第8話 あなたの家も、この道で儲けています
腐りかけて酸い匂いを放つ野菜の山。その手前で私が指し示した書類の束に押されていたのは、まぎれもない『ヴァルモント公爵家』の獅子の紋章だった。
この関税倉庫の業務を請け負い、滞留時間に応じた保管料と優先手続き料を収入にしていた仲介業者たち。その運用益を最も多く受け取る出資者が、オスカーの生家であるという事実。
同行していた内務局の役人たちは、一斉に顔を見合わせて言葉を失った。
「その印章は、本当に我が家の出資印なのか」
オスカーは書類を手に取り、裏面の登録番号まで確かめた。顔色が変わったのは、印章が偽造ではないと分かった時だった。
「違法な結託を示す資料ではありません」
私は、彼のヒステリックな声を静かに制した。
「先ほども申し上げた通り、彼らは現行の法律には違反していません。そしてヴァルモント公爵家も、この関税倉庫の歴史ある最大の出資者として、規定通りの『配当』を受け取っているだけです」
「配当、だと……?」
「ええ。仲介業者が集めた莫大な保管料は、倉庫の運用益として出資者へ分配されます。古い制度のままなら、荷馬車が渋滞して待機時間が延びるほど、公爵家の金庫は自動的に潤う。ただ、それだけの事実です」
その構造自体が問題なのだ。悪意がなくても、制度の歪みが誰かの利益を生み、それが現場の御者たちを寒空の下で凍えさせ、王都の医療を危機に陥れている。
公爵家が法を犯しているわけではないと知り、オスカーは目に見えて安堵の息を吐いた。そして、すかさず自らの正当性を主張し始めた。
「な、ならば……私は、そんな仕組みになっていることなど全く知らされていなかった! 私は次期交易委員候補として、常に高所から大局を見ているのだ。現場の泥臭い資金の流れなど、報告に上がってこなければ知りようがないではないか!」
彼は周囲の役人たちを見回し、同意を求めるように胸を張った。
「もし知っていれば、私は即座に父上に具申して、このような悪習は正していたはずだ。私が知らなかったのは、実務を担う者たちが大局を担う私に対して、正しい情報を上げるのを怠ったからに他ならない!」
自分が無知であったことを「下の者の報告怠慢」にすり替える。それが、彼が社交界で身につけた処世術だった。
役人たちの間に、「確かに公爵家の嫡男が、いちいち現場の手数料の仕組みまで把握しているわけがない」という同情的な空気が流れかけた、その時だった。
「知らなかった、ですか。それは奇妙ですね」
冷ややかな、しかしよく通る声が響いた。
白梟商会の会頭、ノア・ベルクが一歩前に進み出たのだ。彼の口元には、獲物を逃がさない狩人のような笑みが浮かんでいる。
「オスカー卿。あなたは『報告が上がってこなかったから知らなかった』と仰いましたね。ですが、私の記憶が確かならば、この倉庫運用の構造的な欠陥については、すでに正式な報告がなされているはずですよ」
「なんだと……?」
ノアは、背後に控えていた商会の部下に顎でしゃくった。部下は素早く分厚い革鞄を開き、一綴りの古い公文書の写しを取り出してノアに手渡す。
「これは五年前、城門の到着時刻の集中という渋滞問題が解決された直後に、商業連盟から王宮へ提出された『倉庫運用に関する改善要請書』の控えです」
ノアは書類をパラパラと捲りながら、よく通る声で読み上げた。
「『荷馬車の到着時刻を分散させても、滞留時間に応じた保管料の徴収制度が残る限り、倉庫内での意図的な処理遅延が利益を生む構造は変わらない。速やかな制度改定を求む』。……当時、リディア嬢が作成した原案を元に、我々商人側が必死の思いで提出したものです」
オスカーの顔が、わずかに引き攣った。
「当時はまだ次期委員候補ではなかったかもしれない。だが、公爵家の名代として王都の交易折衝に関わる立場にあったあなたの手元へも、当然、この報告書の写しは届けられていたはずです。違いますか?」
「そ、そんな五年前の紙切れ一枚のことなど……いちいち覚えているわけがないだろう! それに、ただ送られてきただけで、私が目を通したという証拠がどこにある!」
「個人が読んだ証拠は、この控えにはありません」
ノアは書類の表紙裏を開いた。王宮の受付印と、ヴァルモント公爵家名代室へ送付した日付が並んでいる。
「ですが、報告が上がらなかったという説明は成り立ちません。名代室までは、正式な経路で届いています」
「ならば、名代室の書記が私へ回さなかったのだ」
オスカーは即座に言い直し、周囲へ同意を求めた。
けれど、先ほどまで頷きかけていた役人たちは、誰も彼と目を合わせなかった。届いていないと言い切った直後に、今度は書記のせいにする。その言葉を、次の交渉でも信用できるかを測っている顔だった。
「名代室は便利な場所だな」
ザフィルが配布記録を一瞥した。
「報告を呑み込み、主人の耳だけを清潔に保つらしい」
オスカーの得意な社交の場で、最初に失われたのは拍手ではなかった。彼の説明を信じて頷く者の数だった。




