第四十話 クランベリーソース
久しぶりに右腕をぐるりと回転させる。もちろん、肘から先もロボットアームもどきではなく、限りになく人の手に似せた義手に代わっている。
健康が、こんなにもありがたいものだったとは。大きく伸びをして、誰へともなく感謝をする。
ついでに言えば、日の光をこうして浴びるのも久方ぶりである。
「光先輩、治るのも早かったですねー」
隣の席のサキムニが、感心したように右肩を眺めている。お昼まであと五分。オフィスに漂う空気も、すでにだらけたものになっている。
自分でもちょっと驚いてる、と言いながら右肩を撫でた。やはり、メフィストからの輸血が功を奏したのだろうが。
「まだ中にプレート入ってるから、その除去手術はあるけどね。あーでも、オムライスも久々」
「病院食に、不満たらたらだったって、エリオさんから聞きましたよ」
クスリと笑うビーストは、社交術の天才なのかもしれない。ウィッカ越しの近況報告を通して、すっかりマフィアの支部ボスとも仲良くなっているのだから。
「病院食ってまず、色味がないのよね。煮物と汁物ばっかりというか……さすがに、あれが毎日だとねぇ」
頭を振ると同時に、十二時を知らせるチャイム。
しかし、普段なら誰よりも俊敏に立ち上がる青柳が動かない。オフィスに待機するメンバーが皆、おや、と彼を見る。
青柳は誰かと通信中のようだった。ちらりと部下を見ると、「先に行け」と手を振って示した。
珍しいなといぶかりつつ、貴重な時間を無駄にするわけにもいかないので、部下たちはそそくさとエレベーターに乗り込んだ。
私もサキムニと二人で会社を出て、洋食屋レメゲトンへと向かった。
「いらっしゃいませー。あ! 光さん!」
店の扉を開けると、お盆片手にアミィが、輝く笑顔で駆け寄ってくる。この笑顔も、久しぶりだ。思わずぐっと来た。
「本当に、無事で良かったです……」
先に涙ぐんだアミィにつられ、こちらもつい目が潤んだ。
「ごめんね、心配かけて。でも、なんだかんだで戻って来れたから」
ほっとしたように笑い、続いてアミィは私の出で立ちを見つめる。
「もうお仕事にも復帰されたんですか? 早いですね」
「さっさと始末書を片づけたかったもんで。あと課長から届く仏花も、怖かったから」
「あぁ、あれ、ですか……毎日贈ってましたからね」
サキムニが遠い目で苦い顔になっている。
軽く談笑をしながら、入院前は定位置となっていた窓際の丸テーブルに座る。
「すぐお水とメニューをお持ちしますね……っと?」
振り向いたアミィのすぐ後ろに、メフィストがいた。フロアに出てくるとは珍しい。
グラス二つと、メニューを携えている。
メフィストはエウリノームが捕獲された翌日には、表の世界へと解放されていた。それでも入院期間中は何かと顔を合わせていたものの、改めて外で出くわすと妙にくすぐったい。
あっち行ってろ、という彼の視線に、アミィは含み笑いを残して下がった。
「ほれ。で、ご注文は?」
やや乱暴にグラスと、ランチのメニューが置かれる。
「あ、ウサ公は日替わりだな? で、こっちのヴァージン・クィーンがオムライス、と」
「ヴァージン・クィーンって呼び名の割に、けっこう遊んでたらしいよ、エリザベス女王って」
メニューに目を落としたまま、メフィストのつま先にピンヒールを抉り込む。
「いっ……てぇよ! 俺はマゾじゃねぇんだぞ、てめぇ!」
サキムニはこのやりとりに置いてけぼり。なんだなんだ、とせわしげに、私と彼を交互に見ている。
ちろり、と片足飛びをするメフィストを見上げた。
「で、そのジョークを言いたくて、わざわざ出て来たの、店長さん?」
わざとらしく、直ったばかりの右手で拳を作る。
「ちげぇって!」
青ざめ、本気で慌てるメフィスト。そこまで怯えられると、少し傷付くのですが。
「そうじゃなくてだな。ほら、アイツら、どうなんだい? てめぇが一番詳しいだろ?」
アイツら、とはイビスとエウリノームのことだ。
「一応、どちらも裁判にはかけられる予定。イビスはすっかりしょぼくれてて、エウリノームはマフィアの報復がないかどうか、収容先の方がビクついているみたい」
なお、全てご機嫌斜めな青柳からの又聞きである。
注文票にオーダーを書き込みながら、
「その、裁判の後は、どうなるんだ?」
「廃棄処分の見込みが高いって、話だけど」
「そっかぁ」
エプロンのポケットにペンを戻した彼の表情は、やはり、と言うべきか。
しょぼくれていた。
そりゃそうだろう。自分を血みどろにしたエリオにも、心を砕いていた男だ。エウリノームを心底恨めるわけがない。
「まぁ、人間様に危害加えちまったんだ、しゃぁねぇよな」
あの病院での出来事以降、メフィストとの間に共鳴現象は発生していない。結局、あれが輸血の副作用だったのか、それとも偶然だったのかも不明瞭なままだ。
サキムニの見立てでは「友情パワー」らしいのだが、友情なぞあるのだろうか。
変人研究者の越智にでも頼めば、その詳細も分かるのかもしれないが……ご免である。
「悪ぃな、飯時に変なこと訊いちまってよ」
そういうことなので、快活な笑顔に切り替えたその胸中までは察せない。
私は無言で、厨房へ戻る彼を見送る。
「あ、メフィストさん! 待って、待って!」
そして立ち上がってまで、彼を呼び止めたサキムニの真意など無論、分かるわけもない。
元々、どちらかというと彼は、思考のずれた「天然」なのだから。
天然はメフィストへ手招きしながら、慌てた顔でこちらを見下ろす。
「光先輩、言い忘れてますよ! 二人の更生施設入りの、上申書出したの!」
「あぁ? マジかよ、それ!」
走り寄って来たメフィストが、歓喜の声を上げる。私は無言でうつむいた。
言い忘れたのではなく、言わなかったんだけどね、この馬鹿ウサギ。
「しかも、また課長巻き込んで、ごり押しのごり押しで!」
「サキ」
「入院中の申請だったから、課長も怒鳴るに怒鳴れずで、渋々通してくれて」
「サキ」
「一応、上のチェックも通って、裁判の資料にしてもらえるらしいんですけど」
「サキ!」
「ひゃい!」
怒号に近い三度目の呼びかけで、ようやくサキムニが硬直する。
暴走するビーストや人間どもへするように、腕を伸ばして、ぐい、とその胸ぐらを掴んだ。
「まだ決定事項じゃないのに、社外秘の内容を、ベラベラ喋るんじゃない」
「しゅみません……」
折れやすいサキムニは、既に涙目だ。
「なぁ、ヒカル」
ややためらいがちに、メフィストが肩を叩いて来た。その手には、再び黒の腕輪がはめられている。
「だから、決定事項じゃないの。変に希望持たないでよ」
立ち上がり、早口で釘を刺す。
「分かってるって。でも、なんか悪ぃな」
「可哀想、とか、同情で上申書出したわけじゃないから」
じろり、と目でも太い釘を打ち込む。
「『ビースト呼ばわりしてるけど、彼らにも一般常識や道徳心はあるんだから、一回失敗したからってすぐ殺すな。ひょっとして、ウチの会社の教育方針にケンカ売ってんの? それとも、人間も同じように即死刑にします?』って申し出たまでで」
早口でまくし立てたというのに、最後まで言えなかった。
がっしりと、メフィストに抱きつかれたのだ。
当初、事態を把握出来ずに呆然とし、
「きゃあぁーっ!」
続いて猛然ともがいた。
周囲の客も、何事か、と楽しげに様子を伺っているのが分かる。それが、余計に羞恥心を煽った。耳まで赤いだろう、多分。
しかし、存外腕力のあるこの男は、そんなことなどお構いなしだ。あまつさえ、肩に頭を乗せてくる。
「ありがとな」
瞬間、胸に何かが染み渡った。温かい気持ちが伝播して来る。
それは裏表のない、真心一色の感謝の念だった。
これも、輸血による二次的効果なのだろうか。
この状況でそこまで感謝されれば、怒る気も失せてしまう。むしろ、少し満足感すら覚えてしまった。
アメリカではハグが文化の一部なんだし……等と、結局一人で結論付けた。何となく自分も腕を回し、彼の硬い背中をポンポンと叩いた。
暴れるのを止めた背中に、小さなぬくもりが押し付けられるのを感じた。振り返ると、サキムニが涙目でしがみついている。
「なんであんたまで」
「だって……何だか、感動してぇっ……!」
呆れて視線を上げると、にまにまと給仕に勤しむアミィと眼が合った。いいさ、勝手に見ればいいじゃないか。
そう思った途端、影が差した。なんだ、と顔を向ける間もなく、万力で締め付けられるような圧力が、全身にかかった。
「ぎゃぁあっ!」
今度は三人で、断末魔の叫びを上げる。そしてメフィストが、がなった。
「ゼパールてめぇ! いきなり何しやがんだよ!」
突如抱擁の輪に加わって来たのは、護を連れたゼパールだった。護はというと、ぽかん、と入り口でその光景を眺めている。
ゼパールもサキムニ同様、どういうわけか感極まった瞳をしている。
「事情は全く分からないのだが、つい、感動してしまい、手が勝手に動いてしまったのだ……」
「痴漢の言い訳か、オラァ!」
メフィストが彼の腹を蹴り、抱擁を解く。
締め付けられた腕をさすりながら、何かに気づいたらしく、目を見開いた。
「そういや、てめぇも久々だな?」
「うむ。そういえば、お前が傷心旅行へ出る前に会って以来だったな」
「は? 傷心?」
「どうだった、ガンジス川は? スピリチュアルに生まれ変わったか?」
矢継ぎ早の質問に、メフィストは困り顔になっている。
そうだった。自分がインドへ行っていたという嘘を、本人だけが知らないのだった。
「そうそう! ピアノのコンサート、すごくよかったです!」
本当は会場入り口しか見ていないのだが、慌てて二人の間を割った。
メフィストが怪訝な顔を浮かべている間に、今度はこちらがマシンガントークを叩き込む。
「とっても素敵な演奏で、うっとりしちゃいました! 史さんにも今度、お礼に伺いますと伝えて下さい!」
「それはなによりです」
紳士の笑顔が返され、ホッとなる。
「それから温泉旅行は、いかがでした?」
「はい……それなのですが」
相変わらずタンクトップの巨体が、途端に沈痛な表情でうつむいた。
「実は坊ちゃんが……」
「え、護君が?」
入り口で棒立ちのままだった彼へ、一同の視線が注がれる。
白い頬を朱に染め、護も顔を下げる。
彼は恥ずかしげにもじもじと、指をこねながら呟いた。
「……旅行当日の朝に、食中毒で入院してしまって……腐ったスイカ、食べちゃって」
「お前ぇ……アレ、臭いでまず分かるだろ?」
飲食店を営むメフィストが、鼻にしわを作る。ゼパールが生真面目な表情で首を振った。
「坊ちゃんは花粉症を患っている故、よく鼻が詰まっていらっしゃるのだ」
「ああ、そうかい」
興味なさそうに厨房へと引き返そうとするメフィストを、ゼパールが太い腕で引きとめた。その腕力に勝てるわけもなく、脱臼しかねない勢いで、彼の体が引き戻される。
「っかぁー! 痛ぇんだよ、てめぇはいちいち! 力の加減しろよ、ボケ!」
「まだ話は終わっていないというのに、場を離れるからだ!」
「俺ぁ、ここの店長で、仕事があんだよ!」
一応、自覚はあったのか。
だがゼパールは、そんなことなどお構いなしに、メフィストを捕まえたまま、小声で続けた。その顔は、実に神妙である。
「実は、坊ちゃんが入院していた病院で、変質者が侵入する騒ぎがあったのだよ」
ん?と、私とメフィストとサキムニは、顔を見合わせた。
「しかも入院棟の、排気口からの侵入だったらしく! いやはや、物騒な世の中になったものだ……」
どうにも聞き覚えのある話だ。思わず、三人で苦笑いを浮かべた。
「分かったよ。落ち着いたら、後で聞いてやるから。まぁ座れや」
ゼパールを受け流し、メフィストがちらっとこちらへ目くばせをする。
何だ、と目で問い返すと
「で、デザートはババロアでいいか?」
「え? デザート?」
話が読めず、思わずおうむ返しになる。頬をかき、居心地悪そうにメフィストが注釈。
「ほら、お前ぇ、前に、『おまけでデザート付けて欲しい』とかなんとか、言ってたじゃねぇか」
「あぁ、あれ」
ずいぶんと前の、他愛もないやりとりだというのに。
「良く覚えてるね。案外頭いいの?」
「てやんでぇ! 飲食業やってりゃ、客の話ぐらい覚えてんだよ!」
真っ赤な顔で吠えるメフィストに、つい吹き出した。
「じゃ、クランベリーソースも、おまけのおまけで」
「へっ」
ふくれっ面で厨房に戻るメフィストの瞳は、クランベリーよりもずっと鮮やかな赤色をしている。とてもキレイだ、と思った。
だから、その時の私は、青柳が昼飯を抜いてまで悩んでいたことなど、すっかり忘れていた。そして、何に悩んでいるのか、考えすらしなかった。
正式な手続きを踏んで借り受けたビーストを返還する際には、精神分析や健康診断が義務付けられている。一時譲渡先で酷使されなかったか等の、確認のためだ。それは私も、まどろっこしい文章の規定集を読んで熟知していた。
だが、その精神分析結果が、
「メフィストフェレスはモンペリエの塔よりも、宿毛 光へ強い信頼感を覚えている」
という結果だったことまでは、知らなかった。
そして、正式なメフィストの所有者である奈半利もあっさりと、
「それならどうぞ、どうぞ。差し上げますよ」
とゴネてくれなかったものだから、青柳は机に突っ伏して悩んでいた。
まるでクッキーやチョコレートをおすそ分けするような気軽さで、譲り渡してくれたという。
おまけに研究課の越智も、
「珍しい特異性の個体だから、調べ甲斐がある」
と大張り切り。
ついでに、彼の秘書の座にちゃっかり収まっていたサウジーネも、
「メフィはね、いい人ですよー。口悪いけど、料理おいしいですよ」
と、越智を煽るのだから、手の付けようがなかった。
その事実を青柳から打ち明けられるのは、これから三十分後のことだった。
これが、私が口の悪いビーストの所有者となるまでの、一切の顛末である。
これにて本編は完結です。長い間お付き合いくださり、ありがとうございました!
拍手お礼画面へ掲載していた小話等は、修正・加筆の上で後日こちらへ再掲載したいと思います。
またお暇な折にでも、読んでいただければ幸いです。




