第七章「天満月国その弐」 肆
オリジナル冒険BL風味ファンタジー。
牢に囚われた紫焔のもとに、紅蓮がやって来る。しかし、彼の態度は冷ややかで紫焔は警戒心を抱く。
以下、注意書きです。
・本作品はファンタジーであり、もし実在する人物や会社等と名前が同じであったり類似していても無関係です
・勝手につくった国の名前や文化等も出てきますが完全にフィクションです。現実にある国等は本作には出てきません
・本作品に出てくる全ての呼び名、動植物、無機物等は独自設定であり、もちろんファンタジーです
・戦闘シーン等が出てくる関係から暴力的、流血表現や残酷な描写が出てくる場合があります
・犯罪行為推奨の意図は一切ありません。あくまでフィクションです
当然ながら現実のものではない、空想の話であり設定であり展開となっています。
どうぞよろしくお願いします。
※無断転載、無断使用、無断編集・修正・加筆、自作発言等全て禁止
※紫焔視点
四.
今は何時だろうか。
紫焔は牢屋の小さな窓から外を眺めた。
夜なのは間違いない。冷たい沈黙が牢の中を支配している。
隣の牢には人の気配があった。しかし、こちらから何度声をかけても応じる声はないままだ。
紫焔はすっかり手持ち無沙汰になってしまった。
気を抜くと沈みそうになる気持ちを誤魔化すために、外から漏れ聞こえる音に意識を集中する。
ずっと遠吠えのような鳴き声が微かに聞こえていた。
犬狼がまた街に現われたのかもしれない。先に捕らえられていた要と菜々子は無事だろうか。
それに──紅蓮は今、どこで何をしているのだろう。
天満朔月の従者になった。否、最初から従者だった。
明かされた内容に、紫焔は朔月の思惑通り混乱していた。
それでも、冷たい牢の中で静かな時間を過ごすうちに動揺が薄まっていく。
時の流れというものは実に偉大だ。紫焔は失われていた冷静さを徐々に取り戻し始めていた。
──会ったばかりの朔月の言葉より、紅蓮の言葉を信じたい。
そのためにはまず紅蓮と話さなければ。しかし、このままでは永遠にそんな機会は得られそうにない。
牢の中で、審判の時を大人しく待っている場合ではないというのに。
紫焔は奮起して身を起こした。
犬狼を制圧するには紅蓮の力も、彼が持つ白花草の毒も必要不可欠だ。
「誰かいないか!」
紫焔は鉄格子にしがみついて声を上げた。牢の外には見張りが立っているはずだが、返事はない。
しかし、返事の代わりにこちらへ下りて来る足音が聞こえてくる。足音は三人分。
紫焔は固唾を飲んで現れる三人を待つ。やがてやって来たのは紅蓮と、年若い二人の兵士だった。
三人は何故か紫焔の牢屋の鉄格子を開錠した。
当然ながら、釈放ではないだろう。
紫焔は不穏な気配に警戒心を抱く。反射的に一歩後退した。そこでようやく紅蓮の顔がはっきり見えた。
見慣れたその顔の目許に一線の傷がついている。紙で指を切った時のような薄い傷だ。先刻再会を果たした時は気づかなかった。それだけ動揺していたらしい。
「それどうしたんだ」
紫焔は咄嗟に、いつものような調子で声を掛けた。自身の目許を示して紅蓮の傷を指摘する。
紅蓮は不意を突かれたかのように僅かに瞠目した。
「お前には関係のないことだ」
一瞬で動揺を無表情の下に隠す。紅蓮の返答は冷ややかだ。そのつれない態度に紫焔は唇を噤むしかない。
紅蓮が一歩、紫焔に近づくように踏み込んでくる。その瞬間、ぞわりと背筋に悪寒が走った。
──殺気
紫焔は生存本能を呼び起こされる。意識するより先に反応し、全身に緊張を漲らせた──直後、腹部を衝撃が襲う。
紫焔の体は容易く吹き飛び、狭い牢の壁にぶつかって地面に落ちた。紅蓮に蹴り飛ばされたのだ。
あまりの衝撃を受け止めきれず、紫焔は激しく咳き込む。躊躇のない一撃に兵士たちが息を呑んだ。
「さ、さすが信楽殿」
「容赦ないですね」
「”かつて味方だと思っていた相手が折檻する”などと提案されるとは。信楽殿も人が悪い」
「ですがたしかにこれは良い余興だ」
兵士たちは恐々と顔を引き攣らせながらも紅蓮の対応を褒め称えた。
二人が白々しいほどにおべんちゃらを述べる。彼らはぺらぺらと口を動かすが、紅蓮は僅かも興味を持たない。
若い兵士たちの顔に汗が浮かぶ。焦りと畏れ。二人は、紅蓮の暴力の矛先が自分たちに向かないよう必死なのだ。
彼らは真実、紅蓮という強者に怯えている。
紅蓮は兵士たちの恐怖を無視して紫焔に向き直った。その表情にはもう殺気はなく、普段の無表情に戻っている。
紫焔は横向きに倒れたまま紅蓮を見返す。二人の視線が交わった。
紅蓮は視線を逸らさずに口を開く。
「処刑台に送られる前に、お前に言っておきたいことがある」
「……何」
こちらを見下ろす紅蓮の双眸は冷ややかだった。わざとらしいまでに。
「お前にはこれまで散々迷惑をかけられた。こちらの忠告は聞かない。無鉄砲に飛び出して危険を招く。いい加減、愛想も尽きるというものだ」
耳が痛い。
紫焔は反論の言葉を用意できず、腹部の痛みに呻くことしかできない。
「おまけに以前食べさせられたお前の手料理などひどいものだった。芋の味しかしない。俺はあの味を生涯忘れないだろう」
感情の籠らない声で冗談みたいなことを言った紅蓮は、紫焔の腹部をもう一度蹴り上げた。
紅蓮の唐突な言葉に兵士たちが一瞬、困惑する。しかし、すぐに気を取り直して笑い出した。相手の機嫌を窺う愛想笑いだ。
「信楽殿、なんですそれ。まずいメシの恨みですか」
「食べ物の恨みは恐ろしいって言いますからねぇ」
兵士たちの声を聞きながら、紫焔は何度も咳き込んだ。追い打ちをかけるように紅蓮の足がこちらの体を踏みつける。
「俺の言いたいことが分かるか?」
紫焔はそっと紅蓮を見上げた。
「芋の味しかしない料理は、後にも先にもお前のものだけだ」
温度のない赤銅色の瞳を見つめ返し、紫焔は瞬く。彼の言葉が真っ直ぐに頭に響いた。
そして再び、腹部に衝撃が走る。
幾度も繰り返される暴力は、まるでその時間が永遠に続くかのように周囲の者たちに錯覚させた。
どれほど時間が経過したか分からない。
前触れなく紫焔の体から足をどけた紅蓮は、背後の兵士たちを伴って牢を後にした。
残されたのは、冷たい地面に倒れ伏す紫焔一人だ。
蹴られた腹部がじんと痛みで疼く。
「手加減しろよ、ばか……」
紫焔はぽつりと文句を言った。口では愚痴を零すが、その顔には絶望の色はない。
紫石英のごとき瞳は紅蓮が去った地下牢の先をじっと見つめていた。
それから連日、紅蓮は同じ兵士たちを連れて紫焔の牢へとやって来た。
彼らが訪ねてくる数分か数十分の間、紫焔は暴力に晒されている。しかし、兵士たちは一切手を出してこない。常に紅蓮が紫焔に暴力を振るってきた。
日を追うごとに脇で控えている兵士たちの顔色が悪くなっていくことに、紫焔は気づいていた。紫焔が気づいているということは当然、紅蓮も気づいているだろう。
今日もいつも通り、兵士たちを引き連れて紅蓮がやって来た。こちらを射抜くような視線とかち合う。
紅蓮は容赦のない一撃を紫焔の腹部に見舞った。初日に受けた蹴りと同じ威力だ。しかし、紫焔はこれを予期していた。衝撃を上手く受け流しながら、盛大に咳き込んだ。せいぜい、苦しみに呻いている様子に見えるように。
紫焔の体から足をどけた紅蓮は、後ろで控えていた兵士たちを振り返って首を傾ける。
紫焔からは紅蓮の後頭部しか見えない。それでも肌がぴりぴりと粟立つのを感じる。紅蓮は殺気を纏っていた。
「最後まで見ていくつもりなら数日は飲み食いできない覚悟をしろ」
「え、と……」
「でも新王陛下が、二人にはするなって」
「そんなものいくらでも取り繕ってやる。どうせこいつの醜い様を見せれば納得せざるを得ないだろう」
紅蓮の提案を受けて兵士二人が顔を見合わせて頷き合う。
「死なない程度に止めてくださいね」
「上で待機してますので」
兵士たちは紅蓮に頭を下げ、鍵を渡してそそくさと牢を出て行く。ようやく解放されたと彼らが安堵しているのが分かった。
二人の気配が完全に消えた後、再び紫焔に視線を戻した紅蓮は「新王陛下が」と口にした。
「お前を退屈させないようにしっかりと甚振ってやれとご命令だ」
がん、と鈍い音が牢屋中に響く。
「長い旅で迷惑をかけられた分、存分にやらせてもらおうか」
紅蓮はそう言って踵を落とし続ける。永遠とも思えるような時間、地下牢には衝撃音が響いた。
しかし、不意に紅蓮が動きを止めた。隣から制止の声がかかったからだ。それは、頑なに沈黙を守っていた隣の牢の住人だった。
「もうそのへんでやめておかれるがよろしい」
その声に紅蓮はぴたりと足を止め、隣へ顔を向けた。
隣の牢から更に声が届く。
「殺してしまう」
老獪ささえ感じさせるその声を聞いて、紅蓮が僅かに居住まいを正す。
「懐かしい声だ。戦死は偽りで実は自ら牢に入ったという噂は本当だったらしい」
「……こちらこそ貴殿が戦場で命を落としたと耳にした時、まさかと疑ったものだ」
紅蓮が失われた日々を懐かしんで双眸を細める。
奥の牢屋に顔を向けた彼は、淡々とした口調はそのままに少しだけ温度をのせた声で提案した。
「贖罪は十分だろう。そろそろ牢を出てはどうだ? 元左軍大将・鐘ヶ江殿」
「私は生涯ここで過ごす覚悟をしている。そして、贖罪に十分などという言葉は相応しくない。元右軍大将・信楽殿」
「……残念だ」
紅蓮が呟く。
「謝罪の言葉もない」
隣から返って来たのは期待した返事ではなかった。
紅蓮は興が削がれた様子で紫焔の牢を出た。牢の中で横たわる紫焔を振り返り、最後通告とばかりに口を開く。
「お前の仲間は西の牢に閉じ込めている。安心しろ。すぐにでもお前の後を追うことになる。お前のような玉座に座る覚悟もない者とは違い、第二皇子は甘くはない」
精々残りの時間を満喫しろ、と告げて紅蓮は紫焔の牢から出て行った。
「明日の朝、また来る」
地下牢を立ち去る間際、紅蓮は紫焔を振り返りもせずに言う。そして、さっさと階段を上がっていった。彼の足音が徐々に遠ざかり、次第に消えていく。
紫焔は息を殺して気配が完全に遠のくまで待った。
暫くして、これまで一切干渉してこなかった隣人の鐘ヶ江が紫焔に声をかけてきた。
「もし、どなたかは存じませんが。息はありますか」
紫焔は大きく息を吐いて咳き込んだ。その音を聞いて鐘ヶ江が安堵した様子で声を和らげる。
「ではすぐにここを立ち去りなさい」
腕を突っ張って身を起こし、紫焔は隣の声に耳を傾けた。
「信楽殿はうっかり施錠せずに立ち去った。今なら脱獄可能かと」
「おっちょこちょい、だな」
茶化すように返す。
紅蓮は失態を犯して施錠せずに出て行ったわけではない。そんなことは、紫焔も鐘ヶ江も最初から分かっている。
紫焔はそっと折りたたんでいた指を広げた。
その手のひらには、先程の折檻の最中に紅蓮からこっそり渡された牢の鍵が二本ある。
紫焔がこれを紅蓮からくすねて勝手に逃亡したように見せかけろということか。
託された鍵は二つ。一つはこの牢の鍵。もう一つはきっと西の牢のものだ。
要と菜々子を救い出すために必要不可欠な鍵である。
紅蓮が何を伝えたかったのか、紫焔にははっきりと理解できた。それは決して兵士たちには伝わらない。紅蓮と紫焔の二人の間だけにある共通認識。
「芋の味だけがした、か」
「先日のそれは妙に稚拙な文句でしたが」
鐘ヶ江の不可解そうな声に紫焔は微笑んだ。
「紅蓮が伝えたかったのは料理の感想じゃない」
毒が仕込まれることのない、純粋な芋だけの味。
後にも先にも紫焔の料理にだけ感じた味。分かりにくいことこの上ない。しかし、これほど明快な本音の示し方もない。
──裏切りはない。過去も未来も。
紅蓮の思いはここに在る。
紫焔はぎゅっと鍵を握り締めた。




