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婚約破棄され売られた欠陥聖女は、隣の大国で『魔獣の聖女』と呼ばれることになった  作者: 一十一
第3章 銀と金の双聖女

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第18話

 テレジア王国の王妃エレオノーラは、王城奥の小さな温室にいた。


 そこは王妃が私的に管理している薬草園でもある。


 華やかな薔薇ではなく、湿気を好む薬草、乾いた土を好む薬草、葉に触れれば淡い香りを放つ草花が、区画ごとに整えられていた。


 その一角に、ひときわ小さな札が立っている。


 ――白灯草。

 ――月露草。

 ――甘樹脂。


 王妃はその札を見下ろし、静かに目を細めた。


「……まさか、ここでその名を見ることになるとはね」


 そばに控えていた侍女が、そっと書類を差し出す。


「陛下より、至急ご確認をとのことです」


 王妃は受け取り、封を開いた。


 ヴァルミアからの照会状。

 フランキスからの共同調査提案。

 国境救護拠点での対応記録。


 その中に、懐かしい名があった。


 ルシア・アージェント。


 王妃の指が、そこで止まった。


 数年前のことを思い出す。


 王妃が私的に可愛がっていた小型の馬型魔獣が、長く体調を崩していた時期があった。


 傷はない。

 呪いもない。

 治癒術師が診ても原因が分からない。


 食べる量はあるのに、痩せていく。

 水を飲む前に何度も鼻先を離す。

 夜になると落ち着かず、厩舎の隅で立ったまま眠ろうとする。


 誰もが、歳のせいだと言った。


 けれど、まだ見習いに近かった若い薬剤師だけが違うことを言った。


 ――恐らく、食べているものが合っていません。

 ――この子は食欲があるのではなく、空腹に耐えられず食べているだけです。

 ――食べた後に苦しくなるから、水も嫌がっているのだと思います。


 その薬剤師が、ルシアだった。


 当時のルシアは、まだ十代の終わり頃だったはずだ。

 目立つ娘ではなかった。


 いつも隅にいて、誰かの後ろに控え、声も小さかった。


 けれど、魔獣を見る時だけは違った。


 彼女の目は、まるで言葉にならない訴えを拾うように、じっと魔獣の仕草を追っていた。


 王妃は、あの時のことをよく覚えている。


 ルシアは餌の配合を変え、香りの強い草を減らし、水を先に飲ませるよう指示した。食べる量も一度減らし、数日かけて戻した。


 奇跡のような光はなかった。


 だが、十日ほどで、その魔獣は夜に横になって眠るようになった。


 王妃はその時、思ったのだ。


 この娘は、治癒術師とは別のものを見ている、と。


 だから、王室付薬剤師への推薦状を書いた。


 聖眼を持たぬ聖女の家の娘。

 宮廷内では、そう囁かれていた。


 けれど王妃には、そんなことはどうでもよかった。


 王室に必要なのは、奇跡だけではない。

 誰も見ない不調を拾い、崩れる前に手を打てる者もまた、王室に必要な人材だった。


 そのはずだった。


「……陛下のもとへ参ります」


 王妃は書類を閉じた。


 その声は静かだったが、侍女はすぐに頭を下げた。


     ◇


 国王レオポルトは、執務室で報告書を読んでいた。


 机の上には、三国から届いた書類が並んでいる。


 ヴァルミアのワイバーン部隊の不調。

 フランキスの飛行魔獣対策。

 テレジア側開拓政策と野生魔獣移動の関連。

 国境救護拠点での応急対応。


 そして、ルシアとセシリアの名。


「銀と金の双聖女、か」


 国王は低く呟いた。


 扉が開き、王妃が入ってくる。


 国王は顔を上げた。


「エレオノーラ。読んだか」


「ええ」


 王妃は国王の向かいに立った。


「ルシア・アージェントの名がありました」


「知っているのか」


「私が王室付薬剤師に推した娘です」


 その言葉に、国王の眉がわずかに動いた。


「そなたが?」


「はい」


 王妃は静かに頷いた。


「以前、王家の馬型魔獣を救いました。治癒術では届かなかった不調を、あの子は見つけたのです」


 国王は手元の書類へ視線を落とした。


「その娘が、なぜフランキスにいる」


「私も、それを伺いたいと思っておりました」


 王妃の声は、柔らかい。

 だが、その奥には冷えた刃のようなものがあった。


「王室付薬剤師の人事異動について、私は報告を受けておりません」


「私にも、正式な辞職届は上がっていない」


 国王の声が低くなる。


「薬務局からは、アージェント家の事情により職を退いたとだけ報告があった」


「本人の意思確認は?」


「記録にはない」


 その一言で、部屋の空気が変わった。


 王妃はしばらく黙った。


 怒りを表に出さない人だった。

 しかし今、その沈黙の方がよほど重い。


「陛下」


「分かっている」


 国王は書類を机に置いた。


「王室が任じた薬剤師を、家の都合で処理した可能性がある。しかも他国との人材移転が絡む。事実なら看過できん」


「事実であれば、ではありません」


 王妃は静かに言った。


「あの子は、すでにフランキスで働いています。ヴァルミアでも名を挙げました。つまり、この国が手放した才を、他国が用いているのです」


 国王は目を細めた。


「そなたは、怒っているな」


「ええ」


 王妃は否定しなかった。


「私は、あの子の仕事を見ていました。あの子が魔獣の前でどれほど丁寧に観察し、記録し、誰にも褒められない調整を続けていたかを」


 温室で育てていた薬草の香りが、ふと王妃の記憶に戻る。


「それを雑務と呼び、欠陥と呼び、都合が悪くなれば国外へ渡した者がいるのなら、私は許しません」


 国王はしばらく王妃を見ていた。


 やがて、控えていた侍従へ命じる。


「ギルバート・アージェントとオスカー・ヴァーダンドを召せ。薬務局長もだ。王室付薬剤師ルシア・アージェントの離職と国外移送に関する書類をすべて持参させろ」


「はっ」


 侍従が去る。


 王妃は窓の外へ視線を向けた。


 王城の中庭では、騎士たちが移動用魔獣に水を飲ませている。

 以前なら、誰も記録を取らなかったような仕草まで、今は若い騎士が板に書き込んでいた。


「セシリアも、動き始めています」


「聞いている」


 国王の声には、わずかな苦笑が混じった。


「神殿騎士団に魔獣の食事記録を取らせているそうだな。聖女が何を始めたのかと、教会側から問い合わせが来ている」


「良いことです」


「そなたはそう言うと思った」


「傷を癒やす聖女が、傷つく前を知ろうとしているのです。止める理由がありません」


 国王は短く息を吐いた。


「ならば、止めるべきは別にいる」


     ◇


 呼び出しは早かった。


 ギルバートとオスカーが王の執務室に入った時、そこには国王だけでなく王妃もいた。


 二人は即座に跪く。


「面を上げよ」


 国王の声は静かだった。


 ギルバートは顔を上げた瞬間、嫌な汗が背を伝うのを感じた。


 机の上には、見覚えのある書類があった。


 ヴァルミアからの照会状。

 フランキスからの共同調査提案。

 薬務局の退職記録。

 そして、ルシアの名が記された人事推薦状。


 王妃の署名入りの推薦状だった。


 ギルバートの顔がわずかに強張る。


「ギルバート・アージェント」


 国王が口を開いた。


「王室付薬剤師ルシア・アージェントの離職について問う」


 ギルバートは喉を鳴らした。


「ルシアは、フランキス王国より強い要望があり、向こうで職を得ることになりました。本人にとっても悪い話ではなく――」


「本人の意思を確認したのか」


 国王の声が落ちる。


 ギルバートは一瞬、言葉を失った。


「それは……家として判断を」


「本人の意思を確認したのか、と聞いている」


 今度は、逃げ道のない声だった。


 ギルバートの唇が動く。


「正式な文書としては、残っておりません」


「つまり、していないのだな」


 沈黙。


 それが答えだった。


 国王の視線がオスカーへ移る。


「オスカー・ヴァーダンド。そなたはルシアとの婚約を解消した。同日に、彼女の国外移送を告げたと聞く」


「陛下。それは家同士の婚約整理であり、セシリア様の聖女認定に伴う」


「婚約整理は家の問題だ」


 国王は静かに遮った。


「だが、王室付薬剤師の職と他国への人材移転は、家の問題ではない」


 オスカーは唇を結んだ。


 国王は机の上の書類を一枚持ち上げる。


「ルシア・アージェントは、王妃の推薦により王室付薬剤師に任じられた人物だ」


 その言葉に、オスカーの表情が変わった。


 ギルバートも、思わず王妃を見る。


 王妃は静かに二人を見ていた。


「ご存じなかったようですね」


 声は穏やかだった。


 だからこそ、恐ろしかった。


「私は、ルシアを王室付薬剤師に推しました。あの子が王家の魔獣を救ったからです」


 ギルバートは喉を詰まらせる。


「王妃陛下、それは……存じ上げず」


「そうでしょうね」


 王妃は淡く頷いた。


「あなた方は、あの子の仕事を知ろうとしなかった」


 執務室の空気が冷える。


「聖眼がないから欠けている。

 そう決めたのは、あなた方です」


 王妃の声は、少しも荒くない。


「けれど、あの子は誰も見なかった苦しみを見ていました。誰も拾わなかった記録を拾っていました。誰も価値を認めなかった仕事で、王家の魔獣を守っていました」


 オスカーは何か言おうとした。


 だが、言葉が出ない。


 彼はルシアに言ったことを思い出していた。


 既に調合法は発表されている。

 それでもなお欲しがるほど、貴方自身に価値があるとは思えない。


 あの言葉が、今になって自分の首を絞めるようだった。


 王妃は続ける。


「その仕事が止まった途端、この国の魔獣は崩れ始めました」


 ギルバートは顔を青くした。


「王妃陛下、ルシアは聖女ではありません。聖眼を持たぬ娘です。アージェント家としては、正統な聖女であるセシリアを」


「欠陥だったのは、ルシアではありません」


 王妃の声が、初めてわずかに鋭くなった。


「才を見る目を持たなかった、あなた方です」


 ギルバートの顔が凍りついた。


 国王が書類を置く。


「加えて、そなたらの判断は外交問題を招いた。フランキスはルシアを専門職として扱っている。ヴァルミアもまた、彼女の助言を求めている。今この時点で、彼女は三国の魔獣問題に関わる重要人物だ」


 国王の視線が、二人を射抜く。


「その人物を、そなたらは王室への正式報告なく、家の都合で国外へ渡した」


「陛下、我々は国益を損なうつもりなど」


「意図の有無ではない」


 国王の声が重くなる。


「結果として損なったのだ」


 沈黙が落ちた。


 オスカーは拳を握りしめる。


 初めて、理解し始めていた。


 自分たちが手放したのは、不要な欠陥聖女ではない。

 王妃が見出し、他国が求め、魔獣たちが必要とした人材だった。


 国王は命じた。


「ギルバート・アージェント。ルシア・アージェントの国外移送に関する全取引記録を提出せよ。金銭の流れも含めてだ」


 ギルバートの顔色がさらに悪くなる。


「オスカー・ヴァーダンド。そなたは婚約解消の経緯、およびルシアへの通告時の内容を文書で提出せよ」


 オスカーは歯を食いしばった。


「また、薬務局長にはルシア離職の処理について別途問う。王室付薬剤師の離職が、なぜ正式審査なく処理されたのか」


 国王は静かに立ち上がった。


「これは家の問題ではない。王室の人材を、国の目を、勝手に失わせた問題だ」


 その言葉は、断罪そのものだった。


     ◇


 ギルバートとオスカーが退室した後、王妃はしばらく黙っていた。


 国王が言う。


「厳しくするぞ」


「当然です」


「ルシアを呼び戻す声も出るだろう」


「戻す、ではありません」


 王妃は静かに言った。


「あの子が選ぶことです」


 国王は王妃を見た。


「そなたなら、そう言うと思った」


「私はあの子を評価していました。けれど、守れませんでした」


 王妃の声に、初めて悔恨が滲んだ。


「今さら所有物のように呼び戻すことなど、あってはなりません」


「では、どうする」


「正式に謝罪し、協力を求めるべきです」


 王妃は、温室の白灯草を思い出した。


「あの子が戻るかどうかではなく、あの子が築いたものを正しく学ぶために」


 国王は深く頷いた。


「三国協議を開く」


「ええ」


「そこにルシアを招くことになる」


「本人の意思を尊重して」


「もちろんだ」


 王妃は窓の外を見た。


 夕暮れの王城。

 厩舎へ戻る魔獣たち。

 記録板を持つ騎士たち。


 変わり始めている。


 遅すぎたかもしれない。

 けれど、止めるわけにはいかない。


 王妃は静かに呟いた。


「ルシア。あなたの仕事は、ようやくこの国にも届き始めています」

皆様、ここまで読んで頂き、ありがとうございます。


この作品をここまで続けてこられたのは、読んでくださる皆様のおかげです。

本当に励みになっています。


もし少しでも面白い、続きが気になると思っていただけましたら、評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。

今後ともよろしくお願いいたします。

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「テーブルに着席する時自分で椅子を引くことをさせましょう」 先ずはここから始めてみましょう。晩餐会とかで大々的に(笑)彼女を嗤った方たち全員に♪
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