第30話 答えは危機が終わってから
ノア、ジュリアン殿下、ザフィル。三人からの求婚は、それぞれの理由で取り下げられた。
建国祭の夜に差し出された四通のうち、残る求婚書はレオンハルトの一通だけになった。
三人の求婚取り下げは、理由を伏せたまま王宮へ公示された。噂は立ったが、賭けの中止命令が効いているのか、私の執務室まで押しかける者はいなかった。
代わりにエステルが持ってきたのは、宰相府の受付印がある審査申立書の写しだった。申立人はオスカー。過去の報告書では、リディア個人の関与が名代へ十分に説明されておらず、自分の判断は不完全な情報に基づいたものだった――そう主張し、次期交易委員候補の適格審査で考慮するよう求めている。
悪意ある告発というより、責任の境界を情報の渡し方へ押し戻そうとする申立てだった。だからこそ、受領記録で確かめる必要がある。
そんな中。
私の執務室に、黒い軍服姿のレオンハルトがふらりと現れた。
彼が唯一の候補者となった今、「勝者」としてついに私に返答を迫るのではないか。部屋の外では、好奇心に駆られた役人たちが固唾を飲んで見守っている気配がする。
「レオンハルト様……」
私が立ち上がると、彼は足早に私の机へと歩み寄った。
そして、積まれた書類の脇に置かれていた、かつて彼自身が提出した『正式求婚書』を無造作に手に取ったのだ。
「えっ……」
私が驚く間もなく、彼はその求婚書を、持参した自分の革の封筒へとあっさりと戻してしまった。
「レオンハルト様、それは……?」
「他の奴らが勝手に降りたからといって、俺が自動的に勝者になるわけじゃねえだろ」
レオンハルトは封筒の紐をきっちりと結びながら、微かに笑って言った。
「お前は、まだ誰とも人生を共にすると決めたわけじゃない。俺がここで『さあ俺を選べ』と迫るのは、ただの押し売りだ」
「ですが、私は……」
「正直に言えば、三人が退いたと聞いてほっとした。ジュリアンがお前の部屋にいると聞いた時は、扉ごと追い出したいとも思った」
彼は苦い顔で頭を掻いた。
「格好のいいことばかり考えているわけじゃない。だが、俺が嫉妬したことと、お前が俺を選ぶかは別だ」
「それに、今はまだ三十日の交易危機の最中だ」
「四分割案の仕上げで頭が一杯の時に、人生の返事まで迫りたくない。危機が終わるまで待つ」
レオンハルトは、机の書類の山を顎でしゃくった。
「終わった後は、俺の望みより先に、お前がどうしたいかを聞かせてくれ」
胸の奥で、心臓が大きく跳ねた。嫉妬を隠さないのに、その感情で私の返事を縛ろうとはしない。
「……はい」
私は、胸の奥から湧き上がる熱いものを堪えながら、深く頷いた。
「必ず、私の言葉で……お伝えします」
レオンハルトが満足げに笑って部屋を去った後。
私は一人、静かになった執務室で、自分の心と向き合っていた。
一人になった私は、袖口へ手を入れ、自分が彼をどう見てきたかを数え直した。
雪の中で差し出された、不器用な優しさがこもった胡桃パン。
若い馭者の前で自らの非を認め、深く頭を下げた潔さ。
過労で倒れかけた私に、命令を撤回し、休める環境を作ってくれた気遣い。
そして、川辺で一緒に過ごした、全く息苦しくない穏やかな沈黙の時間。
肩書でも、私への評価でもない。思い出すのは、不器用な一人の男の顔ばかりだった。
自分の中に明確な答えが形作られていくのを感じていた、その時だった。
「お嬢様!!」
バンッ! と扉が弾け飛び、血相を変えたエステルが部屋に飛び込んできた。
「宰相府から、審査の日時が届きました。オスカー様は、報告書を受け取った事実は認めた上で、要点を知らされなかったと主張なさるそうです」
私は先ほどの申立書へ目を落とした。
彼が何を読まなかったかではなく、何が届き、何を伝えたかを記録で確かめる。そのための審査が、翌朝に決まった。




