EP 2
特注安全靴の村長さんと、人参の匂い
遠くに見える村の明かりを目指して歩き出したものの、私の足取りはすぐに重くなった。
どうやら、転生したばかりのこの体は、ひどく衰弱していたらしい。
歩いても歩いても、明かりは遠い。お腹の底から鳴り響く強烈な空腹感と、足の裏から這い上がってくるような疲労。前世で徹夜明けの満員電車に揺られていた時のめまいに似ていた。
「はぁっ、はぁ……ちょっと、休憩……」
草むらに膝をついた瞬間、プツンと糸が切れたように体が動かなくなった。
土の上に倒れ込む。視界がぼやけ、冷たい夜露が頬を濡らした。
(せっかく、生き返ったのに……ここで、行き倒れ……?)
薄れゆく意識の中、ザッ、ザッ、と草を踏み分ける足音が聞こえた。
誰かが私を抱き起こす感覚。鼻先をかすめたのは、土の匂いではなく、ふわりと甘い『人参』のような優しい香りだった。
「――っ! おい、しっかりしろ! 息が浅い……マズいな、魔力欠乏と極度の栄養失調だ。今すぐ薬を――」
凛とした、けれどどこか焦ったような女の子の声。
それが、私の記憶の最後だった。
* * *
ちゅん、ちゅん、と小鳥のさえずりが聞こえる。
次に気づいた時、私はふかふかのお布団の中にいた。
「……んん……」
ゆっくりと目を開ける。
見慣れない木造の天井。所々雨漏りの染みがある古ぼけた部屋だが、隅々まで綺麗に掃除されており、不思議と埃っぽさはない。
なにより、体を包んでいる毛布が、お日様の匂いがしてとても温かかった。
「あ、気がついた?」
不意に、真上から声が降ってきた。
顔を向けると、ベッドの脇に丸椅子を引き寄せて座っている女の子とバッチリ目が合った。
「えっと……」
「よかったー! 一時はどうなるかと思ったけど、顔色もだいぶ良くなったみたいだね。気分はどう? 吐き気とかない?」
覗き込んできた彼女を見て、私は思わず言葉を失った。
年の頃は私より少し下、二十歳くらいだろうか。動きやすそうな現代風のラフな服装に、足元にはなぜか無骨な特注の『安全靴』を履いている。
だが、一番目を引くのはそこではない。
彼女の頭には、ピンと伸びた長くて白い『兎の耳』が生えていたのだ。
私が瞬きをすると、その耳が嬉しそうに『ぴょこん!』と跳ねる。
「うさ、ぎ……?」
「ん? あぁ、これ。私はキャルル。キャルル・ムーンハート。『月兎族』っていう獣人の一種だよ。一応、ここの……ポポロ村の村長をやってるんだ」
キャルルと名乗った彼女は、えへへ、と人懐っこく笑った。
「私が、村のはずれで倒れていたところを助けてくださったんですか? あの、ありがとうございます。私、桜田結月って言います」
「ゆつき。うん、可愛い名前だね! でも敬語なんていらないよ。それに、困ってる人を助けるのは村長として当然のことだから!」
元気いっぱいに胸を張るキャルル。
その時、彼女が少しだけふらつき、ベッドの枠に手をついたのを私は見逃さなかった。よく見ると、彼女の顔色は抜けるように白く、額にはうっすらと汗がにじんでいる。
「キャルルさん……? なんだか、すごく顔色が悪いですよ!?」
「あー、ばれちゃった? 平気平気、ちょっと魔力を使いすぎちゃっただけだから」
彼女は照れ隠しのように、ぴんと立った耳の付け根を掻いた。
「ゆつき、昨日見つけた時は本当にギリギリの状態だったんだよ。だから、手持ちの『陽薬草』に私の月兎族の力を注ぎ込んで、『月光薬』っていう秘伝の薬を作って飲ませたの。どんな傷も病気も治せる特効薬なんだけど……ちょっとだけ、自分の体力をゴリッと削っちゃうんだよね。あはは」
「体力を、削る……? 私のために、そんな無理をしてくれたんですか!?」
私は弾かれたように身を起こした。
見ず知らずの行き倒れのために、自分の命を削ってまで薬を作ってくれたというのか。
「だって、見過ごせないじゃない。それに、今日は月が出てるから、夜になれば回復するし! 私のことは気にしないで、ゆつきはいっぱい寝て体力を戻すこと!」
怒ったように頬を膨らませるキャルルが顔を近づけてくる。
その瞬間、彼女の頭の白い兎耳が、私の頬にフサァッ……と触れた。
「――っ!?」
なんだこれは。
信じられないほど柔らかく、絹のようになめらかで、そして温かい。
前世で疲れ切った帰り道、ペットショップの窓ガラス越しに見つめることしかできなかった、あの至高の『もふもふ』が、今、私の頬を直接撫でている……!
「あ、ごめん。耳、当たっちゃった?」
「い、いえ! あの、すごく……柔らかくて、温かくて……その、最高です」
「ふふっ、ゆつきって変なの。でも、月兎の耳を褒められるのは嬉しいな。えーい、もふもふの刑だー!」
キャルルは笑いながら、わざと頭をすりすりと押し付けてきた。
頬を包み込む極上のふかふかとした感触と、彼女から漂う人参の甘い匂い。
なんだか、目の奥がツンと熱くなった。
前世の私は、職場で倒れた同僚を見たことがある。
その時、上司が放った言葉は「体調管理も仕事のうちだろ。誰がアイツの穴埋めをするんだ」という舌打ちだった。
自分が限界まで無理をして働いても、誰も心配してくれない。評価もされない。ただ「便利な駒」として消費されるだけだった。
それなのに。
この見知らぬ世界で出会った兎耳の女の子は、私から何の見返りも求めず、自分の身を削ってまで助けてくれた。
温かい毛布。綺麗に掃除された部屋。心地よいもふもふ。
こんなに優しくされたのは、一体いつぶりだろう。
「ほら、これあげる。口開けて?」
ぽーっとしている私の口に、キャルルがポケットから取り出した何かをポンと放り込んだ。
コロコロとした丸い飴玉。舌の上で転がすと、黒糖と人参を合わせたような、素朴でホッとする甘さが広がった。
「ポポロ村の特産品、人参風味の飴玉。甘いものを食べると、元気が出るでしょ?」
そう言って笑う彼女の服の袖口が、丁寧に縫い直されていることに気づく。村長とはいえ、この村の暮らしが決して豊かではないことが、部屋の雨漏りの染みや彼女の服装から伝わってきた。
毛布の下で、私はこっそりと自分の手の中にある『エンジェルすまーとふぉん』を握りしめた。
現在のポイントは、初回ログインボーナスの【100pt】。
(キャルルちゃんは、私のために体力を削ってくれた。今度は、私が彼女に何かを返す番だ)
この優しくて温かい女の子に、とびきりの笑顔になってもらえるようなものを。
前世の社畜OLとして培った『相手が今、何を一番求めているかを見抜く』段取り力を、今こそ発揮する時だ。
「キャルルちゃん。本当にありがとう」
「どういたしまして! よし、私は村の見回りに行ってくるから、ゆつきは絶対安静ね! 動いちゃダメだよ!」
バタン、と元気よく扉を閉めて出ていくキャルルを見送りながら、私はスマホの画面を開いた。
目指すは【食品】カテゴリー。
今の彼女の疲れを癒やし、あの飴玉よりもっともっと甘くて、最高に幸せな気分になれるもの。
よし、最初のお取り寄せは――これに決めた。
読んでいただきありがとうございます。
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