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婚約破棄された実務令嬢ですが、私の価値を知らなかったのは元婚約者だけでした~四人に求婚されても、私は賞品ではありません~  作者: 他力本願寺


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第13話 百人は数字ではない

ルカの提案した「中箱」による試験輸送が劇的な時間短縮を証明し、北境の第三中継所は熱を帯びた活気に包まれていた。


 この新たな規格とスライド式の積み替え手順を正式なマニュアルとして文書化し、現場の兵士たちへの指示を終えた頃。私の周りに、数人の古参兵たちが歩み寄ってきた。


「リディア調整官殿。……いや、我々にとっては、今もあの時の『補佐官殿』とお呼びすべきかもしれませんな」


 顔に深い傷跡のある年配の兵士が、緊張した面持ちで口を開いた。


「あなたは、五年前の……」


「はい。五年前、猛吹雪で孤立した第七砦に取り残されていた部隊の生存者です」


 古参兵はそう言うと、分厚い手袋を外し、懐から大切そうに折り畳まれた羊皮紙を取り出した。


 それは、端がすり切れ、いくつもの染みがついた古い名簿だった。


「これは、あの冬、あなたの手配してくれた小箱の食料で生き延びた『百人の生存者名簿』です。我々はずっと、直接お礼を申し上げる日を待ち望んでおりました。北の英雄たるあなたに、命を救っていただいたこの御恩は一生忘れません」


 彼らは一斉に居住まいを正し、私に向かって深く、痛いほどの敬礼を捧げた。


 その真っ直ぐな称賛と感謝の眼差しを向けられ、私は扇子を握るように、思わず自分の手帳を強く握りしめた。


 嬉しいはずなのに、息が詰まる。名簿の百人より先に、自分の名だけが持ち上げられていくのが怖かった。


「……どうか、頭を上げてください」


 私は戸惑いを隠せず、一歩後ずさった。


「私は、王都の暖炉のそばで、安全な机の上で数字と規格を動かしたに過ぎません。あなたたちが生き延びられたのは、猛吹雪の中で実際に箱を背負い、一歩一歩雪を踏みしめて砦まで届けてくれた現場の兵士たちのおかげです。私を英雄などと呼ぶのは……過分すぎます」


 功績は、血と汗を流した現場の人間が受け取るべきだ。私がその称賛を独占してしまえば、本当に苦労した彼らの努力を奪うことになってしまう。


「ですが、あなたがいなければ我々は――」


「おい。これ以上、彼女を困らせるな」


 古参兵がさらに言葉を続けようとしたその時、低い声が割って入った。


 レオンハルトだった。彼は私の斜め前に立ち、兵士たちからの過剰な熱を遮るように視線を向けた。


「お前たちの感謝の気持ちは、こいつにも十分に伝わっている。だが、こいつの言う通りだ。前線で雪を食いながら運んだお前たちの脚力と、王都で道筋を作ったこいつの頭脳。その両方があったから、百人が生き残った。どちらか一つでも欠ければ全滅していた。それでいいだろう」


「はっ……! 団長閣下の仰る通りです。出過ぎた真似をいたしました」


 レオンハルトの言葉に、兵士たちは顔を見合わせて頷き、納得したように再び敬礼をして仕事へと戻っていった。


 私は、小さく安堵の息を吐き出した。


「……ありがとうございます、レオンハルト様」


「気にするな。お前がそういう大層な神輿に乗せられるのを嫌がる性格だってことは、嫌というほど分かってるさ」


 彼は軽く肩をすくめ、兵士たちの作業へ視線を戻した。


 私の礼を自分の手柄にしない、その素っ気なさがありがたかった。


「ククッ……なるほど。確かに、見ていて飽きぬ女だ」


 ふいに、部屋の隅の長椅子に腰掛けていた魔王ザフィルが、喉の奥で笑うような音を立てた。


 彼は、自国の薬草が通るルートの確認という名目で、この厳しい北境視察にも平然と同行していたのだ。


「ザフィル様?」


「人間の権力者というものは、己が救った命の数を『勲章』として飾りたがるものだ。何千人救った、何万人救ったとな。だが、お前は違う」


 ザフィルは夜のように深い瞳を細め、私を見据えた。


「お前は、あの名簿に書かれた百人の命を、己の手柄を示すための『単なる数字』に戻そうとはしなかった。彼らの生き延びた重さを、現場の人間の血肉の重さとして正しく理解している。……だからこそ、我ら魔族もお前の記す記録だけは信用できると判断したのだ」


 異文化の王からの静かな、しかし確かな承認の言葉。


 それは、王都の社交界で「地味な数字遊び」と冷笑されていた私の仕事が、国境を越えて確かに届いているという何よりの証明だった。



 王都へ戻った日の夕刻、私とレオンハルトは北境軍の報告を届けるため、王城の小会議室へ呼ばれた。そこにはヴァルモント公爵と、北境視察には加わらなかったオスカーがいた。


「倉庫の出資については、我が家にも監督責任がある」


 公爵は私にそう詫びてから、息子へ向き直った。


「お前は南門で、現場から報告がなかったと説明したそうだな」


「すべての資金の流れを、名代一人が把握するのは不可能です。要点を上げるのは担当部署の責任でしょう」


 オスカーの言い分には一理ある。名代が原票の一行まで読む必要はない。問われるべきなのは、要点が本当に届いていなかったかだった。


 公爵が机に置いたのは、五年前の北境軍報告書だった。百人の生存者名簿が添えられ、私の小箱中継案と、倉庫運用の見直し要請が一頁にまとめられている。


「最初の一頁を読め」


 オスカーの視線が、作成者欄にある私の名で止まった。


「家名や部署名に紛れていたのであれば、彼女個人の功績と分からなくても――」


「北境軍は、作成者名を記した。名代室へ送った記録もある。誰がどこで止めたかは、適格審査で調べる」


 公爵は百人の名簿を息子の前へ押した。


「少なくとも今ここで、この百人を『報告されなかった数字』に戻すな」


 オスカーは答えなかった。私は何も付け加えず、使い込まれた名簿の折り目を見ていた。

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