本や世界を救う切り札だとしたら……。今日のこの話し合いはとんでもなく重たい意義を持っているということになる。
いま目の前にいる日本屈指の巨大企業、北総エナジーのトップである中学生の女の子と、千三百年ものあいだ、代々石室山と龍の卵を守ってきた松虫姫の末裔が、世界の運命を握っているのかもしれない。そう考えるとさすがにこのまま話し合いを平行線のまま終わらせてはいけないような気がする。
「なあ、芳乃」
俺は芳乃に声をかけた。
「なんだ、孝一郎」
芳乃は腕を組んだまま薄く目を開いて俺を見る。
「すくなくとも俺は優花や橘常務が嘘を言っているようには思えない。もちろん石室山を売ることはできないというお前の気持ちはよくわかる。でももう少しこの話は真剣に考えたほうがいいんじゃないか? 龍の卵が本当に世界の未来を変えるような資源なのだとしたら、それを有効に使うことを、芳乃のご先祖様たちも許してくれるんじゃないのか?」
芳乃はじっと目を閉じて何も答えない。
会議室を重たい沈黙が支配した。




