第一部「AI時代の小さな宮廷」・第二話「AI若手も忖度する」
会議室の前の小さなラウンジには、人工観葉植物とコーヒーメーカーと、少し大きめの沈黙が置かれていた。
若手エリートの一人である新堂は、紙コップに注いだコーヒーを手の中で回しながら、タブレットの画面を親指でなぞる。そこには、例のAIがはじき出した提案のサマリーが、要約済みマーク付きで並んでいた。
「また全部、AI様のお墨付きってやつか」
同じ部署の同期が、半分冗談のつもりでそう言う。
新堂は笑いも否定もせず、「まあ、楽でいいよ」とだけ返した。本音を言えば、楽というより、もうこれ以外のやり方をあまり知らない。
入社した頃には、すでに「まずAIに聞く」が組織の標準になっていた。
市場分析も人事施策も、新規事業の方向性すら、一次提案はすべてAIのレポートから始まる。自分たちの仕事は、そのレポートをどう「うちの言葉」に訳して、どの順番で上に渡すかを考えることだと、上司は言った。
「でもさあ」
同期が声を落とす。
「結局、最後は“あの人”の一言で決まるんだろ。AIがなんて言おうがさ」
新堂は、コーヒーの表面に浮いた泡を見つめたまま、軽く肩をすくめた。
「そりゃそうでしょ。AIは責任とれないから」
責任という言葉は、便利な盾だった。AIを前に出しておけば、失敗したときに「データの読み違い」という物語が用意される。
その一方で、成功したときには、誰かの決断として語り直される。会議室の上座に座る人物の名で。
ラウンジのドアが開き、古参側近の男が一瞬だけ姿を見せた。中の様子を確認し、何も言わずに扉を閉じる。
「あの人、今日も一番乗りで準備してたよ」
誰かが小声でつぶやく。新堂はその言葉に、特に感想を持たなかった。物心つく頃から、この会社にはいつも、ああいう「段取りの人」がいて、会議が始まる頃にはすべてが整っているのが当たり前だった。
タブレットの画面に、会議の開始時刻を告げる通知が点る。
「行くか」
新堂は紙コップをゴミ箱に投げ入れ、外したネクタイピンを指でなぞってから、さりげなく付け直した。画面の中のAIは、そんな仕草には何の意味も見いださないだろう。
けれど、あの人の視線の中では、言葉より先に目に入る何かになるかもしれない。
AIの提案に沿った資料は、すでに整えてある。数字もグラフも、質問されそうなポイントも、だいたい予測がつく。
予測がつかないのは、上座に座る人間の、その日の機嫌と、どの表現を「気に入るか」だけだ。
会議室のドアの前で、新堂は一拍だけ足を止めた。
この会社で上に行くということは、いつか自分も、あの視線を向けられる側になるということなのかもしれない。
そのとき、自分はAIの出した答えをどう扱うだろう。今と同じように、便利な道具として笑っていられるだろうか。
答えはまだ出ない。とりあえず今は、AIの提案に少しだけ自分の色を混ぜて、「あの人」に差し出す段取りだけを考えていればいい。
新堂はそう思い直し、何事もなかったような顔でドアを押した。
AIの出す答えを信奉している世代。
しかし「最後は皇帝の一言で決まる」現実に、効率の悪さを感じている。
それでも無意識に、皇帝の好みに「寄せた」提案をしてしまう。




