第二部「皇帝はダッシュボードを覗き込む」・第三話「現場叩き上げにたじろぐ皇帝」
森岡のような現場叩き上げと話すとき、私は少しだけ姿勢を正す。
彼女の前で、数字だけを語ることはできないと、経験から知っているからだ。
全社会議で、私はしばしば「現場の声はどうか」と彼女に意見を求める。
その問いかけ自体が、ときに便利な儀式であることも理解している。
「現場の声を聞いた」という事実を会議録に残すための、印象作りの一部であると。
しかし、森岡が口を開くとき、部屋の空気はわずかに変わる。
AIのレポートに書かれていない固有名詞がいくつか並び、十年来の付き合いのある取引先の話が出てきた瞬間、数字だけを見ていた私の頭の中に、急に誰かの顔が増える。
その顔は、AIのダッシュボードには表示されない。
私は彼女を、尊敬と警戒の両方で見ている。
尊敬は、自分が一度も通らなかった道を彼女が歩いてきたことに対して。
警戒は、その道を知っている者だけが持ち得る「ここから先は机上の空論だ」という一線を、彼女がはっきり見ていることに対して。
彼女が取締役に近い位置まで登ってきた今、私は時折、自分の椅子と彼女の椅子の距離を測ってしまう。
AIや若手エリートたちがいくら精密な提案を並べても、最後にこの会社を動かすのは、誰の声なのか。
それを決める日が、いつか来るのだろうかと。
私は、彼女の前では「理解のあるトップ」を演じる。
「現場の苦労は分かっている」と。
実際には、すべてを分かっているわけではないことを自覚しながら、その自覚さえも、AIには数値化されてしまいそうで、どこか落ち着かない。




