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歯車と人外の近未来図  作者: 依馬 亜連
第六章 忍者と乙女心

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第四十話 クランベリーソース

 久しぶりに右腕をぐるりと回転させる。もちろん、肘から先もロボットアームもどきではなく、限りになく人の手に似せた義手に代わっている。

 健康が、こんなにもありがたいものだったとは。大きく伸びをして、誰へともなく感謝をする。

 ついでに言えば、日の光をこうして浴びるのも久方ぶりである。


「光先輩、治るのも早かったですねー」

 隣の席のサキムニが、感心したように右肩を眺めている。お昼まであと五分。オフィスに漂う空気も、すでにだらけたものになっている。

 自分でもちょっと驚いてる、と言いながら右肩を撫でた。やはり、メフィストからの輸血が功を奏したのだろうが。

「まだ中にプレート入ってるから、その除去手術はあるけどね。あーでも、オムライスも久々」

「病院食に、不満たらたらだったって、エリオさんから聞きましたよ」

 クスリと笑うビーストは、社交術の天才なのかもしれない。ウィッカ越しの近況報告を通して、すっかりマフィアの支部ボスとも仲良くなっているのだから。

「病院食ってまず、色味がないのよね。煮物と汁物ばっかりというか……さすがに、あれが毎日だとねぇ」

 頭を振ると同時に、十二時を知らせるチャイム。


 しかし、普段なら誰よりも俊敏に立ち上がる青柳が動かない。オフィスに待機するメンバーが皆、おや、と彼を見る。

 青柳は誰かと通信中のようだった。ちらりと部下を見ると、「先に行け」と手を振って示した。

 珍しいなといぶかりつつ、貴重な時間を無駄にするわけにもいかないので、部下たちはそそくさとエレベーターに乗り込んだ。


 私もサキムニと二人で会社を出て、洋食屋レメゲトンへと向かった。

「いらっしゃいませー。あ! 光さん!」

 店の扉を開けると、お盆片手にアミィが、輝く笑顔で駆け寄ってくる。この笑顔も、久しぶりだ。思わずぐっと来た。

「本当に、無事で良かったです……」

 先に涙ぐんだアミィにつられ、こちらもつい目が潤んだ。

「ごめんね、心配かけて。でも、なんだかんだで戻って来れたから」

 ほっとしたように笑い、続いてアミィは私の出で立ちを見つめる。

「もうお仕事にも復帰されたんですか? 早いですね」

「さっさと始末書を片づけたかったもんで。あと課長から届く仏花も、怖かったから」

「あぁ、あれ、ですか……毎日贈ってましたからね」

 サキムニが遠い目で苦い顔になっている。

 軽く談笑をしながら、入院前は定位置となっていた窓際の丸テーブルに座る。

「すぐお水とメニューをお持ちしますね……っと?」

 振り向いたアミィのすぐ後ろに、メフィストがいた。フロアに出てくるとは珍しい。

 グラス二つと、メニューを携えている。


 メフィストはエウリノームが捕獲された翌日には、表の世界へと解放されていた。それでも入院期間中は何かと顔を合わせていたものの、改めて外で出くわすと妙にくすぐったい。

 あっち行ってろ、という彼の視線に、アミィは含み笑いを残して下がった。

「ほれ。で、ご注文は?」

 やや乱暴にグラスと、ランチのメニューが置かれる。

「あ、ウサ公は日替わりだな? で、こっちのヴァージン・クィーンがオムライス、と」

「ヴァージン・クィーンって呼び名の割に、けっこう遊んでたらしいよ、エリザベス女王って」

 メニューに目を落としたまま、メフィストのつま先にピンヒールを抉り込む。

「いっ……てぇよ! 俺はマゾじゃねぇんだぞ、てめぇ!」

 サキムニはこのやりとりに置いてけぼり。なんだなんだ、とせわしげに、私と彼を交互に見ている。


 ちろり、と片足飛びをするメフィストを見上げた。

「で、そのジョークを言いたくて、わざわざ出て来たの、店長さん?」

 わざとらしく、直ったばかりの右手で拳を作る。

「ちげぇって!」

 青ざめ、本気で慌てるメフィスト。そこまで怯えられると、少し傷付くのですが。

「そうじゃなくてだな。ほら、アイツら、どうなんだい? てめぇが一番詳しいだろ?」

 アイツら、とはイビスとエウリノームのことだ。

「一応、どちらも裁判にはかけられる予定。イビスはすっかりしょぼくれてて、エウリノームはマフィアの報復がないかどうか、収容先の方がビクついているみたい」

 なお、全てご機嫌斜めな青柳からの又聞きである。

 注文票にオーダーを書き込みながら、

「その、裁判の後は、どうなるんだ?」

「廃棄処分の見込みが高いって、話だけど」

「そっかぁ」

 エプロンのポケットにペンを戻した彼の表情は、やはり、と言うべきか。


 しょぼくれていた。

 そりゃそうだろう。自分を血みどろにしたエリオにも、心を砕いていた男だ。エウリノームを心底恨めるわけがない。

「まぁ、人間様に危害加えちまったんだ、しゃぁねぇよな」

 あの病院での出来事以降、メフィストとの間に共鳴現象は発生していない。結局、あれが輸血の副作用だったのか、それとも偶然だったのかも不明瞭なままだ。

 サキムニの見立てでは「友情パワー」らしいのだが、友情なぞあるのだろうか。

 変人研究者の越智にでも頼めば、その詳細も分かるのかもしれないが……ご免である。

「悪ぃな、飯時に変なこと訊いちまってよ」

 そういうことなので、快活な笑顔に切り替えたその胸中までは察せない。

 私は無言で、厨房へ戻る彼を見送る。


「あ、メフィストさん! 待って、待って!」

 そして立ち上がってまで、彼を呼び止めたサキムニの真意など無論、分かるわけもない。

 元々、どちらかというと彼は、思考のずれた「天然」なのだから。

 天然はメフィストへ手招きしながら、慌てた顔でこちらを見下ろす。

「光先輩、言い忘れてますよ! 二人の更生施設入りの、上申書出したの!」

「あぁ? マジかよ、それ!」

 走り寄って来たメフィストが、歓喜の声を上げる。私は無言でうつむいた。


 言い忘れたのではなく、言わなかったんだけどね、この馬鹿ウサギ。

「しかも、また課長巻き込んで、ごり押しのごり押しで!」

「サキ」

「入院中の申請だったから、課長も怒鳴るに怒鳴れずで、渋々通してくれて」

「サキ」

「一応、上のチェックも通って、裁判の資料にしてもらえるらしいんですけど」

「サキ!」

「ひゃい!」

 怒号に近い三度目の呼びかけで、ようやくサキムニが硬直する。

 暴走するビーストや人間どもへするように、腕を伸ばして、ぐい、とその胸ぐらを掴んだ。

「まだ決定事項じゃないのに、社外秘の内容を、ベラベラ喋るんじゃない」

「しゅみません……」

 折れやすいサキムニは、既に涙目だ。


「なぁ、ヒカル」

 ややためらいがちに、メフィストが肩を叩いて来た。その手には、再び黒の腕輪がはめられている。

「だから、決定事項じゃないの。変に希望持たないでよ」

 立ち上がり、早口で釘を刺す。

「分かってるって。でも、なんか悪ぃな」

「可哀想、とか、同情で上申書出したわけじゃないから」

 じろり、と目でも太い釘を打ち込む。

「『ビースト呼ばわりしてるけど、彼らにも一般常識や道徳心はあるんだから、一回失敗したからってすぐ殺すな。ひょっとして、ウチの会社の教育方針にケンカ売ってんの? それとも、人間も同じように即死刑にします?』って申し出たまでで」

 早口でまくし立てたというのに、最後まで言えなかった。

 がっしりと、メフィストに抱きつかれたのだ。


 当初、事態を把握出来ずに呆然とし、

「きゃあぁーっ!」

続いて猛然ともがいた。

 周囲の客も、何事か、と楽しげに様子を伺っているのが分かる。それが、余計に羞恥心を煽った。耳まで赤いだろう、多分。

 しかし、存外腕力のあるこの男は、そんなことなどお構いなしだ。あまつさえ、肩に頭を乗せてくる。

「ありがとな」

 瞬間、胸に何かが染み渡った。温かい気持ちが伝播して来る。

 それは裏表のない、真心一色の感謝の念だった。

 これも、輸血による二次的効果なのだろうか。

 この状況でそこまで感謝されれば、怒る気も失せてしまう。むしろ、少し満足感すら覚えてしまった。

 アメリカではハグが文化の一部なんだし……等と、結局一人で結論付けた。何となく自分も腕を回し、彼の硬い背中をポンポンと叩いた。

 暴れるのを止めた背中に、小さなぬくもりが押し付けられるのを感じた。振り返ると、サキムニが涙目でしがみついている。

「なんであんたまで」

「だって……何だか、感動してぇっ……!」

 呆れて視線を上げると、にまにまと給仕に勤しむアミィと眼が合った。いいさ、勝手に見ればいいじゃないか。


 そう思った途端、影が差した。なんだ、と顔を向ける間もなく、万力で締め付けられるような圧力が、全身にかかった。

「ぎゃぁあっ!」

 今度は三人で、断末魔の叫びを上げる。そしてメフィストが、がなった。

「ゼパールてめぇ! いきなり何しやがんだよ!」

 突如抱擁の輪に加わって来たのは、護を連れたゼパールだった。護はというと、ぽかん、と入り口でその光景を眺めている。

 ゼパールもサキムニ同様、どういうわけか感極まった瞳をしている。

「事情は全く分からないのだが、つい、感動してしまい、手が勝手に動いてしまったのだ……」

「痴漢の言い訳か、オラァ!」

 メフィストが彼の腹を蹴り、抱擁を解く。

 締め付けられた腕をさすりながら、何かに気づいたらしく、目を見開いた。

「そういや、てめぇも久々だな?」

「うむ。そういえば、お前が傷心旅行へ出る前に会って以来だったな」

「は? 傷心?」

「どうだった、ガンジス川は? スピリチュアルに生まれ変わったか?」

 矢継ぎ早の質問に、メフィストは困り顔になっている。

 そうだった。自分がインドへ行っていたという嘘を、本人だけが知らないのだった。

「そうそう! ピアノのコンサート、すごくよかったです!」

 本当は会場入り口しか見ていないのだが、慌てて二人の間を割った。

 メフィストが怪訝な顔を浮かべている間に、今度はこちらがマシンガントークを叩き込む。

「とっても素敵な演奏で、うっとりしちゃいました! 史さんにも今度、お礼に伺いますと伝えて下さい!」

「それはなによりです」

 紳士の笑顔が返され、ホッとなる。

「それから温泉旅行は、いかがでした?」

「はい……それなのですが」

 相変わらずタンクトップの巨体が、途端に沈痛な表情でうつむいた。

「実は坊ちゃんが……」

「え、護君が?」

 入り口で棒立ちのままだった彼へ、一同の視線が注がれる。

 白い頬を朱に染め、護も顔を下げる。

 彼は恥ずかしげにもじもじと、指をこねながら呟いた。

「……旅行当日の朝に、食中毒で入院してしまって……腐ったスイカ、食べちゃって」

「お前ぇ……アレ、臭いでまず分かるだろ?」

 飲食店を営むメフィストが、鼻にしわを作る。ゼパールが生真面目な表情で首を振った。

「坊ちゃんは花粉症を患っている故、よく鼻が詰まっていらっしゃるのだ」

「ああ、そうかい」


 興味なさそうに厨房へと引き返そうとするメフィストを、ゼパールが太い腕で引きとめた。その腕力に勝てるわけもなく、脱臼しかねない勢いで、彼の体が引き戻される。

「っかぁー! 痛ぇんだよ、てめぇはいちいち! 力の加減しろよ、ボケ!」

「まだ話は終わっていないというのに、場を離れるからだ!」

「俺ぁ、ここの店長で、仕事があんだよ!」

 一応、自覚はあったのか。


 だがゼパールは、そんなことなどお構いなしに、メフィストを捕まえたまま、小声で続けた。その顔は、実に神妙である。

「実は、坊ちゃんが入院していた病院で、変質者が侵入する騒ぎがあったのだよ」

 ん?と、私とメフィストとサキムニは、顔を見合わせた。

「しかも入院棟の、排気口からの侵入だったらしく! いやはや、物騒な世の中になったものだ……」

 どうにも聞き覚えのある話だ。思わず、三人で苦笑いを浮かべた。

「分かったよ。落ち着いたら、後で聞いてやるから。まぁ座れや」

 ゼパールを受け流し、メフィストがちらっとこちらへ目くばせをする。

 何だ、と目で問い返すと

「で、デザートはババロアでいいか?」

「え? デザート?」

 話が読めず、思わずおうむ返しになる。頬をかき、居心地悪そうにメフィストが注釈。

「ほら、お前ぇ、前に、『おまけでデザート付けて欲しい』とかなんとか、言ってたじゃねぇか」

「あぁ、あれ」

 ずいぶんと前の、他愛もないやりとりだというのに。

「良く覚えてるね。案外頭いいの?」

「てやんでぇ! 飲食業やってりゃ、客の話ぐらい覚えてんだよ!」

 真っ赤な顔で吠えるメフィストに、つい吹き出した。

「じゃ、クランベリーソースも、おまけのおまけで」

「へっ」

 ふくれっ面で厨房に戻るメフィストの瞳は、クランベリーよりもずっと鮮やかな赤色をしている。とてもキレイだ、と思った。


 だから、その時の私は、青柳が昼飯を抜いてまで悩んでいたことなど、すっかり忘れていた。そして、何に悩んでいるのか、考えすらしなかった。


 正式な手続きを踏んで借り受けたビーストを返還する際には、精神分析や健康診断が義務付けられている。一時譲渡先で酷使されなかったか等の、確認のためだ。それは私も、まどろっこしい文章の規定集を読んで熟知していた。


 だが、その精神分析結果が、

「メフィストフェレスはモンペリエの塔よりも、宿毛 光へ強い信頼感を覚えている」

という結果だったことまでは、知らなかった。

 そして、正式なメフィストの所有者である奈半利もあっさりと、

「それならどうぞ、どうぞ。差し上げますよ」

とゴネてくれなかったものだから、青柳は机に突っ伏して悩んでいた。

 まるでクッキーやチョコレートをおすそ分けするような気軽さで、譲り渡してくれたという。


 おまけに研究課の越智も、

「珍しい特異性の個体だから、調べ甲斐がある」

と大張り切り。

 ついでに、彼の秘書の座にちゃっかり収まっていたサウジーネも、

「メフィはね、いい人ですよー。口悪いけど、料理おいしいですよ」

と、越智を煽るのだから、手の付けようがなかった。


 その事実を青柳から打ち明けられるのは、これから三十分後のことだった。

 これが、私が口の悪いビーストの所有者となるまでの、一切の顛末である。

 これにて本編は完結です。長い間お付き合いくださり、ありがとうございました!


 拍手お礼画面へ掲載していた小話等は、修正・加筆の上で後日こちらへ再掲載したいと思います。

 またお暇な折にでも、読んでいただければ幸いです。

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