第三十七話 お姫様
結局、エリオとの同室は、病院側の安全を守るためにも解消不可、ということらしい。
ついでにメフィストも、私とエリオの壁役として寝食を共にすることに。
「本当、居心地悪いなぁ」
「しつけぇな。いつまでもグチグチ言ってんじゃねぇよ」
「だって、お風呂だってこうやって、音筒抜けだしさ」
「誰もてめぇの入浴シーンなんざ、興味ねぇよ!」
じゃあなんで、いちいち返事するのさ、とは訊き返さずにいてあげた。
看護師に頼み込み、包帯の上に防水テープをグルグル巻きにした上での、入浴を許可された。
浴室は室内に設置されてある、ユニットバス程度の大きさのものだが、十分である。
ちなみにトイレも室内にあるのだが、廊下にある、共用トイレの使用も許可してもらえた。トイレまで男どもの間近でしろ、と言われれば、さすがに脱走したかもしれない。
「あのさ、メフィスト?」
首回りの泡を流しながら、声を張る。実質片腕での入浴であるため、色々とおぼつかない。
「あんだよ?」
案の定、すぐ返事があった。
「さっき、私が寝てる時さ、エリオさんと何か話してたよね?」
「あ? お、おぅ」
なんだ、キレが悪いな。
前髪を後ろへ撫で付け、左手でどうにか石鹸を泡立て、顔へ塗りたくる。
「あんたたちって、仲いいよね? 裏切った・裏切られたの関係なのに」
「俺の教育係がエリオの兄貴だったからな。なんだかんだで甘ぇんだよ、あいつ」
遠くから「聞こえてるぞ」と声がして、つい笑ってしまう。
「あと、そうそう。映画の話してなかった? メトロポリス、だっけ?」
返って来たのは沈黙。何故だ。
「ねぇ、それって面白いの? 入院中って暇だし、面白いなら見たいんだけど」
「あー……、大して面白くねぇなぁ」
「あら、そう」
洗顔も終え、こっそり持ち込んでいたウィッカで、「メトロポリス」と検索する。
どうやら百五十年近く前の、SF映画らしい。そんな時代から映画が存在したことに、まず驚く。
また、メフィストが言いよどんだので、ピンク色な映画なのかと邪推したことを申し訳なく思う。
SF映画至上、最も美しいアンドロイドの登場した作品、との解説があった。
そしてストーリーは至極単純。ディストピアを舞台とし、そこを支配する特権階級に、労働者階級が反旗を翻し暴動。そしてそれを、アンドロイドが扇動する。
しかし最後には双方が和解、という流れのようだ。
特権階級を人間に、労働者階級をビーストに置き換えて、考えた。
現在、国内の人口比率は、日々変化している。
ビーストの占める割合が、増え続けているのだ。
映画のように、いつか彼らに蜂起されるのかもな、と防水加工もばっちりのウィッカを閉じて考えた。
最後に、さっと体全体にシャワーを浴び、バスタオルを取る。まずはウィッカについた水滴を、丁寧に拭う。
次いで髪を拭いながら、何気なく浴室を振り返った。
この時、悲鳴を上げなかった自分を、褒めてあげたい。
天井に設置されている排気口の蓋が外れ、長い髪が垂れ下がっていた。
ホラーである。
「ふふっ……お迎えに上がりましたよ」
毛が喋った。忌々しくも聞き覚えのある声だ。
よく見れば、だらりと生えている毛も、手入れの行き届いたプラチナブロンドだ。ただ今は、排気口に積もっていた埃や、虫の死骸が絡まっているが。
バスタオルを体に巻き付け、浴室から飛び出ようとした。
が、一歩遅かった。ドアノブを回しかけたところで、首元を、排気口から抜け出てきたエウリノームに撫でられた。
この手が刃に変質すれば、と思うと、外へ飛び出す勇気は削がれた。
「せっかく王子様がお迎えに来たのに、つれない態度ですね」
「王子様は、入浴シーンを覗いたりしないと思うんですけど」
前を向いたまま、声をトゲつかせる。途端、子供へするように、シーッとたしなめられた。
「夜はお静かに。外の連中や、その他ご入院中の方々を、死にぞこないからただの肉の塊に変えたくないでしょう?」
こいつなら実行しかねない。喉を詰まらせ、口を固く閉じた。
しかし、ドアノブが半転したことを不思議に思ったのだろう。
コンコンと、ノックがされる。
「おい、ヒカル。生きてるか? のぼせてんじゃあねぇだろうな?」
少し気遣わしげな、メフィストの声だ。
ああ、今は生きているが、生死の境目に立たされているよ、とは伝えられなかった。
「別に、何にもないよ。あとちょっとで出るから」
咄嗟にメフィストを追い返した台詞に、エウリノームが耳元で、上出来です、と囁く。
ぞわぁ、と耳を中心に鳥肌が立った。
それすらも意に介さず、肩に手を回された。そして強引に、向かい合せにされる。
「それにしても、大事に至らず、本当に良かった。傷の治療も一段落したようですし。改めて、私と一緒に行きましょう、お姫様」
「……」
誰のせいで、大事に至りかけたと思っているんだ、この変態は。
しかし、こちらの武器らしい武器は、左手の義手のみだ。それも、手術時に暴発を避けるために一度取り外されたらしく、生体電流の蓄電量は心許ない。
服すらない状況で、どう抗えばいい?
残念ながら、打開策はなかった。ただ悔しいので、抱き寄せられても、にらむことだけは止めない。
「すねている顔も、魅力的ですよ」
駄目だ、何の効果もない。畜生。
ガツンッ。ゴガンッ。
そして騒音は、正に不意打ちだった。何かを、ドアに打ち付けているようである。
思わずドアノブから、一歩後退した。エウリノームも眉を寄せている。
しかし首を振って表情を改め、輝く笑顔で浴室の窓を指し示す。
「バカどもが、どうせケンカでもしているのでしょう。さぁ、今の内にこちらの窓から、自由への旅に出ましょう!」
返答は、ドアの鍵をぶち壊して飛び込んで来た、備品のテレビだった。
「どっから湧いて出て来やがったんだ、このゴキブリ野郎ぉ!」
怒鳴りながら、メフィストが煙を上げるテレビに続いて乱入する。
「なんか、排気口から出てきたけど……」
思わず、律儀に答えてしまった。
「あぁっ? やっぱゴキブリじゃねぇかよ、てめぇ!」
「失礼な。色・性能面では、君の方がよっぽどゴキブリっぽいですよ」
「うるせぇ!」
叫びもって、空手である右手を縦に振るった。いや、何か細いものが、エウリノームの肩へ突き刺さる。
長さ十五センチはあろうかという、針だ。刺さったそれを引っこ抜き、エウリノームは微笑む。蛇のような笑みだ。
「相変わらず、時代劇オタクなところは変わっていませんね」
棒手裏剣のように飛来する針を、彼が変質させた腕で防いでいる隙に、その懐から逃げ出した。そしてメフィストの背後に飛び込んだ。
「ちょっとメフィスト。なんで、針なんて持ってんの?」
「お前の同僚が寄越した、防犯グッズに決まってんじゃねぇか」
「あー、あれか」
青柳の花束には、ちょっとしたオマケがついていた。
それは同僚たちからの見舞い品である、プランシー社製の防犯グッズ。
グッズ一式を念のため、と入り口に設置していたのだった。自分の用心深さに感心する。
見ればまだ、メフィストの頭や腕に、数本の長針が刺さっている。映画『ヘル・レイザー』に出てくる、ピンヘッドのようだ。
「俺じゃなかったらよ、失明してんじゃねぇか、コレ」
「でしょうね」
額の針を引っこ抜くと、
「痛ぇよ! 一言断れねぇのか!」
怒られた。
続いて、怪我のない左手首を握られる。そして耳元で剣呑な声が囁く。
「入院棟じゃあ分が悪ぃ。人気のねぇトコに逃げるぞ」
「あてはあるの? 人気がないからって、霊安室は駄目だよ」
「んな気味悪ぃトコ行くかよ! そこまでバカじゃねぇよ!」
そりゃ失礼。
軽口を交差させていると、エウリノームがそれこそゴキブリの如く、無駄なくこちらへ突進してくる。
「しつけぇんだよ! てめぇは!」
がなり、躊躇なく振りかぶられた拳が、左右に迫る鎌をいなす。
メフィストに、死という恐れはない。
正確に急所を狙う鎌は、重い拳によって弾かれる、両の拳にはためらいがなく、素早い。
皮膚が裂けようと、肉が飛ぼうとお構いなしだ。むしろ凶悪な笑みを浮かべ、相手の殺意に対峙している。
面倒な相手だ、と一瞬エウリノームの顔が曇った。
「おらぁ!」
咆哮と同時に振り下ろされたかかと蹴りが、エウリノームの膝へ落とされた。さすがに足を痛めたのか、彼はその場でバランスを崩す。
「行くぞ!」
言われるまでもなく、浴室を縦列に飛び出した。




