第19話 魔王は人間を信用しない
「魔族領からの薬草輸出が、国境で完全に停止されただと!?」
検疫局の伝令がもたらした急報に、祝宴の和やかな空気は一瞬にして消え去り、恐慌状態へと陥った。
通常量の月白草は、あと三日で尽きる。施療院は代替薬と重症者用の取り置きで半月ほどはつなげると報告していたが、新しい患者が増えればその計算も崩れる。大元の出荷停止は、残された猶予を一日ずつ削る報せだった。
「どういうことだ! 魔族の奴ら、この冬の危機に乗じて我々に恩を着せるため、わざと出荷を渋っているのではないか!」
「なんと卑劣な! すぐに我が国の監査団を魔族領の国境倉庫へ送り込み、強制的に在庫を調査すべきだ!」
パニックに陥ったレグナ王国の役人たちは、真っ先に魔族側へ疑いの目を向け、非難の声を上げ始めた。昼間の会議で、隣国の樽の大きさを確認せずに詐欺師呼ばわりした時と、全く同じ過ちを繰り返そうとしている。
「――口を慎め、人間ども」
氷の刃のような冷たい一喝が、役人たちの怒号を切り裂いた。
壁際に寄りかかっていた魔王ザフィルが、深い夜のような瞳に明確な怒りを宿して歩み出てきたのだ。
彼が一歩進むごとに、広間の空気が物理的に冷え込んでいくような錯覚に陥る。
「貴様ら人間は、己の都合が悪くなれば、事実を確認するより先に他者の悪意を作り出す。我らは協定の通り、必要な量の月白草をすでに国境まで送り届けている。証拠も見ずに我らを嘘つきと決めつける者たちの監査など、我らノクス魔族連邦は断じて受け入れん。何人たりとも、我らの倉庫に足を踏み入れることは許さんぞ」
ザフィルの拒絶は絶対的なものだった。
圧倒的な魔力と威圧感を前に、役人たちは一歩後ずさり、言葉を失う。
このままでは、監査すらできず、薬草がどこで止まっているのか原因を突き止めることすらできない。
「ザフィル様」
私は、震えそうになる足に力を込め、彼に向かって一歩前に出た。
「私が参ります」
「リディア調整官! 危険だ、魔族の領地に一人で踏み込むなど!」
周囲の制止をよそに、私はザフィルの目を見据えた。
「彼らは事実に基づく記録を重んじます。魔族が嘘をついているか、それとも人間側で何かが起きているのか。私がこの目で現場の証拠を確認し、両国にとって公平な記録を残します。……いかがでしょうか」
ザフィルは、私をじっと見下ろした。
その冷たかった瞳の奥に、ふっと柔らかな光が宿る。
「……良いだろう」
ザフィルは周囲の人間たちを威圧するように見渡し、そして私に向かって手を差し出した。
「貴様ら人間の濁った目は信用せん。だが、例外はある」
彼は、私という人間を公の場で明確に肯定した。
「リディア・セヴェラン。お前が自ら見て書くのなら、特別に我が国の国境倉庫を開こう」
「一人では行かせん。護衛を六人――」
レオンハルトが言いかけ、私とザフィルを見比べて止まった。
「……多すぎれば、監視に見えるか?」
「はい。エステルと、封印記録を扱える検疫官を一人。護衛は境界門までお願いします」
私が同行者を選ぶと、レオンハルトは不満を飲み込み、「それで手配する」と頷いた。ザフィルも異を唱えなかった。
*
その夜のうちに、王宮の継ぎ馬とザフィルが手配した国境側の迎えを乗り継ぎ、私は魔族領側の施設へ向かった。夜明け前、厳重な警備が敷かれた最後の境界門を越える。空気から王都の土と煙が消え、深い森と乾いた石の冷たい匂いに変わった。
国境施設で私たちを出迎えたのは、ノクス魔族連邦の重鎮たる臣下たちだった。
彼らは、王都の貴族たちのように優雅な作り笑いを浮かべることも、大げさな愛想を振りまくこともしなかった。ただ、両手を自らの胸の前で交差させ、相手から決して目を逸らさずに、静かに首を垂れた。
「ようこそおいでくださいました、公平なる記録者殿」
「これが我ら魔族の礼法だ。目を逸らさぬのは、互いを観察し、言葉ではなく事実をもって信用を示すという誓いの証」
ザフィルが傍らで静かに教えてくれる。
腹を探り合う王都の社交辞令に慣れきっていた私には、その無骨で実直な礼法が、ひどく潔く感じられた。
「こちらへ。薬草はすべて、規定通りに出荷準備を終えております」
臣下の一人に案内され、私たちは堅牢な石造りの保管倉庫へと足を踏み入れた。
倉庫の中は薄暗く、空調の代わりに微弱な冷気の魔術が張り巡らされている。そして、天窓からは青白い月光が真っ直ぐに差し込んでいた。
「これが……」
私は、積み上げられた大量の木箱を前に、息を呑んだ。
木箱の隙間から覗く特効薬草『月白草』。天窓からの月光を浴びた瞬間、それは単なる淡い緑色の草から、自ら発光するような美しい銀白色へと、波打つように静かに色を変えたのだ。
「月光に反応して薬効成分が活性化し、色を変える。これが『月白草』の名の由来であり、偽造が不可能な本物の証だ」
ザフィルの声とともに、私は木箱の正面に取り付けられたものに目を向けた。
それは紙の荷札などではない。古代のルーン文字が刻まれた、分厚く重厚な『石板』だった。
「そしてこれが、我ら魔族の石板封印だ。箱を開ける権限を持つ者以外がこれを壊せば、刻まれたルーンが赤く変色し、壊した者に呪いが降りかかる」
私は手帳を取り出し、月光で銀色に輝く薬草と、魔力で保護された石板封印を克明に記録し始めた。
石板に刻まれた出荷準備の完了日時は、三日前。約束の期日通りだ。封印には何の損傷もなく、魔族側が意図的に出荷を渋ったり、横流しをしたりしている形跡は微塵もなかった。
(やはり、魔族側に不正はない。問題が起きているのは……人間側の検疫か、中継所だ)
私は確信を得て、記録を書き終えた。
記録を終えて通路へ戻ると、重鎮たちがザフィルを待っていた。私の姿を認めても、彼らは目を逸らさない。先ほど教わった礼法どおり、当人に隠さず申し上げたい、ということらしい。
「我が王よ」
先頭の臣下が、胸の前で両手を交差させた。
「あの人間の娘は、我らの証拠を正しく評価し、嘘で塗り固めることのない稀有な存在です。どうか、彼女を我が国の妃として迎え入れていただきたい」
「……」
「我ら魔族は、長きにわたって人間から不当な扱いを受けてきました。ですが、彼女がいれば違います。彼女を我が国と人間世界とを繋ぐ『永遠の窓口』として確保できれば、我々の国益にとってこれ以上の盤石な礎はありません」
「……分かっている」
ザフィルの低い声が、薄暗い倉庫に響いた。
「私は一人の男として、あのおかしくも誠実な女を好ましく思っている。だが、私が魔王である限り、私の求婚には我ら魔族の国家利益が必ず混じる。彼女を、魔族の国益を守るための『窓口』という鎖で縛り付けることになるという重責も、自覚しているのだ」
個人へ向けた好意と、国が欲する役目が、同じ倉庫で重なって聞こえた。ザフィルはその二つを、甘い言葉で一つに見せようとはしなかった。




