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月華の紫石英  作者: あっとまあく
天満月国編その弐
96/97

第七章「天満月国その弐」 捌

オリジナル冒険BL風味ファンタジー。

燃え盛る街へ向かう紫焔は、家屋を破壊し唸る獣と対峙する。


以下、注意書きです。

・本作品はファンタジーであり、もし実在する人物や会社等と名前が同じであったり類似していても無関係です

・勝手につくった国の名前や文化等も出てきますが完全にフィクションです。現実にある国等は本作には出てきません

・本作品に出てくる全ての呼び名、動植物、無機物等は独自設定であり、もちろんファンタジーです

・戦闘シーン等が出てくる関係から暴力的、流血表現や残酷な描写が出てくる場合があります

・犯罪行為推奨の意図は一切ありません。あくまでフィクションです

当然ながら現実のものではない、空想の話であり設定であり展開となっています。

どうぞよろしくお願いします。

※無断転載、無断使用、無断編集・修正・加筆、自作発言等全て禁止


八.


 息が詰まりそうだ。


 紫焔(しえん)は脇目も振らずに走っていた。身を隠さなければという考えさえ、既に思考の彼方へと追いやられている。

 連続する廊下の小窓からは赤い空が見えた。その光景に動悸がする。

 廊下の切れ目に円状の出入口があった。

 紫焔はそこで急停止して体を滑らせる。出入口に突進する勢いで飛び込み、ようやく王城の庭へと出た。

 周囲は暗い。夜空には欠けた月と星々が浮かんでいる。


 整備された芝生を駆け抜け、紫焔は一目散に門へと向かった。

 門には見張り番が二人立っている。近づいてくる足音に気づいた二人がこちらを振り返った。


「何だ?」

「おい、お前止まれ!」


 門を潜って出ようとした紫焔を見張り番が防ぐ。

 紫焔は彼らにぶつかるように足を止め、顔を上げて訴えた。


「街が燃えてる!」

「そんなことは知ってる!」

「知ってる? じゃあ、誰かもう向かってるんだな?」


 安堵した紫焔は見張り番から離れようとした。しかし、目の前の二人からは予想外の言葉が返ってくる。


「向かう? 何のために」

「……え?」

「火事は犬狼(けんろう)が暴れているせいだ。家屋の暖炉を壊しでもしたんだろうさ」

「だったら尚更、助けに行かないと」


 慌てる紫焔の肩を見張り番の一人が抑える。


「いちいち構ってはいられないんだよ」

「こっちも人手不足だからな」

「もう犬狼退治はしないことになったんだ」

「……しない? 人が、死んでるんだぞ」


 紫焔は呆然として呟いた。途端に見張り番の兵士たちが機嫌を悪くする。


「俺らの同僚だってたくさん死んだよ。もう懲り懲りだ」


 訓練を受けた兵士たちといえども人間だ。先ほど感じたことを再び思い知る。

 紫焔は唇を引き結んで俯いた。

 見張り番に立っていた彼らは、ここでようやく紫焔の姿を頭から足まで確認して違和感に首を傾げた。


「ところでお前、誰だ?」

「……暗くていまいち見え辛いが、銀髪に見えるんだが」

「まさか捕まえた逆賊の……」


 不穏な空気を察し、紫焔はさっと身を引いた。

 二人は我に返ったように腰に下げていた刀剣に手を近づける。抜刀される瞬間、紫焔は前方へと駆けた。

 二人の間を縫って門の外へと飛び出す。


「あっ! 待て!」

「捕まえろ! 脱獄だ!!」


 ぴーっと見張り番が警笛を鳴らす。

 紫焔は走った。眼下で街が燃えている。七年前の炎上に比べれば小さな炎だ。しかし、そこの中心には巨大な犬狼がいて、人々の悲鳴が響いている。

 転がるような勢いで石畳の階段を駆け下り、街へと向かう。遠くで聞こえていた咆哮が鮮明に聞こえるようになってきた。

 犬狼が近い。


 煙の上がる街の家屋まで到着すると、周囲の建物を壊して暴れる獣の姿が真っ先に目に入った。

 その近くには逃げ遅れた人々がいる。

 紫焔は燃え上がる家屋から飛び散った木材の破片を掴んで火をつけ、犬狼へと放り投げた。

 木材はくるくると円を描きながら宙を舞い、犬狼の前足にぶつかる。獣の注意が瞬時に紫焔へと向いた。


「こっちだ!」


 叫び声に反応したのか、犬狼が紫焔に突進してくる。

 紫焔はそれを見てから駆け出した。なるべく人がいない方向へと誘導しながらひた走る。当然、獣の方が足は速い。追いつかれそうになる度に周囲の建物を障壁にして逃れた。

 紫焔と犬狼の追いかけっこを見守っていた人々からすると、紫焔は獣を翻弄するかのようにひらひらと回避しているように見える。実際にはそんな余裕などない。これは命がけの追いかけっこだ。

 紫焔は内心で「次こそ掴まる」という恐怖を抱きながら、決死の逃げを続けていた。


「軍の連中は何やってんだ!」

「きっともう兵士がいないのよ」

「皆喰われたんだ」

「そんな……」


 怒号と悲鳴。絶望と不安が広がっていく。

 この犬狼をまずは何とかしなければ、彼らの恐怖は消えない。

 紫焔は必死に獣の攻撃を回避しながら街中を走り回った。その最中、誰かが叫んだ。


「これを使え!」


 放り投げられたものを反射的に掴む。それは刀剣だった。鞘から抜いた刃は錆びていて、切れ味は無いに等しいだろう。それでも、手ぶらよりもずっと心強い。

 壊された家屋を駆けあがり、紫焔は屋根の上に立った。これでようやく犬狼と同じ視線の高さになる。

 屋根の上から見下ろすと、それまで気づかなかったことに気づかされた。

 いつの間にか、周囲には人だかりができている。


 紫焔の奮闘に気づいた街の人々が自然と集まっていた。

 壊された家屋に巻き込まれた人を助け出している人の姿も見える。そんな人たちを気遣い、怪我人を寝かせる場所を整える人たち。燃え上がる火を消そうと水を運ぶ人たちや、紫焔の戦いを固唾を飲んで見守る人たち。


 その光景に、紫焔は一瞬気を取られた。長く続いた追いかけっこに集中力が持たなかったとも言える。

 犬狼が突進してくる。咄嗟に左へ避けようとした紫焔は、しかし、すぐに方向転換した犬狼の俊敏さについて行けなかった。

 鋭い牙が肩口に食い込み、皮膚を破く。痛みより先に強烈な熱さが広がった。


「ぐっ」


 犬狼は紫焔の肩を喰い千切ろうとしている。反射的に抵抗したくなる体を必死に抑え、紫焔は相手の動作に倣うように体を動かして喰い千切られることを防いだ。錆びた刃を突き立ててもびくともしない。万事休すだ。


 ──誰か。


 否、ここには誰もいない。

 いつも駆けつけてくれる紅蓮も、怪我をした時に文句を言いながらも手当てしてくれる要も。状況に応じて無駄なく動き手助けしてくれる菜々子も、誰もいない。

 今、紫焔の傍には信頼できる仲間が一人としていないのだ。旅に出てからずっと近くにいてくれたのに。どこにもいない。

 紫焔はたった一人だ。唐突に孤独を実感し、紫焔はぞっとして身を震わせた。急に足元が真っ暗になった気がする。どこへ踏み出せば良いのか分からない。

 目の前まで真っ暗になりそうな──


「まけないで」


 小さな小さな声が鼓膜を揺らした。

 紫焔は視線だけを動かす。声の主はまだ幼い少女だった。両目に涙を溜め、震えながらこちらを見上げている。

 視界がぱっと開けた。

 紫焔は錆びた刃の先を犬狼の目を狙って突き上げる。衝撃に負けた刀身が折れた。しかし、相手が一瞬怯んだ。その隙をついて、紫焔は犬狼の牙から逃げ出した。

 ぼたぼたと大量の血が落ちていく。未だ痛みはほとんど感じなかった。紫焔の頭の中は、どうやってこの犬狼を無力化するか。ただそれだけに集中し、その瞬間は他の全てを忘れた。


 皆が瞬きすらできないほどの緊迫感は、しかし、すぐに瓦解する。

 犬狼が突如苦しみ出したからだ。ふらふらと足取りを覚束なくさせた犬狼は、呻きながら地面に座り込む。まるで酩酊しているかのように。


「な、何?」

「倒したのか?」

「と、とにかく今のうちに縛り上げろ!!」


 わっと周囲が活気づく。

 紫焔は屋根の上で呆然と犬狼を見下ろしていた。次いで腕に伝う血を見つめ、思案する。

 犬狼は、まるで紫焔の血を飲んで倒れたかのようにも見えたからだ。


 ぽたぽたと流れ落ちる血が、瓦を汚した。




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