EP 6
赤い髪のパトロールと、深夜の夜食
壁の隙間を塞ぎ、断熱材のおかげでポカポカになった部屋は、すっかり私とキャルルちゃんの『最高のお城』になっていた。
夜の冷え込みが厳しくなる季節だが、タローマンでお取り寄せした分厚いラグマットを敷き、その上でゴロゴロするのは至福の時間だ。
「んふふ……あったかいね、ゆつき」
私の膝に頭を乗せ、丸くなったキャルルちゃんが気持ちよさそうに目を細めている。ぴんと立った白い兎耳が、私の顔をくすぐるように揺れる。
私も彼女の耳の付け根を優しく撫でながら、前世では絶対に味わえなかった『何もしなくていい夜の平穏』を噛み締めていた。
その時だった。
ザクッ、ザクッ、と。
家の外の土を踏む、見知らぬ足音が聞こえた。
「――っ!」
キャルルちゃんの耳が瞬時にピンと逆立ち、彼女はバネ仕掛けのように跳ね起きた。
それまでのふにゃふにゃした甘えん坊の顔から一転し、ルビー色の瞳が鋭く光る。村長として、そして戦士としての顔だ。
「誰……? 足音は一つ。でも、こんな時間に村の人間じゃない」
「えっ、泥棒かな?」
「ゆつきは私の後ろに隠れてて。もし変な奴だったら、特注の安全靴でアバラを三本ばかり持っていくから」
物騒な宣言とともに、キャルルちゃんは腰からダブルトンファーを引き抜き、扉の前へ音もなく滑り出た。
ドンドン、と控えめなノックの音が響く。
「誰だ! ここはポポロ村村長、キャルル・ムーンハートの家だ! 名乗らないと扉越しに顎を砕くぞ!」
「あ、いや、待ってくれ! 怪しい者じゃない! 俺はヒエン。この辺りの緩衝地帯をパトロールしている者だ」
扉の向こうから聞こえたのは、若く、少し焦ったような男性の声だった。
「パトロール? どこの国の兵士だ! ルナミスか、レオンハートか、それともアバロンか!?」
「どこの国にも属してないよ。強いて言えば……『調停者』の使いっぱしりみたいなもんだ。夜風が冷えてきたから、少しだけ火に当たらせてもらえないかと思って……ダメなら、他を当たるよ」
声には疲労が滲んでおり、敵意は感じられない。
キャルルちゃんは「うーん」と鼻を鳴らし、私の心音を確認するように耳をピクピクと動かした後、トンファーを構えたまま用心深く扉を少しだけ開けた。
「……武器は置いて、両手を見せて入りなさい」
「わかった、わかったよ」
ギィ、と扉が開き、姿を現したのは――燃えるような赤い髪が特徴的な、背の高い青年だった。
年は私より少し下、二十歳くらいだろうか。しっかりとした体つきに、旅の汚れがついた丈夫そうな革の防具を身につけている。冷たい夜風に吹かれていたのか、その顔は少し青白くなっていた。
「夜分遅くにすまない。見回りの途中で、すごく暖かそうな光が漏れていたから、つい引き寄せられちゃって」
「ふん。ゆつきが私のために作ってくれたポカポカのお城だからね! 一歩でもゆつきに変な気を持ったら、その瞬間に月影流をお見舞いするから!」
「ゆつき……? あ、君がこの家の?」
ヒエンと名乗った青年が、キャルルちゃんの背後に隠れていた私を見て目を丸くした。
「はじめまして、結月です。少しだけなら、休んでいってください。外、すごく寒かったでしょう?」
「あぁ、ありがとう。俺はヒエンだ。助かるよ」
ヒエン君は人懐っこく笑い、ホッとしたように肩の力を抜いた。
キャルルちゃんはまだ「私のゆつきに近づくな」と言わんばかりにジト目で彼を睨んでいるが、私はヒエン君の冷え切った指先を見て、前世の記憶を思い出していた。
(夜勤明けの、あの芯から凍えるような寒さ……)
終電を逃し、誰もいないオフィスで暖房も切れ、一人震えながら始発を待っていた時のこと。あの時、自販機で買った一本の温かい缶コーヒーが、どれほど心を救ってくれたか。
パトロールという仕事で、彼もきっと夜の冷たさに耐えながら歩き回っていたに違いない。
「キャルルちゃん、彼、手がすごく冷たくなってる。何か温かいものを淹れてあげよう」
「えー……ゆつきがそういうなら仕方ないけど。でも、お茶っ葉切らしてたよ?」
「大丈夫。お取り寄せ、するから」
私はこっそりとエンジェルすまーとふぉんを取り出した。
手持ちのポイントで、今の彼を一番癒やせるもの。この村の特産品であり、私が一度飲んでみたいと思っていたものがある。
私は通販アプリで【ポポロ・コーヒー(ドリップパック型・極上品)】を選び、ポイントを消費した。
光の粒子とともに、テーブルの上にコーヒーのパックと、お湯の入ったお洒落なポットが現れる。
パックを開けた瞬間、部屋中に芳醇で深く、そしてほんのりと甘い、極上の香りが広がった。
「わっ……いい匂い」
「ゆつき、何これ? 黒いお豆の匂い?」
コーヒーの存在を知らないキャルルちゃんが目を瞬かせる中、ヒエン君はハッとして顔を上げた。
「これ……ポポロ村で採れる、上質な『ポポロ・コーヒー』じゃないか? しかも、すごくいい焙煎の香りがする。こんな高級品、出していいのか?」
「ええ、もちろん。寒い時は、温かくて香りのいい飲み物が一番ですから」
私はマグカップに丁寧にドリップしたコーヒーを注ぎ、ヒエン君の前にことりと置いた。ついでに、キャルルちゃんにはホットミルクにお砂糖を少し入れたものを渡す。
「いただきます」
ヒエン君は両手でマグカップを包み込むように持ち、フゥ、と息を吹きかけてから、ゆっくりと口に含んだ。
その瞬間、彼の強張っていた肩が、スゥッと下がるのがわかった。
「……あぁ、美味い。五臓六腑に染み渡るな……」
目を閉じ、深く息を吐き出す彼の顔は、つい先ほどまでのパトロール中の緊張感がすっかり抜け落ちていた。
「俺、料理や飲み物を作るのは結構得意なんだ。でも、人にこんなに丁寧に淹れてもらったのは久しぶりで……すごくホッとしたよ。ありがとう、結月さん」
「どういたしまして。ヒエン君、お料理得意なんだね」
「あぁ。俺の家、母親がちょっと……その、色々と忙しい人でさ。昔から俺がメシを作ることが多かったんだ。もしよかったら、明日の朝、お礼に何か作らせてくれないか? 荷物に少し食材が残ってるんだ」
ヒエン君の提案に、私は嬉しくなって頷こうとしたが、その前にキャルルちゃんが割り込んできた。
「ちょっと! 朝ごはんを作るのはいいけど、ゆつきの胃袋を掴もうなんて百年早いからね! ゆつきの隣は私の特等席なんだから!」
「いや、そんなつもりは……ってか、君、村長なのになんかすごくヤンデレ気味じゃないか?」
「ヤンデレって何!? 私はただ、ゆつきを全力で守ってるだけ!」
プンスカと怒るキャルルちゃんと、タジタジになるヒエン君のやり取りがおかしくて、私は思わずくすくすと笑い声を漏らした。
静かだった夜の部屋に、温かいコーヒーの香りと、穏やかな笑い声が満ちていく。
この何気ない時間が、私にとってはたまらなく愛おしかった。
『ピロリン♪』
ポケットの中でスマホが震えた。
『通知:善行ポイント獲得!』
『【凍えるパトロール青年への、心温まる深夜のコーヒー】を検出!』
『「こんな夜食、惚れてまうやろ」「村長さんの威嚇も可愛い」とゴッドチューブの視聴者もほっこり! 深夜枠のPV率が急上昇ですっ!』
『獲得ポイント:+120pt!』
どうやら、リリスちゃんの深夜の予算稼ぎにも貢献できたらしい。
「よし、ヒエン。朝ごはんの腕前、この村長キャルルが厳しく審査してあげるから! もし焦がしたりしたら、即刻蹴り飛ばす!」
「わ、わかったよ。俺の腕によりをかけて、最高に美味い朝飯を作ってやる」
赤い髪のパトロール青年と、特注安全靴の村長さん。
明日の朝食がどんなふうになるのか、少しだけワクワクしながら、私は空になったコーヒーカップをそっと片付けた。
穏やかな夜は、まだまだ優しく更けていく。
読んでいただきありがとうございます。
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