第25話 四つの契約を一つにしない
移動中の検疫を始めて三日目。王城の大会議室で、四境交易会議の最終調整が開かれた。
私は各部署の代表たち、そして隣国の使節団が顔を揃える円卓の中央に、分厚い『四境交易協定』の最新草案を広げた。
この場に、オスカーの姿はない。前回までの議事録が次期交易委員候補の審査資料へ回され、今日は公爵家内で経緯を説明しているという。名代の欠席届は受理され、実務の会議は予定どおり始まった。
「皆様。北峠の閉鎖まで時間がありません」
私は草案の最後尾にあるページを開き、その中の一文を指で叩いた。
「第十二条の『連結条項』。これこそが、すべての物流の足を引っ張っている元凶です」
円卓を囲む役人たちが、怪訝そうに身を乗り出す。
「役割の違う四つの機能を、この草案は一つの契約に縛っています」
私は、彼らが理解しやすいよう、手元の鞄から四つの木札を取り出して卓上に並べた。
関税倉庫で使われている、荷馬車の扱いを示す札だ。穀物と塩をまとめた食料の麦色、鉄の黒、薬草の緑、そして通行・検疫の青。
「食料の条件がまとまっても、鉄の交渉が難航すれば、この条項のせいで食料の馬車まで止まります」
私は麦色と黒の札を重ねてみせた。
「一箇所が詰まるたび、全体が止まるのです」
「……なるほど。言われてみれば、我々は『四境交易』という一つの枠組みに囚われすぎていたかもしれないな」
商業連盟の重鎮が、目から鱗が落ちたように呟いた。
「では、調整官殿。どうすればこの絡まり合った糸を解けるというのですか?」
「契約を、四つに割ります」
私は重ねていた四色の札を、卓の上でバラバラに離した。
「一つの巨大な契約を、『食料』『鉄』『薬草』『通行・検疫』の四つの機能別協定へ分けます。その上で、本当に必要な部分だけを連動させます。これなら、合意した機能から動かせます」
代表たちは、離された四枚の札と協定草案を見比べた。
最初に身を乗り出したのは、商業連盟の代表だった。
「素晴らしい。それならば、鉄の交渉を続けながら、滞っている穀物を先に市場へ流せる!」
「ええ。我が国としても、合意済みの条項から順次実行できるのであれば、異存はありません」
ジュリアン殿下が同意すると、書記官たちはすぐに草案の綴じ紐を解き、四つの束へ分け始めた。
「では、第一の措置として」
私は特別調整官としての権限を行使し、宣言した。
「すでに魔族側と合意が済んでいる『薬草』協定と、それに必要な『通行・検疫』の暫定条項を先行発効し、直ちに王都への搬入を許可します」
*
会議を終えた私は、南門で試行便の検疫記録を確認してから、荷馬車と一緒に施療院へ向かった。
裏口では、エルマが空の月白草棚を背に待っていた。
石畳の向こうから、密閉型に改造した荷馬車が現れる。御者台の検疫官が、三日分の燻蒸記録札と通過証を掲げた。
「第一便、到着です」
扉を開ける前に、エルマと検疫官が札の時刻、薬液量、換気弁の封印を一つずつ照合した。最後に魔族の石板が青く光っていることをザフィルの随員が確認する。
木箱が下ろされると、エルマは震える指で蓋に触れた。
「間に合いました。最初はトマです。あの子の熱を下げます」
歓声ではなく、薬師たちの短い返事と、箱を運ぶ足音が続いた。トマの母親は、眠る息子のそばで両手を口元へ当てた。
関税倉庫で混ざっていた四色の札のうち、緑の札が初めて目的地へ届いた。その一枚が、空だった棚の前を通っていった。
*
施療院から王城へ戻ると、朝の会議で保留された内務局の異論が待っていた。
円卓の端で資料を揃えていた王都内務局の代表が、私の着席を待って立ち上がる。
「リディア調整官。お待ちいただきたい」
内務局の代表は、眉間に深い皺を刻み、険しい声で私の言葉を遮った。
「あなたの仰る理屈は、実に素晴らしい。合意できたものから通す。確かにそれで物流は動くでしょう」
「何か、問題がありますか?」
「大ありです」
内務局の代表は、机をドンと叩いた。
「契約を四分割するということは、これまで一枚の書類で済んでいた関税処理、通行許可証の審査、そして検疫の確認作業が、すべて『四倍』に膨れ上がるということです! それぞれの物資が違うタイミングで動くとなれば、管理の手間は計り知れません。我々内務局の現場には、そんな膨大な事務量に対応できるだけの人員も、予算もありません!」
正しい解決策だからといって、誰もが手放しで喜ぶわけではない。
「ですから、我々内務局は、事務負担を激増させるこの分割案には、断固として反対いたします!」
四枚に分けた札の向こうで、今度は書類を処理する人間が悲鳴を上げていた。




