第三十八話 タートルズ
「何してるんだよ、お前ら!」
出ると、有事と察したのか、松葉杖で立ち上がっているエリオが英語で怒鳴った。
「エウリのアホが来やがった!」
「私たちで引きつけるんで、護衛の方と一緒に逃げて下さい!」
同じ勢いで怒鳴り返すと、すぐさま、浴室から出てくる殺意が。
エリオも剣呑な表情になる。
「ちっ、女一人にしつこいヤツだ。誰に似たんだよ」
「あぁ? お前ぇじゃねぇのか?」
「オレは、女性全てを愛している!」
調子のいいことをわめきながら胸元から銃を取り出すエリオを、二人で支えて部屋を飛び出す。入り口を守るように仁王立ちをしていた、マッチョな男たちに彼を抱えさせる。
そしてメフィストと、照明の落ちた廊下を走った。
しかし、走るたびに、右手へ振動が伝わり、引きつるように痛い。怪我の治癒に体力を割いているのか、四肢全ての動きがいまいちだ。
駄目だ、彼の足を引っ張ってしまう。思わずうなだれ、歯噛みした。
「……痛ぇなら、さっさとそう言えってんだよ」
頭頂部へいらついた声をぶつけて来ると同時に、メフィストもしゃがみこみ、私の左脇の下に自分の首を通した。
「よっ」
軽快な掛け声一つ、そのまま肩の上に抱えられる。
「ぅわぁっ」
「色気ねぇなぁ。てめぇで歩くより、まだマシだろ?」
そりゃ、そうですが……
「あの……私、バ、バスタオルが……服も着てない……」
「細けぇこたぁ、気にすんな!」
「大事だよ!」
むき出しの太股を支えられ、おそらく真っ赤な顔で焦る私を無視して、メフィストが走った。たしかに、自分で動くよりも安定感もあり、楽だ。おまけに俊敏である。
「それにしても、エウリノームが来てるって、よく分かったね」
羞恥心を封じ込め、疑問を口にする。
返って来た答えは、簡潔なものだった。
「すげぇ、ヤな予感がしてよ。お前ぇになんかあるんじゃないかって」
「虫の知らせ、みたいな?」
多分な、と軽い答えが返って来る。
以心伝心というわけでもないだろうが、極限の状況下が生存本能を共鳴させたのだろうか。
そんなオカルトじみた発想によって、一つのひらめきが瞬いた。
「ひょっとして、輸血の副次効果だったり?」
ビーストの血を分け与えられたのだ。何があっても不思議ではない、かもしれない。
「んー、どうだろな。俺にも分かんねえ」
「だよね」
いずれにせよ、こうして最初の死地は乗り切ったのだ。良しとしよう。
というか、この状況で複数の事柄を深く考えるのは、無理だ。
廊下の先には、円陣を組むソファーのコロニーがあった。入院患者と、見舞いに来た人々が団らんする、ロビーだ。
メフィストはソファーを避けたりしない。
ソファーの背の上に飛び乗り、次は一つ飛び越え、最短距離を突っ走る。続いて見えた階段も、律儀に一段ずつ上らない。
壁を蹴り、手すりから手すりへと飛び移り、どんどん上へと向かっている。
「あんたって、まるで忍者ね」
「まぁ、忍者に憧れたからコッチに来たんだけどな」
照れくさそうに、メフィストは鼻を鳴らす。
「奈半利さんから、聞いた。時代劇好きなんだって?」
「おぅ。あと、あれだ、タートルズな!」
「そっか」
『ミュータントタートルズ』はアメリカのアニメだよ、とは不憫なので言えなかった。
メフィストは上階に設置されていたカフェブースも、丸テーブルを飛び越え、カウンターを踏み台にして、ぐんぐん進んでいく。
「お、ちょい待ち!」
軽快な足取りが、不意に止まった。彼の視界の隅に入り込んだのは、柵で囲われている売店。
店舗面積と品揃えから察するに、さぞ入院患者および、来院者から重宝されていることだろう。
人を手近なテーブルの上へ残し、メフィストは柵を難なく飛び越え、無人の売店に侵入した。
目をこらしてよく見れば、入院患者用の寝巻も売っている。
なんだ、意外に気が利くのか。
と、こちらが勝手に感謝していると、彼は寝巻になど目もくれず、お菓子コーナーを物色している。
「何してんだ、あんた」
不覚にも低くなった声に、メフィストが振り返った。暗いのでよく見えないが、面倒くさそうな表情なのは確かだ。
「何って、腹減ってっから、ちょいと」
「泥棒でしょ、ソレ」
「仕方ねぇだろ? 腹が減っちゃぁ戦は出来ねぇって言うじゃねぇか。本当は米が良かったんだけど……さすがに閉店後じゃあ、置いてねぇしなぁ」
後半は独り言である。
「逃げてる途中なんだから、拝借するにしても、さっさと決めなさいよ! あと、寝巻と水も取って!」
「おまっ、声でけぇよ! しかもてめぇの方が、パクる金額デケぇじゃねぇか」
無視してテーブルを飛び降り、柵を乗り越えようとすると、
「あんまり足上げると、バスタオルの中、見えちまうぜ?」
ニヤニヤと、忠告が入った。慌てて足を降ろす。
にらみつけるとメフィストは、わざとらしく息を吐きながら、柵を飛び越え、私を再度抱えて中へ入り直した。
「別に、外で待ってりゃあいいのによ」
「もう一つ、探し物があるの」
浴衣に似た寝巻を受け取り、素早くまとう。次いでミネラルウォーターの入ったペットボトルを開けながら、レジ横の保冷ボックスを開ける。金目のものでもないので、やはり鍵はついていない。
中をのぞけば……あった、あった。
にんまりと笑い、水を半分程度飲み干す。
「おいおい、何探してんだよ? なぁ、何するんだよ?」
探していた物を水量が半分になったペットボトルへ詰めていると、後ろからちょこまかと覗き込まれる。
こういう仕草をしていると、年相応に見えるものだ。
「はいはい。教えて上げるから、ちょっと大人しくしなさい」
かいつまんで、意図と作戦を説明する。
私の簡素な説明に、赤い瞳が丸くなった。
「へぇ……お前ぇ、よくそんな事知ってんなぁ」
「ニュースでやってたの。夏場、バカがよくコレして、怪我してるって。あんたもしちゃ駄目だよ?」
「するわけねぇだろ!」
「いやぁ、あんたってちょっと浅はかっていうか、短慮なとこあるし」
「ねぇよ! お前ぇにだけは、短慮なんざ言われたくねぇ!」
メフィストのむくれ顔を観察していると、かすかな足音が聞こえた。
しかし想像しているものよりも、それは愚鈍な足取りだった。
荒れた呼吸音と共に、ゆっくり近づいてくる。
売店の陰から覗き見れば、近づいてくるのは長い白銀を、月明かりにきらめかせる人影。
エウリノームに間違いないようだ。
「でも、凄い息荒れてない?」
「あいつ、意外に持久力ねぇんだよな」
殺し屋として、致命的な欠点なのでは……と思いつつ、二人で売店を飛び出た。
膝に手を突き、軽くむせていたエウリノームが、こちらの気配に慌てて顔を上げた。
「はぁっ……ふふふ、探し、ましたよ……ごほっ」
取り澄ました笑顔が、妙に痛々しい。
しかし、向こうに体力的余裕がない今こそ、勝機だ。
「あんたも、相当しつこいですね」
出来るだけ、冷やかな声を出す。
「当たり前です。理想の女性を見つけたのですから……地の果てまで、私は追いますよ」
乱れていた髪をかき上げ、ついでに汗を拭って、会心の笑み。
これだけ綺麗な顔だ。きっと彼は、女性に好かれ続けた人生を送って来たのだろう。
「それって、ストーカーじゃないですか? 気持ち悪いですよ」
だからこそ、こちらの辛辣な投げかけに、笑顔が瞬く間に凍った。拒絶の台詞に慣れていない、という目論み通りの反応だ。
躊躇なく、畳み掛ける。
「言い忘れてましたが、私、あなたみたいな人はタイプじゃないんです。というか、生理的に無理で」
言いつつ、わざとらしく、メフィストに寄り添う。
その台詞と、仕草に、エウリノームは瞠目した。




