第15話 同じ言葉、違う樽
会議卓の横では、高さの違う二つの木樽が、怒号の代わりに答えを示していた。
「契約の『一樽』は、どちらの国の樽を指しているのだ」
レグナ側の役人が、怒鳴る代わりに書記官へ問いかけた。返事はない。契約書には国名も容量も書かれていなかった。
オスカーが扇子の先で二つの樽を示した。
「相手国の標準がこれほど違うなら、寸法表が付いていない文面だけでは決められない。どちらかが隠したと断じる前に、交渉記録を確認すべきだろう」
「そのとおりです」
私は二つの樽の間に立った。
「我が国では左が、アルセリアでは右が、法で定められた標準です。双方とも自国の規格どおりに話し、自国の当たり前を契約へ書き落とした。まず確認すべきは悪意ではなく、同じ言葉に別の容量を載せた経緯です」
「その通りです、リディア嬢」
隣国の代表席から、第三王子ジュリアン殿下が深く頷いた。
「我々は騙そうとしたのではなく、互いに『自分の国の当たり前』を疑わなかっただけなのです。……三年前の、あの時と同じように」
三年前、当時十九歳だった私は、父の補佐として同じ怒号を聞いた。国境には兵が集まり、若い通訳は誤訳の責任を一人で負わされかけていた。
私は契約書と両国の換算表、彼の翻訳メモを並べた。同じ『樽』に別の容量を載せたのは、一人の悪意ではなく、双方の確認不足だった。
剣は抜かれず、通訳も罪人にはされなかった。
「あの時、あなたは我が国だけでなく、怯えていた通訳も守った」
現在の会議室で、ジュリアン殿下は私に微笑んだ。
「私は、剣が収まったことと同じくらい、そのことを覚えています」
一国の功績ではなく、一人の顔を覚えていた。その言葉に、私は返事を探して一度だけ視線を落とした。
「……なるほど。相手の悪意ではなく、単位のズレだったというわけか。ならば話は早い」
気を取り直したように、レグナ側の役人の一人が言った。
「今回は、アルセリア側に我が国の樽の基準に合わせてもらおう。そうすれば等価交換が成立する」
自国本位なその提案に、私は小さくため息をついた。
「問題は、樽の大きさという表面的なことだけではありません」
私はエステルに目配せをした。彼女はすぐさま私の意図を察し、鞄からいくつかの書類を取り出して、会議卓の上へ丁寧に広げた。
「これは……?」
「右が、三年前の決裂寸前だった古い契約書原本の写しです。そして左が、現在皆様が議論されている『四境交易協定』の最新草案です」
私は、二つの書類に記された文字を指先でなぞった。
二つの紙には、『適正な援助』『必要な物資量』『誠実な価格』という同じ曖昧さが残っていた。
「ご覧ください。これが、現在の最大の詰まりです」
私は、並んだ書類を会議室の面々に突きつけた。
「三年前の誤解の火種となった『解釈の余地がある曖昧な言葉』が、今回の新しい契約草案にも、手つかずのまま残されています」
「適正」「必要」「誠実」の基準も、樽と同じく立場ごとに違う。夜会で親交を結んでも、荷を渡す時には数字が要る。
「この曖昧な言葉をすべて具体的な数値と条件に分解して定義し直さなければ、冬を前にして、我々は再び三年前と同じ決裂を繰り返すことになります」




