第31話 読まなかった報告書
宰相府の机に、オスカーの審査申立書が置かれていた。
向かいにはディートリヒ宰相。申立人のオスカーと私のほかに、マリアンヌ様も同席している。建国祭以前に彼から受けた説明が審査対象に含まれるため、彼女自身が証言を申し出たのだという。
「私は、報告書が届かなかったとは申し上げていません」
オスカーは立ったまま、乱れのない口調で始めた。
「公爵家名代には、毎月、数十の部署から文書が届きます。重要度を整理し、意思決定に必要な要点を上げるのは作成部署の責務です。ところが、私が受け取った書類の表紙は『駅路監督局』『セヴェラン伯爵家調査班』となっていた。リディア個人が国家級の働きをしたと、私は説明されていませんでした」
全部が嘘ではない。公文書の主語は部署名で、名代が全原票を読むことも現実的ではない。
「ゆえに、私が彼女を正しく評価できなかった責任のすべてを、私一人の怠慢とするのは公平ではない。報告の仕方にも不備があったと、適格審査で考慮していただきたいのです」
宰相は私へ視線を移した。
「申立てに対する記録はあるか」
「はい」
私は鞄から、三枚だけを取り出した。
商業連盟の倉庫改善報告。北境軍の補給報告。アルセリアとの外交報告。
三枚を机へ並べると、紙の端が乾いた音を立てた。
「表紙の主語が部署名なのは、オスカー様のおっしゃるとおりです」
私は一枚目を開いた。
「ですが、どの文書にも一頁目の要約があります。ここです」
倉庫報告には、到着時刻の分散案と保管料の問題を、リディア・セヴェランが調査・起案したと一文で記されている。
北境軍報告には、小箱中継案の起案者として私の名がある。
外交報告には、度量衡の差を照合した記録補佐官として、同じ名がある。
そして三枚とも、受領欄の筆跡はオスカー本人のものだった。
「署名したことは認める。だが、受領は内容への同意ではない」
「そのとおりです」
私は頷いた。
「ですから、署名だけで、内容を理解したとは申し上げません」
オスカーの目がわずかに動いた。
私は各文書に留められた、小さな送付票を示した。いずれにも、要約説明の日付と、面会先が記録されている。
「商業報告は五年前、北境報告は同じ年の冬、外交報告は三年前。私はお渡しした日に、あなたへ要点を説明しました。あなたは三度とも、部署の仕事なら書記へ置くように、とおっしゃいました」
その時の言葉を、完全に覚えているわけではない。けれど、面会時刻と送付票は残していた。私にできるのは、記憶を飾ることではなく、確かめられる範囲を示すことだけだ。
「私は、話していました。記録も、あなたのところまで届いていました」
私は三枚の署名を見た。
「私には、それ以上、関心を持っていただく方法が分かりませんでした」
部屋が静かになった。
オスカーは何か言いかけ、やめた。書類が多かったことも、表紙が部署名だったことも事実だ。だが、一頁目の要約を読まず、説明を途中で書記へ回したのは、報告制度だけの責任にはできない。
マリアンヌ様が、三枚目の受領欄から顔を上げた。
「オスカー様。あなたは私に、リディア様は公爵家へ何の貢献もせず、両家もその点を理由に解消へ合意した、と説明なさいました」
「私は、当時そう理解していた」
「理解を確かめないまま、私にも事実として伝えたのですね」
彼女は青ざめていた建国祭の夜より、ずっと落ち着いていた。
「正式な確認が済むまで、私は結論を保留しました。今、確認できました。あなたとの関係は、ここで終わりにします」
オスカーは彼女を引き止めなかった。マリアンヌ様は宰相へ一礼し、自分の足で部屋を出た。
ディートリヒ宰相は、三枚の報告書と申立書を重ねた。
「報告制度に改善の余地があることと、卿が要約を読まなかったことは別の問題だ。申立ては、適格審査で責任を減ずる理由にはならない」
「……承知しました」
オスカーの声から、初めて滑らかさが消えた。
衛兵に引き立てられることも、膝をつくこともなかった。彼は自分の署名がある三枚を見て、礼をして退出した。
私は書類を鞄へ戻した。勝ったという高揚はなかった。ただ、七年間のうち三度、確かに渡した紙が、ようやく同じ机の上で読まれた。
「さて」
宰相が新しい封筒を取り出した。
「三十日の任期が終わる。次は、君自身の仕事について話そう」




