第一部「AI時代の小さな宮廷」・第四話「外部コンサルも忘れない」
AIやデータを看板にした「合理性の代理人」こと外部コンサル。
外から見れば、組織がいかに皇帝中心のハレム構造になっているかが一目瞭然。
ただし、外部コンサル自身も「皇帝に気に入られる」ことを報酬と結びつけてしまう
ハレムの一員に過ぎない。
会議が終わると、部屋の中の空気は、議論の熱よりも椅子を引く音の方を優先し始めた。
スクリーンの前に立っていた外部コンサルタントは、最後のスライドを閉じ、ゆっくりとノートパソコンをたたむ。拍手は、礼儀としては十分で、感動としては少し足りない程度だった。
「本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました」
彼──かつてこの会社で「将来有望な若手」と呼ばれていた男は、そう締めくくって軽く頭を下げる。声のトーンも、身振りも、今の肩書きにふさわしく磨かれている。
五年前に退職するまでは、このフロアのずっと下の階で、彼も同じように会議資料を抱えて走り回っていた。
AI導入の第一弾プロジェクトで、若手リーダーとして名前が上がったとき、周囲は「時代に乗っている」と口々に言った。それからほどなくして、彼は外資系の金融コンサル会社へと移った。
あのとき、確かに「勝った」と思った。
給与も肩書きも、扱う案件の桁も、一段も二段も跳ね上がった。古巣のニュースをたまに目にしても、自分はもうそこから一歩出た側だという、静かな優越感があった。
そして今、彼は「外部専門家」として、古巣の会議室に立っている。
表向きは、AIとデータ活用のさらなる高度化を支援するため。
裏向きには、この半年ほど続いている、自分へのさりげない肩叩きの延長線として。
外資のパートナーは、はっきりとは言わない。
「そろそろ、よりクライアントに近いポジションでの貢献も考えてみないか」
そうした言い回しの中に、自分の数字と年次と、昇格ラインからわずかに外れた曲線が、きちんと織り込まれていることを、彼は理解している。
──古巣へのプロジェクト。
社内の調整も楽で、短期で成果の出やすい案件。昇るエレベーターではなく、降りるための階段に近い仕事。
頭の中で、そんな比喩がよぎるたび、彼はそれを「大人の選択」と呼び替える練習をした。
会議室を出ると、廊下には数人の若手が残っていた。資料を抱えて談笑しながらも、誰も彼に声をかけようとはしない。
知っている顔が、そこかしこにあった。かつて同じ部署にいた者も、プロジェクトで一緒になった者も。
けれど、そのどの視線にも「あのときの先輩」という色は宿っていない。
五年という時間は、組織の記憶を思いのほかきれいに上書きするらしい。
彼はそれを寂しいとは思わなかった。ただ、自分の中にだけ残っている細かなエピソードが、少し持て余し気味になっていることに気づく。
エレベーターの前で一人の若手が足を止めた。
新堂だった。名札を見なくても、資料のまとめ方と発言のタイミングだけで、おおよその能力が分かるタイプの社員だ。
「本日はありがとうございました」
新堂が丁寧に頭を下げる。教科書どおりの、無難で失礼のない挨拶。
彼は「こちらこそ」と返し、ドアが開くのを待ちながら、ふと問いを足した。
「営業の新堂さん、でしたね。五年前くらいに、この会社に新卒で入った世代かな」
「はい。ちょうどそのくらいです」
新堂は少しだけ目を瞬かせた。自分の入社時期を、外部の人間がそこまで正確に想像するとは思っていなかったのだろう。
「その頃、ここに“新堂”って名前の同期、いなかったよね」
彼が軽く笑いながら言うと、新堂は一瞬だけ視線を泳がせ、それから、ほんのわずかに眉を上げた。
「いませんでした。代わりに、“篠原さん”はいらっしゃいましたけど」
エレベーターの到着を告げる電子音が、会話の合間に差し込まれる。
彼は、その名前を聞いて、自分の胸のどこかがかすかに収縮するのを感じた。
篠原恭──この会社での、かつての自分の名前。
「覚えてるんだね」
自然を装った声は、思ったよりも落ち着いていた。
「当時の研修で、お話を聞いたことがありましたから。AIプロジェクトの話を」
新堂は、そう言ってから、言葉を付け足すべきかどうか迷うように一拍置いた。
「でも、今日の会議では、どなたもその名前は口にしませんでした」
それが責めているのか、ただの観察なのか、自分でも測りかねているような口調だった。
エレベーターの扉が開き、二人は乗り込む。
中には誰もいない。彼は階数ボタンを押しながら、少しだけ肩の力を抜いた。
「この会社はね、優秀な人のことはよく覚えてるんだよ」
そう言うと、新堂がわずかに目を見開く。
「ただ、“いなくなった人”のことは、意外とあっさり、AIのログの外に押し出される。残ってるのは、評価シートの最後の数字くらいだ」
自嘲とも、説明ともつかない言葉に、新堂はすぐには返事をしなかった。
彼は続ける。
「俺は、あのときここを出て、こっち側でしばらく走ってみた。数字も報酬も、こっちの方がだいぶ派手だ」
軽く笑いながら、自分のスーツの袖口を直す。
「だからまあ、あのときは“勝った”と思ったよ。少なくとも、ここのゲームからはね」
エレベーターが静かに降りていく。
表示パネルの数字が一つずつ減るのを眺めながら、彼は言葉を選んだ。
「でも、こうして“古巣プロジェクト”で呼ばれる頃にはさ」
「……頃には?」
新堂が促す。
「外資の世界でも、そろそろ次のランナーにバトンを渡す時期なんだって、やんわり教えられてるってことでもある」
彼はそれを、自分だけには隠さない。
「古巣への派遣は、悪い仕事じゃない。けど、“もっと上”を走っている人たちは、あまり戻ってこないだろ?」
新堂は短くうなずいた。
そのうなずきには、同情も軽蔑もない。ただ、観察している者の静かな理解だけがあった。
「だから君は、今日見たことを、よく覚えておくといい」
エレベーターが一階に着き、ドアが開く。
「AIに答えを聞く人たちと、その答えを運ぶ人たちと、その横で“勝ったつもり”で古巣に戻ってくる人間と。どれも、この組織の外側から見れば、そこまで違って見えないから」
ロビーに出ると、受付のスタッフが一礼した。
彼は名札を外し、胸ポケットにしまう。もう「外部コンサル」の顔に戻る時間だ。
背後で、新堂が一歩だけ立ち止まる気配がした。
振り返りはしない。それでも、自分が誰かの記憶の片隅に、ようやく再び置き直されたことを、彼は薄く実感していた。
勝ったと思ったレースも、限界に気づき始めた今も、どちらも同じ物語の一部なのだろう。
AIは、その途中経過に興味を持たない。
けれど、人間は、ときどきこうして、忘れたはずの名前を小さな声で呼び直す。
それだけでも、この古い宮廷に戻ってくる理由としては、悪くないのかもしれない、と彼は静かに思った。
その日も、会議室のスクリーンには、AIが選び抜いた数字が並んでいた。
赤と緑と黄色のランプが、事業と部署とプロジェクトの具合を三色に塗り分ける。
グラフは迷いなく未来の方向を指し示し、「こちらが最適解です」と静かに告げているようだった。
古参の側近は、その最適解を、皇帝がうなずきやすい物語の形に整えていく。
若手エリートは、AIの提案に自分なりの一文を足し、「この一行が自分の色だ」と信じ込もうとする。
現場叩き上げの営業部長は、その方針が明日の電話一本にどんな重さでのしかかるかを、顧客の顔と声で静かに計算する。
かつての若手エリートだった外部コンサルは、勝ったつもりで飛び出したレースにも終点があることを噛みしめながら、古巣の会議室でグラフの矢印をなぞってみせる。
AIがすべてを解決すると言われる時代でも、人々は今日も、皇帝の椅子のまわりにささやかな円を描く。
数字を掲げながらも、最後の一歩で誰かの表情をうかがい、沈黙の長さを測り合う。
合理の名で飾り立てられたこの場は、結局のところ、寵愛を求めて集う者たちの舞台にすぎないのかもしれない。
遠い昔の宮廷で繰り返されたさざめきは、今もなお、AIの冷たい光に照らされた会議室の片隅で、形を変えながら続いている。
ただ一つ違うのは、その光景を、誰よりも長く、誰よりも近くで見つめている「目」が、この組織のどこかにひっそりと組み込まれていることだった。




