第七章「天満月国その弐」 伍
オリジナル冒険BL風味ファンタジー。
紫焔は牢屋の隣人、鐘ヶ江の過去に触れる。
以下、注意書きです。
・本作品はファンタジーであり、もし実在する人物や会社等と名前が同じであったり類似していても無関係です
・勝手につくった国の名前や文化等も出てきますが完全にフィクションです。現実にある国等は本作には出てきません
・本作品に出てくる全ての呼び名、動植物、無機物等は独自設定であり、もちろんファンタジーです
・戦闘シーン等が出てくる関係から暴力的、流血表現や残酷な描写が出てくる場合があります
・犯罪行為推奨の意図は一切ありません。あくまでフィクションです
当然ながら現実のものではない、空想の話であり設定であり展開となっています。
どうぞよろしくお願いします。
※無断転載、無断使用、無断編集・修正・加筆、自作発言等全て禁止
五.
薄暗い牢屋には紫焔と、元左軍大将・鐘ヶ江の二人しかいない。
「────なるほど。信楽殿は去り際、第二皇子と呼んだ。新王陛下ではなく。彼は昔から先王にすら忠誠を誓わないままの不遜な男であった。どうやら新王陛下への忠誠心などないらしい」
しみじみと呟く鐘ヶ江は、おそらく昔を思い出している。
紅蓮が天満朔月に忠誠を誓っていないのは明らかだ。
彼は繰り返しこの牢で紫焔を痛めつけているふりをしていた。最初の数回以外、まるで本気ではなかったのだ。
先程の紅蓮に至っては紫焔を踏みつけにしていたようでいて、実際には別のものを蹴りつけていた。
それは、紫焔に施されていた手枷だ。その手枷は彼の力で見事に破壊されている。
紅蓮は言葉の代わりに行動で伝えていた。紫焔に”逃げろ”──と。
しかし、脱獄の前に紫焔にはやるべきことがある。紅蓮の思いも汲んで、隣へと向き直った。
「元左軍大将・鐘ヶ江さん」
「……何でしょうか」
「俺と一緒に来ませんか?」
隣の声が途切れる。
迷っているのだろうか。こちらの提案を断るための文句を探しているのかもしれない。答えはすぐに分かった。
「それはできかねます。ご期待に添えず申し訳ない」
随分とあっけなく断りを入れられた。
「そうか……。さっき紅蓮が言ってたけど、鐘ヶ江さんは本当に自分からここに?」
「左様」
地下牢は暗く狭い。居心地の良い空間とは言えない場所だ。自由もなく、孤独感ばかりが増していく。そんな場所に鐘ヶ江は自ら望んで入ったという。
紫焔は違和感に首を傾げた。
「理由を聞いても?」
恐る恐る尋ねると、返って来たのは沈黙だ。他人においそれと話したくなかったのだろう。
紫焔は申し訳なく思って、見えもしないのに隣の牢に向かって頭を下げた。
「ごめん。言いたくないなら……」
「信楽殿も仰っていた通り、贖罪です」
「贖罪」
それはあまりに重々しい言葉である。
静かな地下牢で、互いの声だけが僅かな反響を伴いながら耳に届く。それが妙に物悲しく感じさせた。
「私には許されざる罪がある。それを贖うことはできませんが、せめてもと考え、ここに来た次第」
「……鐘ヶ江さんは、一体いつからここに?」
「天満月国が炎に包まれた日の後すぐに」
紫焔は息を呑んだ。
つまり彼は、およそ七年もの間この地下牢に留まっていることになる。気が遠くなるような時間である。しかし、このような場所にそれほど長く居続けて尚、贖罪は果たせていないと言っているのだ。
「そんなに長く……一体何の罪で」
「国民の多くを犠牲にし、右軍をみすみす壊滅状態にさせ、先王と第一皇子を守れなかった罪で」
滔々と語られた罪状。
天満月が揺らいだあの日の出来事すべてが、まるで己の罪であるかのような言い分だ。
「鐘ヶ江さんは元左軍大将ですよね。左軍は第二皇子の指揮のもと動いていたのだと思ってました……」
「正しい認識かと。しかし、より正確さを求めるのであれば『病に臥せっていた王に代わって第二皇子が王の言葉を我々に伝えてくださっていた』と、私は思い込んでいた」
寝耳に水の情報だった。
紫焔は驚いて壁際に身を寄せる。一言一句聞き漏らさないために。
「王が臥せっていた? そんな話、初めて聞く」
「情報は規制されていましたので。王の容態を把握していた人間は極僅か。実子である第一皇子、第二皇子。側近である専属護衛。王の病を看る専属の医師。そして、私」
天満月国は先王・天満満月の頃、国力が弱っていくばかりだった。
そこに王の体調不安などが流布されれば周辺諸国に餌を撒くだけだ。不用意に国民の不安を煽ることにもなる。
よって王の病は近しい従者たちにのみ伝えられ、政の指揮は第一皇子が執っていたのだと鐘ヶ江は語った。
そんな綱渡りの状況は暫く続く。しかし、ある日。
第一皇子が倒れた。
当初は過労による体調不良だろうと考えられていたが、次第に症状は悪化し、とうとうまともに起き上がれない状態に陥る。
そこで次に指揮権を持つ者として白羽の矢が立ったのが、第二皇子・天満朔月だ。
彼が王の代理として政を行っていた。天満月国が戦場と化したのはその後すぐのことになる。
「私は愚かにも、第二皇子の言葉に従うだけの傀儡と化していたのです。王に続き第一皇子の病で冷静さを欠いていたなど、言い訳にもならない」
「あなた自身が国盗りに加担していたんじゃなく、騙されてたってことですか」
「……大将にあるまじきことです。私を信じた左軍の者たちも多くがこの謀に巻き込まれてしまった。王の命だと信じて」
忠義の心を利用され、鐘ヶ江たちは国家転覆の一助となってしまった。
彼の絞り出すような声には、七年という月日が経過しても尚残る後悔と憤りが籠っている。
七年前、もしも鐘ヶ江が紅蓮と共に手を取り合って戦っていたら。もしも鐘ヶ江が今も自由の身であったなら。
彼ら二人が隣り合い、時に背を預け合いながら進むことができていれば、どれほどのことを成し遂げられただろう。紫焔は思わず夢想した。
それは、実現できない夢の物語だ。
ひんやりとした空気に包まれる地下牢で鐘ヶ江の声が重々しく響く。
「お分かりいただけただろうか? 私にはここを出る資格などないのです」
──私を置いて、今すぐあなたは牢を出なさい。
鐘ヶ江は躊躇なく紫焔の脱獄を催促する。しかし、紫焔は踏み出すことを躊躇っていた。
彼が抱える後悔は、紫焔が抱えるものと類似している。そう思えてならない。自分の所為で多くの犠牲を生んでしまったという、取り返しようもない後悔。
鐘ヶ江は人々を導く立場にあった。その分、重い責任を感じている。
命を落とした人々は、鐘ヶ江を恨んでなどいない──とは、紫焔には根拠もなく口にできなかった。きっと彼には慰めの言葉にもならない。
慰めを必要としていないからこそ、彼は一人でこの地下牢に入っている。死を選ぶことさえなく。
紫焔は顔を上げた。
「死ぬまでここで生きるつもりですか?」
「ここで死に行くことこそ残された唯一の我が宿命と存じている」
「……それはあなたが勝手に決めたことだ」
覚悟の決まった声に、紫焔は真っ向から反論した。
鐘ヶ江は誰かに命じられてここにいるわけではない。ましてや、犠牲になった人々に要求されてここに来たわけでもない。
すべて己で決め、己の望む通りにこの地下牢で生きている。それは贖罪ではない。
少なくとも、紫焔はそんなものを贖罪だと思いたくなかった。自分自身の誤った贖罪を知るからこそ尚のこと。
「罪の償い方の正しい方法なんてものは俺には分からない。もしかしたら正しい方法なんて……ないのかもしれない。でも、鐘ヶ江さんはここで生きるよりもっと別に、何かできることがあるんじゃないのか」
「のうのうと外の世界で生きよと仰るか。助言など無用の親切です」
きっぱりと言い切った鐘ヶ江はこれ以上の会話を拒むように沈黙した。
「あなたを信じてついて来てくれた左軍の人たちは、皆いなくなってしまったんですか? まだここに、軍に残っている人もいるんじゃないですか?」
隣から返答はない。紫焔は構わずに続けた。
「鐘ヶ江さんが牢の中で命を落としたとしても、きっと何も変わったりなんかしない。消えた命は戻らない」
視界が歪んでいく。紫焔は涙が零れ落ちないように堪えた。
「彼らが、彼女たちが、救われることはない。それで救われるのは自分の心だけだ……」
彼の決意を嘲笑いたいとは思わない。紫焔自身、己の罪を背負いきれず長年思い悩んでいる。
紅蓮と再会し、ついに罪を贖う時が来たのだと勝手に覚悟を決めた。その結果、雪花が最期に言葉を残した大切な相手である紅蓮を深く傷つけた。──これの何が贖罪なのか。
思い上がりだった。紫焔には、この世を去った雪花の思いは分からない。彼女が紫焔に何を望むのか。そんなことはきっと一生分からないままだろう。
失った過去に何度問いかけても答えは返って来ない。まだ分かる可能性があるのは、紅蓮がどうしたいかということだろう。
今ならまだ、紫焔は彼の口から彼の望みを直接聞くことができる。
冷たい牢の地面に手を置き、紫焔はゆっくりと立ち上がった。手首に引っかかって残っていた手枷の片割れを外して落とす。
「でも鐘ヶ江さんが牢から出て変わることはある」
「詭弁はそこまでに」
「鐘ヶ江さん。俺も、俺の所為でたくさんの人を傷つけた。無関係の人を巻き込んで、命の危険に晒して……どうやったらそんな人たちに責任を取れるのか今も分からない。これからもずっと悩み続けると思う」
焦土と化した集落。追手に狙われる事態となってしまった要。多くの顔を思い出して、紫焔は俯いた。
──地面に正解の答えが転がってんのか? 進まなきゃ何も掴めねぇぞ。前向け
天満月国に入る前に要から言われた言葉だ。
紫焔は顔を上げて一歩、踏み出す。
「答えは出ない。どれだけ悩み続けて過去を振り返っても、起こったことはもう誰にも変えられない」
「……左様なことは承知しているとも」
次第に鐘ヶ江から返ってくる言葉に憤りが含まれていく。
紫焔の言い分など、彼からすれば幾度も自問自答してきたことなのだろう。今更なのだ。それでも、自分で自分に問うのと他者から問われるのではまた違うはずだ。
自らこの地下牢に入った鐘ヶ江は、これまで誰かに問われたことがあったのだろうか。恐らくない。問われる前に、自らを罰してしまったために。
何のためにここにいるのか。何を望んでいるのか。
これが本当に贖罪となるのか。
それは非情で、厳しい問いかけだ。




