第26話 正しい案にも負担者がいる
「我々内務局の現場には、そんな膨大な事務量に対応できるだけの人員も、予算もありません! ですから、この分割案には断固として反対いたします!」
大会議室に、内務局代表の悲痛な叫び声が響き渡った。
彼の後ろでは、若い書記が四種類に増えた申請見本を抱えている。指には新しいインクが染み、立ったまま舟をこぎそうな顔をしていた。
荷物が動いても、役人が倒れれば次は机の上が詰まる。
「調整官殿。いくら論理的に正しく、物流が動く素晴らしい案であっても、それを処理する我々現場の役人が過労で倒れてしまえば、結局は同じことです」
内務局代表は、疲労の色が濃い顔で私を睨み据えた。
私は彼から目を逸らさず、静かに頷いた。
「……おっしゃる通りです」
私の言葉に、会議室の空気がわずかに揺らいだ。
「その案で誰かが倒れるなら、良い制度とは呼べません」
雪の中で潰れた若い馭者の手袋が、脳裏に浮かんだ。
「ですから、私はこの分割案を、今の内務局の体制のままで無理やり押し切るつもりはありません」
私は円卓の上座に座る、宰相ディートリヒ閣下へと向き直った。
「宰相閣下。この四分割案の実行に伴い、王宮の他の部署から内務局へ『緊急の追加人員』を回してください。並びに、事務処理の外部委託も可能とするための『特別期限予算』の直ちなる割り当てを要請します」
内務局代表が目を見開いた。後ろの若い書記も、抱えていた紙束から顔を上げた。
「……ふむ」
ディートリヒ宰相は銀縁眼鏡の奥で目を細め、少し思案する素振りを見せた。
「国家の危機とはいえ、急な予算の拠出と人員の移動だ。それが適正に使われ、確実に機能するという保証がなければ、私としても容易には首を縦に振れんが」
「宰相閣下、それは――」
内務局の代表が抗議しようとしたが、私はそれを手で制した。
「保証ならば、私がいたしましょう」
私はエステルから新しい紙を受け取り、任命書とは別に『緊急運用付則案』と記した。
「追加人員と予算だけでなく、指示を出す側も監査されるべきです。私の命令で一日の処理上限を超えた場合、内務局は監査院へ停止を申し立てられる。超過勤務と滞留件数は、毎日、宰相府と監査院へ同時に報告する。そういう付則を加えてください」
自分で書き込んでも法にはならない。私は案を内務局代表と宰相へ差し出した。
「調整官の権限を止める手続きを、調整官自身が求めるのですか」
「現場の限界を見落とした時、私だけで訂正できるとは限りません」
宰相は条文を読み、監査院の署名欄と、付則が北峠閉鎖までの時限措置であることを書記官に加えさせた。内務局代表が業務上限を確認し、私も監査対象者として署名する。
彼は完成した付則を見つめ、やがて肩の力を抜いた。
「……そこまで現場のことを考えていただき、あまつさえご自身の手足を縛る覚悟まで示されたのであれば。我々内務局も、腹を括ってこの四分割案の事務処理をやり遂げねばなりませんな」
彼は書類を受け取り、深く頭を下げた。
「分割案の実行に、同意いたします」
内務局代表は部下へ必要人数を伝え、商業連盟は外部委託できる書記の名簿を開いた。反対の声が、実施の相談へ変わっていった。
*
会議が終わり、協定の四分割と連動条項の再定義が本格的に動き出した。
内務局への追加人員の手配も決まり、各部署が一斉に実務へと走り出す。細部まで私が指示しなくとも、現場の役人たちが自分の担当を判断し、物流の詰まりを解いていく段階に入ったのだ。
自室の執務室に戻り、私は深く息をついて椅子に背を預けた。
「お疲れ様でございました、お嬢様。これで、最大の山場は越えましたね」
エステルが温かい紅茶を淹れながら、微笑みかけてくれる。
「ええ。あとは、細かい数字の擦り合わせを彼らがやってくれるわ。……明日の予定はどうなっているかしら」
「はい、こちらです」
エステルから差し出された明日の予定表を受け取り、私は目を丸くした。
午前中には、いくつかの確認事項と短い報告会議が入っている。
しかし、午後の欄は下まで見事に『真っ白』だった。
「エステル……これ、午後の予定が抜けているわよ?」
「抜けておりません。お嬢様が各所に的確な指示を出されたおかげで、明日の午後は本当に、お嬢様がご自身で動かなければならない仕事が一つもないのです」
私は、その真っ白な予定表を見つめたまま、言葉を失った。
『俺は、仕事をしていない時間のお前を知りたいんだ』
星空の下でレオンハルトに言われた言葉が、不意に蘇る。
指先が、存在しない予定を書き足そうと動く。私はペンを置き、期待と戸惑いが入り混じる胸を押さえた。




