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婚約破棄され売られた欠陥聖女は、隣の大国で『魔獣の聖女』と呼ばれることになった  作者: 一十一
第3章 銀と金の双聖女

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第17話

 ――テレジア王国、王都。


 最初に届いたのは、ヴァルミアからの正式な照会状だった。


 次に、フランキスからの共同調査提案書。


 そしてその翌朝、国境警備隊から、野生魔獣の移動経路に関する緊急報告が王城へ届けられた。


 ギルバート・アージェントは、執務机の上に積まれた書類を前に、深く眉を寄せていた。


「……どういうことだ」


 低く漏れた声に、執務室の空気が重くなる。


 机の前にはオスカー・ヴァーダンドが立っていた。

 いつものように身なりは整っている。だが、その表情には隠しきれない苛立ちがあった。


「ヴァルミアは、我が国の開拓政策が野生魔獣の移動に影響を与えた可能性があると見ています」


「可能性だろう」


 ギルバートは吐き捨てるように言った。


「確定ではない」


「はい。ですが、フランキスも同様の見解です」


「フランキスが?」


「国境沿いの迎撃任務が急増した時期と、我が国の山岳開拓が進んだ時期が重なっている、と」


 ギルバートは書類を一枚掴み、乱暴にめくった。


 そこには赤い線で、魔獣の移動経路が描かれている。


 テレジア側の開拓地。

 伐採範囲。

 新設された街道。

 鉱山予定地。

 そこから押し出されるように、魔獣の群れが国境へ流れている。


 線だけを見れば、確かにそう見えた。


 だが、ギルバートにとって問題はそこではなかった。


「なぜ、ルシアの名がここにある」


 彼は照会状の一節を指で叩いた。


 ヴァルミア国境救護拠点における対応記録。

 負傷ワイバーンの再発防止処置。

 飛行魔獣の出撃可否判断。

 野生魔獣の進路誘導案。

 協力者として記された名。


 ルシア・アージェント。


 そして、その隣には。


 セシリア・アージェント。


 銀の聖眼と金の魔眼。

 銀と金の双聖女。


 その言葉を見た瞬間、ギルバートは紙を握り潰しそうになった。


「誰が、このような呼び名を」


 オスカーは答えにくそうに口を開いた。


「ヴァルミアの現場騎士たちの間で広がったようです。フランキス側の報告にも、非公式ながら同様の記述が」


「非公式なら消せ」


「もう広がっています」


 オスカーの声は硬かった。


「国境の救護拠点には三国の兵がいました。負傷者も、救護に関わった者も多い。噂を止めるのは難しいかと」


 ギルバートは机を強く叩いた。


「セシリアは聖女だ。アージェント家の正統な聖女だ。そこにルシアを並べるなど」


「ですが、現場では二人が協力してワイバーンを救ったと」


「ルシアは聖女ではない!」


 その声が執務室に響いた。


 オスカーは一瞬だけ黙る。


 ルシアは聖女ではない。

 それは、彼らがずっとそう扱ってきた事実だった。


 聖眼を持たない。

 治癒もできない。

 呪いも祓えない。


 だから欠陥聖女と呼び、宮廷では魔獣用の餌と補助薬ばかりを任せた。

 そして、利用価値があるうちにフランキスへ渡した。


 それで終わるはずだった。


 少なくとも、ギルバートにとっては。


 だが、そのルシアの名が、今や周辺国の報告書に出ている。


 しかも、ただの薬剤師としてではない。


 魔獣の聖女。

 銀と金の双聖女の片割れとして。


「……国内の方はどうなっている」


 ギルバートは声を抑えた。


 オスカーは別の報告書を差し出す。


「王城の護衛魔獣、神殿騎士団の移動用魔獣、辺境巡回用の馬型魔獣に不調が出ています。多くは軽症ですが、長距離移動後の回復遅延、食欲低下、腹を壊す個体が増えています」


「薬務室は何をしている」


「ルシアが残した調合法をもとに補食を作っています」


「なら問題ないだろう」


「……以前ほど効いていません」


 その一言に、ギルバートの顔が歪んだ。


「どういう意味だ」


「調合法通りに作っているはずです。ですが、効果にばらつきがある。セシリア様は、ルシアが個体ごとに微調整していたからではないかと」


「セシリアが?」


「はい。すでに神殿騎士団を通じて、移動用魔獣の食事、水分、睡眠、補食後の反応を記録させています」


 ギルバートは絶句した。


「聖女が、魔獣の餌の記録を取らせているのか」


「そのようです」


「馬鹿な」


 ギルバートは低く言った。


 だが、その声には怒りだけでなく、かすかな焦りも混じっていた。


 セシリアは従順だった。


 少なくとも、これまでは。


 聖女としての役目を受け入れ、家の意向にも逆らわず、周囲に求められる通りに振る舞う娘だった。


 そのセシリアが、ルシアの仕事を追い始めている。


 聖女の仕事ではなく、魔獣の体調記録を。


 その事実が、ギルバートには理解しがたかった。


     ◇


 同じ頃、王城の魔獣厩舎では、セシリアが記録板を手に立っていた。


 白い聖女の外套ではなく、動きやすい淡い灰色の上着を羽織っている。裾には土がつき、袖口には薬草の匂いが染みていた。


 神殿の者が見れば、眉をひそめただろう。


 だが、セシリアは気にしていなかった。


「この子は、昨日より水を飲む前に迷う時間が短くなりましたね」


 栗色の馬型魔獣の前で、セシリアはレオンに尋ねる。


「はい。補食を半量にして、先に水を与えたところ、食後に首を下げる時間も減りました」


「よかった」


 セシリアはほっと息を吐いた。


 治癒ではない。

 奇跡でもない。


 それでも、小さな変化だった。


 お姉様は、こういうものを見ていたのだ。


 そう思うたび、胸の奥に痛みと尊敬が同時に広がる。


 レオンが記録板に書き込みながら言った。


「騎士たちも、最初は戸惑っていました。水を飲む前に鼻先を離した回数など、何の意味があるのかと」


「今は?」


「意味があると分かり始めています」


 レオンは厩舎の奥を見た。


 そこでは、若い騎士が別の魔獣の様子を記録している。

 餌を食べた量。

 歩いた距離。

 休んだ時の姿勢。

 以前なら、誰も書き留めなかったようなこと。


「ルシア様の記録を真似るだけでも、見えるものがあります」


「ええ」


 セシリアは頷いた。


「でも、まだ足りません」


 聖眼で癒せるものは癒せる。

 だが、姉のようには見えない。


 金の魔眼が見ていたものを、銀の聖眼は映さない。


 だからこそ、記録が必要だった。

 見えないなら、見つける努力をしなければならない。


 その時、厩舎の外から足音が近づいてきた。


「セシリア様」


 振り返ると、王城付きの文官が立っていた。


「伯爵……いえ、ギルバート様がお呼びです。オスカー様も同席されています」


 レオンの表情がわずかに硬くなる。


 セシリアは記録板を閉じた。


「分かりました」


「お一人で?」


 レオンが小声で尋ねる。


 セシリアは少し考えてから首を振った。


「いいえ。記録も持っていきます」


 レオンは一瞬だけ目を見開き、それから小さく頷いた。


「承知しました」


     ◇


 ギルバートの執務室に入ると、視線がすぐに集まった。


 ギルバートは机の向こう。

 オスカーは窓際。

 どちらも、セシリアの手にある記録板を見ていた。


「セシリア」


 ギルバートの声は硬い。


「最近、聖女としての務め以外に時間を割いているそうだな」


「魔獣の記録のことでしたら、はい」


「それはお前の仕事ではない」


「では、誰の仕事ですか」


 セシリアは静かに尋ねた。


 ギルバートの眉が動く。


「薬務室や厩舎係がやればよい」


「彼らは、これまで記録の取り方を教えられていませんでした」


「なら教えればいい。聖女のお前がやる必要はない」


「最初に誰かが必要性を示さなければ、誰も動きません」


 セシリアは机の上に記録板を置いた。


「この七日間で、長距離移動用魔獣の不調が八件。補食を変えた後に回復が遅れた例が五件。食前の水分量を調整しただけで改善傾向が出た例が二件あります」


 オスカーが目を細める。


「改善傾向、か。確定ではない」


「はい。確定ではありません」


 セシリアは認めた。


「だから記録を続ける必要があります」


「セシリア」


 オスカーの声には、諭すような響きがあった。


「君は聖女だ。銀の聖眼を持つ君が、ルシアの真似をする必要はない」


 その言葉に、セシリアは胸の奥が冷えるのを感じた。


 真似。


 彼は本当に、そう思っているのだ。


「真似ではありません」


 セシリアは言った。


「学んでいるのです」


「ルシアから?」


「はい」


 オスカーは、わずかに不快そうな顔をした。


「彼女は聖女ではない」


「そうですね」


 セシリアは頷いた。


「お姉様は、聖眼を持っていません」


 ギルバートが少しだけ安堵したような顔をする。


 だが、セシリアは続けた。


「けれど、聖眼には見えないものを見ていました」


 室内が静まった。


「私は、傷を癒やせます。呪いを祓えます。でも、なぜ傷が繰り返されるのか、なぜ呪いではないのに弱っていくのか、それは見えません」


 セシリアは、まっすぐ二人を見た。


「お姉様は、それを見ていました」


「その力を、なぜ今まで黙っていた」


 ギルバートの声が低くなる。


 セシリアは、少しだけ目を伏せた。


「伯父様たちは、知ろうとしなかったのではありませんか」


 初めて、呼び方を変えた。


 お父様ではなく、伯父様。


 実の父でありながら、今までのように甘える呼び方が出てこなかった。


 ギルバートの顔が強張る。


「セシリア」


「私は、お姉様から聞きました。お姉様の目のことを知っていたのは、亡くなったご両親と、私だけだったと」


「……ルシアが、そう言ったのか」


「はい」


「いつ会った」


 鋭い問いだった。


 オスカーも表情を変える。


 セシリアは一瞬迷ったが、隠さなかった。


「国境の救護拠点で」


「なぜお前が国境へ」


「負傷者と負傷魔獣の救護のためです」


「誰の許可で」


「聖女として必要だったからです」


 ギルバートは立ち上がった。


「勝手なことを」


「勝手に姉を売った方に、そう言われたくありません」


 言った瞬間、自分でも驚くほど静かだった。


 怒鳴ったわけではない。

 泣いたわけでもない。


 ただ、言葉が落ちた。


 ギルバートの顔から血の気が引く。


「セシリア」


「お姉様は、戻されるものではありません」


 セシリアは続けた。


「フランキスで必要とされています。ヴァルミアでも、多くの魔獣と人を救いました。お姉様を欠陥と呼んだのは、この国だけです」


 オスカーが低く言う。


「君は、ルシアの肩を持つのか」


「違います」


 セシリアは首を振った。


「私は、この国に必要なことを言っています」


 その瞳が、銀色に静かに光った。


「テレジアは、お姉様に戻ってきてほしいのではありません。お姉様が見ていたものを、やっと必要だと気づき始めただけです」


 オスカーは何も言えなかった。


 セシリアは記録板を手に取る。


「私は、テレジアの聖女です。だから、この国の魔獣も、人も、傷つく前に守れるようにしたい」


 そして、はっきりと言った。


「そのために、お姉様の仕事を“雑務”とは呼ばせません」


     ◇


 セシリアが去ったあと、執務室には重苦しい沈黙が残った。


 ギルバートは椅子に座り直したまま、しばらく動かなかった。


 オスカーは窓の外を見ている。


 王城の中庭では、移動用魔獣たちが厩舎へ戻されていた。

 騎士が一頭ずつ水を飲ませ、食べた量を記録している。


 以前なら、誰も気にも留めなかった光景だ。


 だが今は、妙に目につく。


「……ルシアは」


 オスカーが小さく呟いた。


「本当に、そこまでしていたのか」


 ギルバートは答えなかった。


 答えられなかった。


 ルシアは、聖眼を持たない娘だった。

 だから、欠陥だと思っていた。


 だが、欠けていたのは本当にルシアだったのか。


 その問いが、初めて胸の奥に引っかかった。


 机の上には、ヴァルミアからの照会状が残っている。


 銀と金の双聖女。


 その呼び名だけが、まるで消えない染みのように、ギルバートの視界に残り続けていた。

皆様、ここまで読んで頂き、ありがとうございます。


この作品をここまで続けてこられたのは、読んでくださる皆様のおかげです。

本当に励みになっています。


もし少しでも面白い、続きが気になると思っていただけましたら、評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。

今後ともよろしくお願いいたします。

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