第三十九話 じゃじゃ馬
メフィストは勿体ぶってうなずいた後、こちらの腰へと手を伸ばす。
という手はずだったのに、手の位置が、下過ぎやしませんかね。
──ちょっと、あんた!
小声でメフィストへがなるが、向こうはしれっとしたもんだ。
──いいじゃねぇか。減るもんじゃねぇし。
──気持ち的に減るよ、純潔が!
──いい年こいて、何言ってんだい。そもそも、てめぇは今「アタシぃ、ノボル君はタイプじゃないっていうかぁ、タカシ君の方がぁ、お金持ってるしぃ」ってぇ具合の、性悪女の役だろ?
──それはそうですが……
──んじゃ、ケツ触ったぐらいで、騒ぐもんじゃあねぇよな?
調子のいいことをほざきながら、尻に回された手が、撫でるように動いた。
──お、予想以上の感触。柔らけぇじゃ
「ひっ……きゃあぁぁーっ!」
反射的に悲鳴が出た。
許してくれ。男性とのお付き合い経験はほぼ皆無なんだ。
その意味が分からず飛び跳ねたエウリノームと、予想外の反応に、肩をびくつかせるメフィスト。
「おまっ、ケツぐらいでそこまで……!」
「あんた最低!」
体を捻り、左手で掌底。ラッキースケベ野郎のみぞおちへ、クリーンヒットだ。
むせこみ、メフィストは膝から崩れ落ちた。
ポカン、と呆けているエウリノームの表情が、やがてしたり顔になる。
「なんだ、驚いた。私を揺さぶるための、演技でしたか」
「あんたが好みじゃないのは本当だ、ボケ!」
もう、破れかぶれだ。先ほどのペットボトルを掴み、投げる。
暗がりでなければ、それが妙に膨張していることにも、気づいただろう。
しかしあいにく消灯後の病院では、そこまでの目視は難しい。彼も平然とそれを受け止めて、
ドゴォォン!
思った以上の重低音と共に、ペットボトルが破裂、というよりも爆発した。
手持ちしていたエウリノームは、当然、その勢いで弾き飛ぶ。疲労困憊であることも災いしたのか、ごちん、と後頭部をぶつけていた。
ペットボトルの中に詰め込んでいたのは、ドライアイスである。
密閉下で気体となり、体積が膨れ上がっての爆発だ。
もちろんこんな手製爆弾で、殺し屋を戦闘不能にできるとは思っていない。すかさず彼の間合いへ飛び込み、ところどころ肉がめくれあがっている両手を左手で掴む。
電気手甲の一撃を、送り込んだ。
「しぎっ!」
上半身を起こそうとしていたエウリノームが、短く叫んでのた打ち回る。
気絶する程の威力は期待できないが、しばらくは両手がしびれていることだろう。
ややあって、ようやく身を起こしたエウリノーム。しかし続く肘打ちは、繰り出される前に脱力した。
「このっ……なんて、じゃじゃ馬なんだ!」
見込み通り、変質を試みる両手は、不安定に形を震わせ、やがてただの腕に戻った。
忌々しげに、エウリノームがこちらをにらむ。その両目に宿る殺意は、むしろ、先ほどまでの情熱的な眼差しよりも心地いい。
両手を封じられた彼は、長身を生かした蹴りに切り替えた。飛び退ってかわそうとするが、こちらも同じく手負いの身。いや、もっと酷い有様だ。
これまでの大騒ぎのおかげで、体が指示を受け付けなくなっていた。避けるどころか、直撃に近い状態で蹴りを受け止める。それも、傷のある右肩で。
「ぐぅっ!」
可愛げのない苦痛の声を上げながら、辛うじて間合いを死守する。
容赦のなさが、正に現役殺し屋だ。
だが現役といえど、冷静さを軽んじては、勝てる勝負も負けるというもの。
「私をもてあそんで頂いたお礼に、たっぷり、なぶってなぶってなぶって、体中を蹂躙して差し上げます! そして足先からゆっくりと切り刻んで、私の怒りを魂にまで刻み付けましょう!」
彼は高笑いしながら、私しか見ていなかった。恋は盲目、とはよく言ったものだ。
だからあっさりと、メフィストに背後を取られるのだ。
ついでに、首へと腕を回され、がっちりホールドされる。首の真下に肘が固定された、見事なフォームだ。
「殺し屋なら、頭に血ぃ昇らせるもんじゃあねぇぜ?」
「ひぎゅんっ」
といった声を上げ、最後はあっけなく、エウリノームは落ちた。
失神した体を放り投げ、今度はメフィストが、こちらをにらむ。
「いってぇだろ、この女ゼパール! 何で俺まで殴ってんだよコラ!」
本来ならば、エウリノームを精神的に揺さぶる→さり気なくペットボトルを転がす→エウリノームの足元で爆発、彼びっくり→その隙に電気手甲で変質を妨害→メフィストがすかさずとどめ、という流れだったのだ。
自分でメフィストをのした結果、己が痛い思いをしたのだから、正に自業自得である。
「だって、お、お尻撫でるから、手が出たんじゃない!」
そのため、思わず言い訳がましい口調になる。
「ケツぐらいで、いちいちわめいてんじゃねぇ……って、あー」
不意に額に手を当て、しげしげとこちらを眺めた。
そして大仰に天を仰ぐ。
「そっか、お前ぇ……見た目の割に、ネンネなオボコちゃんだったんだなぁ。そりゃあ、悲鳴上げちまうな。悪ぃ」
気遣うような口調が、余計に頬を赤くした。
「いっ、いちいち言わないでよ!」
こちらの金切声に、むしろ彼はきょとん、となる。
「何怒ってんだい? 別にいいじゃねぇか、今どき身持ちがいいってぇか……」
メフィストが弁解出来たのも、ここまで。
「だから、言わないでって、言ってんじゃん……もぅっ……うっ、うわあぁーん!」
駄々っ子のような泣き声に、彼がのけぞる。
「はぁ? なんで号泣するんだよ?」
「あんたのせいでしょー!」
いい年して、座り込んで泣き出してしまった。
「いや、俺ぁ、別にバカにしたとか、そういうワケじゃねぇからさ? な?」
「もう喋んないでよ! ばかぁ!」
これでは、どちらが年上なのやら。
思い返すと、情けなくなる。
また、ペットボトルの爆発音を聞いて駆けつけた警備員に、エウリノームともどもメフィストを「痴漢」として突き出そうとしたのも、軽率だったかもしれない。




