第七章「天満月国その弐」 漆
オリジナル冒険BL風味ファンタジー。
紫焔は鐘ヶ江の背を押し、ついに脱獄を試みる。
以下、注意書きです。
・本作品はファンタジーであり、もし実在する人物や会社等と名前が同じであったり類似していても無関係です
・勝手につくった国の名前や文化等も出てきますが完全にフィクションです。現実にある国等は本作には出てきません
・本作品に出てくる全ての呼び名、動植物、無機物等は独自設定であり、もちろんファンタジーです
・戦闘シーン等が出てくる関係から暴力的、流血表現や残酷な描写が出てくる場合があります
・犯罪行為推奨の意図は一切ありません。あくまでフィクションです
当然ながら現実のものではない、空想の話であり設定であり展開となっています。
どうぞよろしくお願いします。
※無断転載、無断使用、無断編集・修正・加筆、自作発言等全て禁止
七.
紫焔は呆然とする鐘ヶ江から視線を外した。
「時間がない。もう行くよ」
「待っ、待ちなさい!」
鐘ヶ江の叫ぶような呼び声に足を止める。振り返ると、初めて彼が立ち上がるような動作を見せた。しかし、その動きは中途半端な姿勢で止まる。
「無駄死にだ」
「俺がどこでどうなろうと関係ないはずなのに、なんで鐘ヶ江さんはそんなに気にかけてくれるんだ?」
「それは……」
応えあぐねる様子の鐘ヶ江は何度も瞬きを繰り返す。
「目の前に助けられるかもしれない人がいたら、助けようと思うからか?」
綺麗事だとしても、深く考えるより先に助けようと動く者もこの世界にはいる。紅蓮も要も菜々子も、この国で出会った朝陽もそうだ。鐘ヶ江だってきっと──。
現実は酷く残酷で辛く苦しい。しかし、それだけではない。
「犠牲が少ない方が良いと考えるのは至極当然のことかと」
絞り出すように返された鐘ヶ江からの回答。そこには未だ消えない大将としての矜持すら感じる。
諦めきっていた男の双眸に一点の光が見えた。
紫焔はその光を根拠もなく信じられると思う。彼の目は、紅蓮と同じだった。
「俺もそう思う」
「ならば」
「だから鐘ヶ江さん、これを。仲間が捕まっている西の牢の鍵だ」
鉄格子の扉に触れて、紫焔は鐘ヶ江に呼びかける。
鉄格子で阻まれた牢の中に紅蓮から渡された鍵を落とした。かつん、と音を立ててそれが地面に落ちる。
「あなたはどれだけ愚かなのか」
仲間を救う手立てを捨てたようなものだ。
鐘ヶ江の呆れ混じりの冷ややかな指摘が鼓膜を揺らす。
「幾度も告げている通り、私はここで命果てるつもりですので」
「強情だな」
ぐっと握り締めた格子戸が予想外に抵抗少なく揺れた。その揺れに違和感を覚えて紫焔は鍵穴周辺に視線を落とす。
格子と格子の隙間には何も引っかかるものがなかった。
「……それを他の人が望んでいなくても?」
紫焔は鉄格子を握る手に力を込めた。そのままぐっと押すと、抵抗なく開いていく。鐘ヶ江の牢には最初から鍵などかかっていなかったのだ。
そこの住人は牢が開けられても微動だにしなかった。
「鐘ヶ江さん、ここの鍵がかけられてないって知ってたんだな」
それでも彼はここに留まっている。
牢の鍵が七年前から開いていたのか、途中からかけられなくなったのかは不明だ。しかし、それをした者も他の見張り番も、異議を唱えてはいないのだろう。
それは彼らが鐘ヶ江を待っている何よりの証ではないのか。
鐘ヶ江が立ち上がることを望む者はきっと紫焔が想像するより多い。しかし、無理に引き摺り出すのは得策ではない。
本人の意思でこの牢を出たいと思わなければ意味がない。そうでなければ身が自由でも心は牢に囚われたままだ。
無理強いはせず、遠くからその日を待ち望む兵士たち。かつて左軍の大将としてその手腕を振るった鐘ヶ江は、彼らにとって代わりなどいない人間なのだろう。
「貴殿の仰る通り、私がここで朽ち果てても変わるものなどないでしょう。先王も犠牲になった者も戻ることはない。私は失われた命を背負って独り惨めに生涯を閉じるべきなのです」
決意は変わらないと鐘ヶ江は告げる。
紫焔は一歩ずつ牢の中の鐘ヶ江に近づいていった。
「終わらせる方法なら他にもたくさんあったはずだ」
牢に入る前に剣を取って、自らを貫けばいい。食事を摂らず、水も飲まなければいい。しかし、鐘ヶ江はそれをしなかった。
「楽に死んでは贖罪にはならぬと」
「苦しんで独り惨めに終わる方法なんて、この世にはたくさんある」
その手段も方法も、紫焔より鐘ヶ江の方が余程詳しいかもしれない。
紫焔は牢の中に落とした鍵を手に取った。
「それは」
「それでも鐘ヶ江さんは今、ここで生きてる。それはまだどこかで諦めたくない気持ちがあるからじゃないのか」
七年前に守れなかった数々の命。同じ過ちを繰り返さないように、やり直そうとする思いが彼の中にはまだ眠っている。
紫焔はとうとう鐘ヶ江の目の前まで歩み寄った。
彼は立ち上がりかけた半端な姿勢のままだ。その場で膝を折り、紫焔は鐘ヶ江と視線の高さを合わせた。彼の手を取り、その掌に鍵を渡す。
「過去は誰にも変えられない。過去に戻って別の選択をしてやり直すことなんて、できない。でも、鐘ヶ江さんが進むこれからの道を選べるのは鐘ヶ江さんだけだ」
薄暗い地下牢でも、至近距離にいれば相手の顔がそれなりに見える。近くで見た鐘ヶ江は、七年もの間牢に囚われているとは思えないほど衰えを知らぬ様子だった。
現場で切磋琢磨していた頃と比較すれば瘦せ細っているのだろうが、一般人には到底見えない体つきをしている。言葉ではなんと言おうと、彼の心も体も諦めてなどいない。
その姿を見れば一目瞭然だ。
「どんな未来にするのか、どんな未来にしたいのか。その選択肢はあなたの手の中にしかないんだ。他の誰にも選ぶことはできない。誰に助言されようと命令されようと、結局最後にどの道を選ぶのか決めるのは自分なんだから」
だから自分の発言には責任を負わなければならない。強い立場であればあるほど、課せられる責任の度合いは多くなるだろう。左軍大将であった彼は、どれほどの重責を背負っていたのか。
今の紫焔には想像すら難しいことだ。
「犬狼は強い。分厚い皮膚は鋼のようで手強いし、俊敏で獰猛だ。対抗するには力がいる。疲弊しきった兵士たちをまとめる力強い味方がいる。左軍をずっと引っ張って来たあなた以外にはきっとできない」
紅蓮は強い。一人で圧倒的な力を持つ猛者だ。けれど、彼は七年前にこの国を出ている。彼の直属の部下であった者たちはもうほとんど軍にはいないだろう。
兵士たちが未だに鐘ヶ江を信頼していることは、この牢が施錠されていない事実から十分に察せられる。
今の軍をまとめ上げられるのは鐘ヶ江を置いて他にいないのだ。
「鐘ヶ江さんが立ち上がることで救える命がある。それも、たくさんの。鐘ヶ江さんは代わりなんているって言うけど、本当はそうじゃないと思う。誰にだって誰かの代わりなんてできない。だから俺は、代わりじゃなく俺にできることをするよ」
鐘ヶ江には鐘ヶ江にしかできないことがあるように。
牢の中に差した僅かな星明りが、二人の体を照らす。
「────あなたは、一体何者なのか」
それまでとは打って変わって、どこか惚けたような声で鐘ヶ江は呟いた。
「ただのこの国の民の一人だ。でもいつか……何者かになれるように、今戦う」
玉座を奪うなんて大それた望みは無かった。けれど、それがもしも己の為すべきことならば向き合わなければならない。
この国で生きる人々を守りたいと思うのであれば、背を向けて逃げ出すわけにはいかない。
立場でできることが変わることもある。何者でもない紫焔には兵士を動かすことなどできないが、大将を務めた男にはそれができるように。
鍵を置かれても開かれたままだった鐘ヶ江の指が、徐々に閉じていく。そのまま彼は掌の鍵を握り締めた。
紫焔はそれを鐘ヶ江からの了承だと受け取る。どれだけ口で意地を張っても、心と体は素直だ。
鐘ヶ江の視線が紫焔の視線と交わった。
その瞬間、彼の双眸が徐に見開かれていく。僅かな星明りがこちらの色彩を相手に伝えたのだろう。
「犬狼は白花草から抽出した毒で無力化できる」
紫焔は望みをかけて犬狼への対抗手段を伝えた。
彼が動けば兵士が動く。犬狼と最も多く対峙する彼らに情報が伝われば良い。
「ただ、この毒はすごく繊細で正直なところ抽出後いつまで効力があるのか分からない。なるべく早く使った方が良い」
「白花草……」
「まだこの国にあるかな?」
「いえ……しかし以前、先王がどこかからその花を持って来たことがあったような」
先王・天満満月。
かつて王が集落の周囲に来たことはなかった。そのようなことがあれば大騒ぎだ。もちろん、身を隠しながらお忍びで来ていた場合はその限りではないが。
「王城の周辺に自生しているとか?」
「見たことはありませんでしたが」
そもそも紫焔が暮らしていた集落の白花草の花畑に、その花を定植して増やしたのは左軍だ。あの白花草は一体どこから手に入れたものだったのか。
根掘り葉掘り詳しく聞きたいところだが、遠くで犬狼の嘶きが聞こえたことを合図に紫焔は会話を打ち切った。
「鐘ヶ江さん。もし、ここを出たら今の情報を軍の人に伝えてくれ。俺の言葉よりあなたの言葉の方が信じてもらえるはずだから」
紫焔はそれだけ言い残して地下牢の出入口にある階段へと走る。
鐘ヶ江からの返答はなかった。
階段を上がるとすぐに見張り番の待機室に繋がっている。
そこにいるのは一人だけだった。しかも、椅子に腰かける兵士の足元には酒瓶が転がっている。どうやら職務放棄して晩酌を楽しんでいるらしい。
脱獄犯にとってはこれ幸いである。
紫焔は息を殺して足音を消し、兵士の死角になる位置を見つけながら少しずつ進んだ。
犬狼の咆哮が僅かに聞こえる。その瞬間、見張り番の兵士が大袈裟な程に双肩を揺らした。
彼は手にしていた酒瓶を抱きかかえて俯く。がたがたと震えているのは寒さからではない。
紫焔はその様子を見て、兵士たちが置かれている現実に胸が締め付けられる思いになった。兵士といえども人間だ。死への恐怖は当然ある。
紫焔は見張り番が俯いている間に待機室を出た。一刻も早く、事態を好転させなければならない。もう一度、天満朔月に会わなければ。
待機室を出ると、長い廊下が続いていた。
紫焔は廊下についている小窓から外を見下ろす。そして、瞠目した。
王城近くの街が赤い。夜だというのにそこだけがぽうっと色を変えている。
嫌になるほど見覚えのある赤────街が燃えていた。




