兄の帰国
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リアという青年(?)は、元気になると、何故か宮の中で働き始めた。
一応、念のため、何かあるといけないから、女性物の服を着ていたのだが、気が付くとそのまま下働きの女性たちと一緒に楽しそうに洗濯をしたり、掃除をしたりしていた。
ちなみに料理は無理っぽい、という本人からの自己申告により、調理場には近付いていないらしい。
「リア様、そのようなことは……!」
「俺の方が背が高いんだから、これくらいやらせて」
洗濯物を高いところに干す作業を、最近はリアが担当している。
そのせいか、白かった手もほんの少し赤くなり、手荒れが起き始めているそうだ。
それを聞いたファイサルは、よく効くという噂の手のクリームを侍女全員に配るという荒技に出た。
ファイサルが何か贈っても断る傾向にあるリアに少しでも使ってほしくて、全員に配るという手段に出たのだ。
全員に行き渡っていればリアも変な遠慮はしなくて、素直に受け取ってくれる。何度か贈り物に失敗してファイサルはそのことを学習した。
服も、本当は貴族令嬢が着るような物を用意したかったのだが、本人が動きやすい服を希望して、無難なワンピースを着ている。
一応、ファイサルの客人として宮に滞在しているが、リア本人は自分はそんな人間じゃないと思うんだよねー、と言って気軽に宮の中を動き回っている。
外にだけは出ないように、と注意したので、そこだけはきっちり守っている。
最初は恐る恐る話していた宮の人間も、リアがものすごく気軽に話しかけてきて、何でも嫌がらずにやるので、自然とリアと仲良くなって皆でわいわい仕事をしている。
「……リア様、すごいですね。あれ、マネしようったって出来ないですよね。天性のものですよね」
ファイサルとユセフは、今度は楽しそうに庭にいるリアたちを見ていた。
二人がいる部屋の窓からは中庭がよく見えて、リアを中心とした侍女たちが、室内に飾る花を選んでいるようだった。
日差しが強くなってきたのか、侍女がリアに日よけの布を被せるのが見えた。せっかく光を反射して綺麗に輝いていたブルーグレーの髪が隠れてしまった。それに背をこちらに向けているので、リアかどうかも分からなくなってしまった。
「あれで記憶は戻っていないらしいぞ」
「素直すぎて、疑いようもないですから」
相変わらず記憶は戻っていないようだが、不安定になることもなく、リアは毎日どこかしらで何かをしている。
ファイサルもそれで気が紛れるなら、と宮の中では好きにさせていた。
「そういえば、イスハーク殿下がお戻りになられたそうですね」
「あぁ、この後、会いに行く。兄上からイール・シャハル帝国についても聞いておきたいし」
すぐ上の異母兄はイール・シャハル帝国に使節団の一員として行っていた。
商業系の話をいくつかまとめ、帝国内のあちらこちらに移動して顔を繋いできたそうだ。
「一の兄上は、あちらの辺境伯の結婚式に出ただけですぐに帰国されたからな。話は三の兄上に」
「申し上げます!」
執務室の扉が開いて、慌てた兵士が入ってきた。
「どうした」
「はっ!ただ今、イスハーク殿下がお越しになりました」
「兄上が?すぐにこちらへ」
ファイサルが言い終わる前に、イスハークが姿を現した。
「兄上!」
ファイサルがすぐに異母兄を歓迎した。
「お帰りなさい、兄上」
「あぁ、ただ今」
イスハークが近付いて来ようとしたファイサルを制して、自らが窓の方に近付いて来た。
「何を見ていたんだ?」
「庭です」
ファイサルが見ていたものが気になったのか、イスハークも一緒に庭を見た。
「ほう、綺麗に花が咲いているな」
この国特有の色鮮やかな花や緑が美しい。
その庭で侍女たちが花を摘んでいる姿を見て、イスハークは自然と口元をほころばせた。
侍女たちは頭から日よけの布を被っているし、全員花の方を見ているので顔は見えないが、楽しそうな雰囲気だけは伝わってきた。
「イール・シャハルはいかがでしたか?」
「あぁ、いくつかいい商談がまとまった。またいつか行きたい国だよ」
窓から離れてソファーに座ると、ファイサルも向かいのソファーに座った。
「そうですか。次回は、俺も一緒に行ってみたいです」
「そうだな。ファイサルも一緒に行こう。色々と勉強になるはずだ」
「婚約者が出来るかも、と言ってましたけど、出来ましたか?」
それはイスハークが出発する前の日に、兄がにやっと笑いながら冗談で言った言葉だ。
弟から見ても兄はカッコイイ男だと思うので、あながち冗談で済まないかも、と密かにファイサルは思っていた。
「…………婚約者…………はぁ」
ファイサルの質問に、イスハークが深くため息を吐くという想定外の反応を見せたので、ファイサルの方が慌てた。
「あ、兄上?どうかしたんですか?」
「……ファイサル、失恋は辛いな」
「は?兄上が失恋したんですか?一体、どこの誰に?」
兄を、第三王子たるこの兄を振る人間なんているのか?
「……一目惚れ、だったんだ」
「なら、どうして連れて帰ってこなかったんですか!兄上は砂漠の男でしょう?」
力で奪う。砂漠の男は、そういう部分がある。もちろん、他国の人間だと多少は問題になるかもしれないが、兄はこの国の第三王子なのだ。多少のことなら何とか出来る。
「無理だ。相手は身分ある既婚者で、しかも新婚だったんだ。俺は、その新婚旅行の最中に出会って一目惚れをしたんだよ」
「政略とかなら」
「いや、あれは溺愛だった。相思相愛というものを体現していた。あの絆の中に入るこむ余地などなかった。相思相愛の二人の仲を壊すような無粋なまねは出来ない」
「兄上……」
苦しそうな顔でそう言う兄に、ファイサルは何と言ってなぐさめたらいいのか分からなくなった。
「少しでも嫌がっているようならお前の言う通り奪ってでもこの国に連れて来ていただろうが、相手に向ける笑顔が、俺と話をしていた時と全く違ったんだ。あれだけ信頼を全面に出した笑顔を向けられれば、あちらは全力で愛し、守るだろう」
「兄上」
「生まれて初めて完全なる失恋というものを味わったな。だが、それ以外はいい思い出ばかりだ。ファイサルもいつか誰かに恋をするかもしれないが、その時は俺みたいな思いをしないといいな」
「そう、ですね」
ファイサルの脳裏にチラリとブルーグレーの髪が浮かんだが、すぐに消した。
「今日は顔を見たかったのと土産を持ってきただけなんだ。近いうちにイール・シャハルについては教えてやる」
「はい、兄上。まずはゆっくりお休みください」
ファイサルは、帰国したことで少しでも兄の心が穏やかになるように祈ったのだった。
窓の外…………。




