第七章「天満月国その弐」 陸
オリジナル冒険BL風味ファンタジー。
鐘ヶ江の過去に触れ、紫焔は新たな決意を固めることになる。
以下、注意書きです。
・本作品はファンタジーであり、もし実在する人物や会社等と名前が同じであったり類似していても無関係です
・勝手につくった国の名前や文化等も出てきますが完全にフィクションです。現実にある国等は本作には出てきません
・本作品に出てくる全ての呼び名、動植物、無機物等は独自設定であり、もちろんファンタジーです
・戦闘シーン等が出てくる関係から暴力的、流血表現や残酷な描写が出てくる場合があります
・犯罪行為推奨の意図は一切ありません。あくまでフィクションです
当然ながら現実のものではない、空想の話であり設定であり展開となっています。
どうぞよろしくお願いします。
※無断転載、無断使用、無断編集・修正・加筆、自作発言等全て禁止
六.
紫焔は前へ進み、鍵のかかっていない牢の格子戸を手前に引いて開く。
ぎぎ、と金属と岩の床がぶつかる音が地下牢に響いた。
隣の牢には数歩ほど歩けば辿り着く。しかし、紫焔は動かなかった。その場に佇み、声だけを隣へと届ける。
「でも鐘ヶ江さんが動くことで変えられるものはある」
返答はない。構わずに紫焔は続けた。
「俺、さっき少しだけ想像したんだ」
「何をです?」
訝し気な鐘ヶ江の声。
紫焔は薄暗い地下牢で、眩しい夢物語に思いを馳せて目を細めた。
「もし、紅蓮と鐘ヶ江さんが協力し合ったら七年前の出来事を覆せてたんじゃないかって」
二人が共に剣をとって戦い、反乱軍を討ち取って王も皇子も民も────皆を救う。そんな世界があれば良かった。
「無念ですが、最早叶わぬことです」
「そうかな」
七年前の悲劇は変えられない。しかし、それは既に起こってしまったことだからだ。
「俺は今からだって叶えられるんじゃないかと思うんだ」
しがらみは多い。言うは易く行うは難しだ。簡単な話ではないだろう。けれど、言ってみなければそもそも始まりすらしない。
──そうだ。馬鹿みたいな綺麗事を言う。
それは昔から紫焔の役目だった。
「何を奇っ怪なことを」
鐘ヶ江の声が戸惑いを含む。
「ここで一生を過ごす。その選択だって誰にも文句は言えないかもしれない。でも、俺は鐘ヶ江さんがここを出ることで救える命がたくさんあるんじゃないかって思う」
天満月国は今、犬狼の脅威に晒されている。必要なのは獣たちに対抗する手段と人材だ。
手段は紫焔たちが白城の里から与えられた。人材は紫焔がこうしている間も襲撃によってどんどん減っていく。
「私に誰の命を救えと仰るか」
「この国で生きる皆だ。でもまずは、捕まった俺の仲間を助けてくれないか?」
「ご自分でするが良い」
簡潔な否定が返る。
紫焔には身勝手な願いを口にしている自覚があった。しかし、時間はあまりなく、紫焔の体は一つしかない。
理想を語るのはいくらでもできるが、紫焔は己の無力を誰より理解もしている。
一人の人間にできることは限られているのだ。紅蓮ほどの強い男であっても、それは同じである。
「俺は犬狼をなんとかしに行く」
「犬狼……? 拘束できたもの以外はほとんど焼け死んだのでは?」
心底不思議そうな声が返って来た。予想外の反応に紫焔こそが首を傾げる。
「焼け死んだって、七年前にってことか?」
「魔の森に閉じ込めていた犬狼たちは白花草を火種に一掃すると……。なるほど。あれも第二皇子の偽りだったか」
鐘ヶ江は声に困惑と後悔を滲ませ、腑に落ちたように呟く。
紫焔は過去の出来事を思い返し、菜々子に聞いた話が事実の全てではなかったことに気づいた。
「白花草は、集落を燃やすために増やされたって……違うのか?」
「集落を? いえ、そのような話は聞いていない。しかし……所詮は第二皇子の策略のもとで下された命令。本来の目的は伏せられていただけやも知れぬ」
「そうか……」
あるいは第二皇子は、あわよくばどちらもと狙っていたのかもしれない。
鐘ヶ江の言葉通りならば、魔の森に生息していたのはやはり犬狼で、その獣たちを一掃するために白花草を利用した。
そして、同時にどこかの集落にいる可能性が高い王の落とし子を集落諸共焼き殺したかった。一石二鳥を狙った作戦だ。
しかし、作戦はどちらも失敗に終わった。
犬狼は生き残り国を荒らし、次第に国の外まで行動範囲を広げる。
紫焔は偶然にも集落の炎上を逃れ、国外へと脱出した。何もかもが第二皇子の思うようには事が運ばなかったと言える。
「犬狼は生きてる。それどころか数を増やして国の中も外も荒らしてるんだ」
「……なんと」
鐘ヶ江の困惑で漸く合点がいった。
彼はおよそ七年もの間、この地下牢で生活している。国の情報がどこまで彼に伝わっているのか定かではない。少なくとも犬狼については碌に届いていなかったのだろう。
外から届く遠吠えは僅か。意識して聞こうとしなければ気にならない。
責任感の強い鐘ヶ江がこれまで牢に根っこを深く張り続けられたのは、きっと天満月の現状を知らないからでもあったのだ。
「魔の森に生息していた時よりもさらに進化した状態になった犬狼が国民を襲ってる。もう物資も人も足りない深刻な状況だ」
「それは真の話なのか」
実物を見た者でなければ絵空事だと感じても不思議はない。しかし、紫焔はその脅威を目の当たりしている。
軍の者たちも多くが犬狼を討伐するために派遣され、返り討ちに遭っているようだ。既に犬狼の存在は国を揺るがす一大事となっている。
紫焔はこれまで見聞きしたこと、体験したことを短くまとめて全て鐘ヶ江に話した。
「……俄かには信じ難い」
「信じられなくてもいいんだ。ただ、兵士も市民も関係なく皆が命の危険に晒されてるってことは信じてほしい」
鐘ヶ江が思案するように沈黙を返す。
紫焔の言葉を疑っているのか、はたまた受け入れようとしているのか。どちらなのかは分からない。
「俺はこれからもう一度、天満朔月に会いに行くつもりだ。だから鐘ヶ江さんには俺の仲間を助けに」
「それは早計」
紫焔が計画を言い切る前に鐘ヶ江がきっぱりと否定する。
「え?」
「貴殿はその口振りからもすでに一度、新王陛下と対面している様子。しかし、貴殿は捕縛され地下牢に入れられた。もう一度会ったところで同じことを繰り返すのみ。無駄骨です」
「……次は話を聞いてくれるかもしれない」
「それは甘えた考えに過ぎない。対話できる相手と、対話できない相手というものがこの世には存在する。それを理解しなさい」
遠慮のない物言いで指摘され、紫焔は反論できずに口を噤んだ。
「今伺った話が全て事実だと仮定して、貴殿が真っ先にすべきことは二つ」
「はい」
紫焔は咄嗟にその場で背筋を伸ばした。意識せずとも勝手に耳が鐘ヶ江の声に集中する。
相手はかつて左軍大将を務めた男だ。紫焔とは経験値も知識量もまるで違う。彼の口調には他者を導く力があった。
「一つは一刻も早く脱獄し、無事に逃げおおせること。信楽殿が施錠しなかったのは貴殿を助けるためでしょうから」
このままここにいれば、紫焔は数日のうちに処刑台へと送られることになる。指摘は最もだった。
「そして、もう一つはそのまま身を隠すこと」
「脱獄犯だから?」
「それも当然あります。しかし、それ以上にどうやら貴殿は新王陛下にとって許されざる者らしい。刺激せず大人しくしているが吉でしょう」
鐘ヶ江は続けて紫焔に提案する。
「可能ならば信楽殿と接触すると良いでしょう。彼の手引きがあれば身を隠すこともそれほど難しくはない。何を置いてもまずはご自分の命を守るための行動をすべきだ」
鐘ヶ江の言葉を聞いて、紫焔は無意識に拳を作っていた。
逃げ道を用意してくれた紅蓮の顔に泥を塗らないためにも、身を隠すという選択は正しいのかもしれない。しかし──。
紫焔は手の中の牢の鍵を見下ろした。
これは、要たちを救い出せという紅蓮からの伝言のはずだ。
「忠告します。もしまた捕まることがあれば、次は脱獄の余地など残されない。加えて当然ながら貴殿を逃がした信楽殿もただでは済まない」
淡々とした口調ながらも鐘ヶ江の声には重みがある。経験に裏打ちされた彼の言葉は紫焔の中にすんなりと入って来た。
「幸い、地下牢の今夜の巡回は既に終わっている。次に見張り番が中まで確認するのは明日の朝。それだけ時間があれば、脱獄が判明したとしても信楽殿ならば如何様にも言い逃れできるでしょうから。しかし、貴殿が早々に捕まってしまえばお終いです」
紫焔が捕まって脱獄が判明すれば、まず間違いなく紅蓮の関与が疑われるだろう。
「己の命を優先させるべきです。信楽殿のことを思うのであれば」
「でも」
紫焔は頭を左右に振って、足元に視線を落とす。
「身を潜めてる時間なんかない。犬狼は待ってくれないんだ」
「先程の話では軍が動いていると。彼らに任せておけばよろしい」
「軍の人たちはまだ犬狼を制圧できる方法を知らないんだ。それを伝えないと」
鐘ヶ江に返答しながら不意に疑問を抱く。
紅蓮は何故、白花草のことを天満朔月に伝えていないのだろうか。あるいはあえて紅蓮は誰にも伝えずにいるのだろうか。しかし、それでは犠牲が増えるばかりだ。
紅蓮がわざわざそんな真似をするはずがない。
「ならばその方法とやらを信楽殿に託し、貴殿は逃げるべきでしょう。可能ならばこの国の外へ。何が理由かは存じませんが、新王陛下は貴殿を処刑したいようですから。見つからないことが肝要」
──逃げる。
紫焔は瞬いた。
天満月国の外へ、もう一度。国内で懸命に生きる皆の姿を見た後で、自分だけが背を向けて逃げ出す。犬狼に傷つけられ、毎日恐怖と隣り合わせで暮らす人々を置いて。
そんなことは、とてもできそうにない。
「忠告、ありがとうございます」
紫焔は覚悟を決めて隣の牢へと歩みを進める。
「でもやっぱり俺、逃げるのは無理だ。犬狼を倒す。これ以上犠牲になる人を増やしたくない」
「それは貴殿がやるべきことではない。軍の仕事でしょう。新王陛下が采配し、事を治めるのを待つしかない」
「それを待っていたら、皆死んでしまう」
地下牢は相変わらず薄暗く、隣の牢の前に立っても中の様子がぼんやりとしか見えなかった。
鐘ヶ江の姿は影のような輪郭で辛うじて捉えることができる。
「たとえそうであったとしても。貴殿には無関係なことでは? 人命が失われることに心が痛むのは理解しますが、それは貴殿が命を捨てなければならない理由にはならない。悪いことは言わない。すぐにここを立ち去り、生き延びなさい」
「なら、あなたは? 鐘ヶ江さんはどうするんですか」
紫焔は格子越しに見える影に向かって問いかけた。
「私は────今更、私にできることなどない。私はただここで命を終えるまでです」
「左軍大将を務めた人にできることがないなんて言われたら、一体誰に何ができるって言うんだ」
目の前の鉄格子を掴む。
この地下牢でひっそりと生きる鐘ヶ江は、紅蓮のようにきっと多くの者を助ける力がある。その力があって、それでも動かない。理解はできても紫焔には納得ができなかった。
たくさんの人を救える可能性があるのに、自分にはないものを彼は持っているのに、何もしないなんて。否、そんな絶望感を抱くことはお門違いなのだろう。
何のために生きるかは本人が決めることだ。己の無力さに苛立つからといって、それを他者にぶつけていいはずがない。
冷たい鉄格子にはまるで温度がないような虚しさを感じた。
鐘ヶ江はこの寂しい場所で、本当に最期まで生きるつもりなのか。
「私の代わりなどどこにでもいる。誰がなったとて構わない。嘆かずとも良いことです」
「誰でも?」
「左様」
紫焔はいつの間にか前のめりになって額に鉄格子をぶつけていた。顔を上げ、鉄格子に触れていた額を遠ざける。
「じゃあ、俺でもいいよな」
言い返した時、僅かに小窓から外の光が差し込んだ。
はくはくと口を開閉させる鐘ヶ江の表情が見える。そこにあるのは驚愕と呆れだ。
お前に何ができるのだとその顔が語っている。
紫焔は思わず笑った。無謀なことを言うたび、周りの人間は同じような顔をした。自分の無茶な言い分を正当化する気はない。唖然とされるのも当然だ。
それでも、止まることはできない。




