第11話 自分の制度を壊す
私が五年前に立案した「小箱中継マニュアル」こそが、現在の物流を滞らせている最大の原因である。
そう断言した私に対し、兵站担当の将校は信じられないものを見るような目を向けた。
「お待ちください、リディア調整官! ご自身で立案された策を否定なさるおつもりですか? それに、今さら北境軍全体の補給マニュアルを根本から変更することなど不可能です」
将校は顔を赤くして反論した。
「冬の訪れまでもう時間がありません。ここで新しい規格など導入すれば、各中継所はさらなる大混乱に陥ります。大箱では雪に埋もれて進めず、小箱では積み替えの作業量で兵が倒れる。どうやってこの状況を打開しろとおっしゃるのですか!」
彼の言うことはもっともだった。
机の上で数字をこねくり回すだけなら、中間のサイズを規定すればいいという結論にすぐ至る。だが、現場の運用は生き物だ。上から押し付けられた新しいルールが、現場の感覚に合致しなければ、結局はまた別の「詰まり」を生むことになる。
「ええ、その通りです。ですから、今日ここにある全ての物資の規格を今すぐ変えるような無茶はしません」
私は手元の記録帳を閉じ、冷たい風が吹きすさぶ荷ほどき場へと視線を向けた。
「まずは、一部の物資だけを使って『試験輸送』を行いましょう。机上の空論ではなく、現場の正解を探るのです。……ちょっと、いいかしら」
私が声をかけたのは、雪に埋もれた大箱の馬車から荷役獣を外そうと苦労していた、雪焼けした顔の若い馭者だった。
「え? あ、俺、ですか?」
突然、王都から来た貴族の令嬢に話しかけられ、若い馭者――ルカという名札をつけていた――は、ひどく戸惑ったように目を瞬かせた。
「ええ、あなたです。毎日この雪道で荷役獣を引いているあなたたちが、一番運びやすい荷物の形はどういうものですか? 小箱を一つずつ積み替えるのは大変でしょうし、かといってあのような大箱では雪道を進めませんよね」
私が尋ねると、ルカはちらりと将校の顔色をうかがった。将校が苛立たしげに眉をひそめるのを見て、ルカは言いよどむ。
「気にするな。思った通りに言ってみろ」
横からレオンハルトが静かに促すと、ルカは意を決したように口を開いた。
「そ、それなら……俺たち馭者の間でよく話してるんですが、いまの小箱の三つ分くらい……中くらいの箱なら、一番助かります」
「中くらいの箱、ですか。その理由は?」
「小箱だと、馬車からそりへ積み替える時に、何度も腰を曲げて運ばなきゃならなくて、数が多すぎて終わらないんです。でも、中くらいの箱なら、二人がかりで持ち上げて、そのまま馬車からそりへスライドさせるように載せ替えられる。獣への負担も、大箱に比べればずっとマシになります」
私は、彼が提案した作業工程を頭の中で順に組み立てた。
小箱のバケツリレーによる膨大な手作業の手間と、大箱による雪道での立ち往生。その両方の欠点を補い、かつ既存の馬車とそりの両方に適合する絶妙な折衷案だった。
「素晴らしい案です。直ちに、その『中箱』の規格で試験輸送便を仕立てましょう」
「お待ちください! ただの若い馭者の思いつきを、北境軍の輸送規格に採用するなど、あまりにも無責任です!」
将校が声を荒らげて割って入った。
「そもそも、五年前に辺境伯閣下が正式に承認されたマニュアルを、現場の者の言葉一つで覆すなど、軍の秩序が保てません!」
「秩序より命が先だ」
鋭い声で将校を黙らせたのは、他でもないレオンハルト自身だった。
「閣下……!」
レオンハルトは将校を制すると、作業の手を止めてこちらを見守っていた兵士たちと、ルカの前に歩み出た。
そして、北境軍の最高責任者である彼は、驚くべき行動に出た。
「五年前にあの小箱規格を軍の標準として最終承認したのは、この俺だ。あの当時はそれが最善だったとはいえ、その後の物資増大という現場の状況の変化を見落とし、お前たちに無用な苦労をかけ続けてしまった」
レオンハルトは、身分も持たない若い馭者に向かって、深く頭を下げたのだ。
「現場の悲鳴を吸い上げられず、すまなかった。お前の提案、確かに受け取った。今すぐ試験便を出してくれ」
雪風が吹き抜ける中、中継所は水を打ったように静まり返った。
私もまた、目を見開いてその光景を見つめていた。
絶対的な権力を持つ辺境伯が、若い馭者へ頭を下げている。
(……なんて、人なの)
私の胸に、激しい衝撃と、じんわりとした熱が広がっていく。
かつての婚約者であるオスカーは、関税倉庫の出資構造を知らなかった理由を、迷わず名代室の書記へ押し戻した。王都の権力者とは、そういうものだと思っていた。
けれど、レオンハルトは違う。
彼は、自らの過ちを誰のせいにもせず、人前で堂々と認め、そして自分より遥かに身分の低い者に対して素直に謝罪することができる。
そんな彼の在り方が、たまらなく眩しかった。五年前の恩人としての敬意ではなく、今、目の前にいる彼という人間そのものを、私は心から好ましいと感じていた。
「……何を見惚れてる。さっさと試験便の手配をするぞ」
頭を上げたレオンハルトが、微かに照れくさそうに私を見た。
「あ、はい……っ! 直ちに」
私は熱くなった頬を冷たい風にさらしながら、大急ぎで荷の組み替えの指示を出した。
*
ルカの提案を採用した中箱の試験輸送便が雪道へと出発してから、数時間が経過した。
私たちは中継所の管理室で、火鉢を囲みながら結果を待った。
もしこの試験便まで雪に阻まれて届かなければ、少なくとも今冬の輸送量は大きく削られる。将校は落ち着かない様子で部屋を歩き、私は記録帳の端を無意識に指でなぞっていた。
張り詰めた沈黙が続く中。
ふいに、雪原の彼方から、風に乗って微かな音が響いてきた。
カン、カン、カン。
それは、次の拠点である第三中継所から鳴らされた、到着を知らせる澄んだ鐘の音だった。
私が懐中時計に目を落とす。
「……着きました」
私はゆっくりと立ち上がり、息を呑んでいる将校たちに向かって告げた。
「予定されていた到着時刻よりも、半日早く」




