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第8話 禍(わざわい)の予兆

 カラン。


 カーティス探偵事務所助手3となったレフが、助手2のカティサから仕事の段取りを教わっている時にその女性は現れた。


「……バージル、いるか?」


 グレーのスーツに褐色肌の女性。眼光は鋭く顔には大きな傷がある。

 

「あ、レイラさん。いらっしゃい。所長は奥にいるよ」

「すっかり元気になったなカティサ。今日は土産持ってきた」


 レイラは封筒2通を軽く掲げるとカティサの横にいたレフを見る。

 彼女の眼光でレフは背筋に悪寒が走る。


「こちらは今日から働くことになったバイトのレフ君。レフ、レイラさんは私を保護して所長を紹介してくれた人なんだ」

 

 カティサがレフを紹介する。レイラは懐から警察手帳を取り出す。


「……宜しく。ロンドン警視庁のレイラ・シンクレアだ。この事務所は『取引先』だ。今後も来る」


 やはり警察ヤードか。バージルが元刑事なら今も繋がりあってもおかしくない。彼女が勘繰る前に決行しなければならない。

 挨拶を返しながらもレフは気を引き締める。


 レイラは慣れたように事務所奥のバージルの席へ向かう。

 一方バージルはレイラの方を見向きもせずパソコンで作業を続けている。


「相変わらずだね」

 そう言ってレイラはバージルの机の向かいに立った。


「ガリェーチが極東支部を離れた。バーンブレイカーを追ってこの国に入国したという情報だ。他Adaptの関与が濃厚なヤマ2件」


「……境井 緑の件は?」

 バージルがようやく口を開く。相変わらず視線はモニターから動かさないまま。


「残念ながら何の進展もない」


 大我の情報通りだ。協会から言われて行動していたのも信じていいだろう。

 しかし警察が民間にここまで情報を流していいものなのか。それにバージルの妙にそっけない態度は何なのだろう。


 レフが二人をじっと見ているとカティサが耳打ちしてきた。


「レイラさんは所長の刑事時代のバディで、元カノ。なんかあったみたい。いつもこんな感じ」


(原因はあの顔の傷だろうな……)


 レイラの左頬から左目の上に至るまで深く刻まれた傷跡。あれは鈍的外傷に鋭的外傷が加わったものだ。つまり狼男化したバージルの爪の痕だろう。

 バージルとレイラの間に流れる淀んだ空気はそのせいだとレフは推測する。

 

 今のレイラは刑事としての仮面を被っている。彼女はビジネスライクに資料を突き付けた。


「渡したからな」

「……」

  

 バージルはわざとらしく目を逸らし、資料を捲る。

 

「返事ぐらいしろ。わざわざプリントアウトして持ってきてんだ」


 元恋人の態度にレイラはイラっとする。しかし彼は振り向かない。

 

 ワンテンポ置いてようやく彼は語りだした。

 

「……諦めろ。俺は、お前の隣に立つ資格はもうない」


 バージルの言葉は自己への問いかけでもあるような響きがあった。

 レイラは左手で自らの頬を触る。深い傷跡。目の前の男が人の心を失い切り刻んだ証。

 再び空気が淀んで、そしてレイラが口を開いた。

 

「私はこれ以上整形しようとは思ってない。あんたを救った誇りだ、バージル」

 

 バージルの机から踵を返したレイラはジーンの机に向かうと、作業中だった彼にもう1つの封筒を渡した。

 そしてジーンと一言二言会話の後、別れの挨拶はせずに出て行った。

 

 ――バージルを狼男にすれば、今度はカティサの顔に傷が付くんだ。

 

 ぎこちなく再開したカティサの仕事の段取り説明の続きが、耳に入らなくなる。

 しかし。

 

 ――傷を付けた跡を直視できない。あれはバージルのウィークポイントだ。



 

(この手で幾人も屠ってきた。それが今、同じ手でまたたびの粉末をまぶしたネズミを振っている)

 

 ロンドンの裏路地。レフは猫じゃらしを手に隙間へ入り込んでしまった猫を呼び込もうとしている。

 

 ジーンが受け取った書類には猫捜索依頼が入っていた。

 首輪にGPSが付けられているので発見は容易だったが、捕まえるのに苦労している。


「所長は動物に怖がられてしまうからねー。迷い犬迷い猫の捜索は、僕たち助手の仕事なんだ」

 ジーンはまたたび猫じゃらしを制作している。

 

「ミスティちゃーん!こっちの水は甘いぞー!」

 カティサは隙間の反対側でエサ作戦をしている。猫缶を色々並べているが、なかなか寄って来てくれない。


 白地に黒模様の猫が顔を出す。凛とした顔立ちのミスティは鼻先に猫じゃらしを突けたレフから逃げた。


「よし、カティサ!そっちで捕まえて!」


 ジーンの一声でカティサの方向に逃げ出した猫をカティサは捕まえようとする。だがエサを差し出した彼女の頭上を飛び越えてミスティは走り去ってしまった。


「がーん」

「カティサ!ショック受けてる暇ないよ!追おう!」


 三人はGPSを頼りに走り出す。

 動き回っていたミスティの動きが大通りで止まる。


『車に轢かれていたらどうしよう』


 バングルからまーくんの悲痛な声が漏れる。


『止まったのは好機だ。その結果がどうであれ見つけられる』

『リョーヴァらしいね』



 ミスティは赤黒のゴスロリ少女に抱えられていた。頭を撫でられている。


 あの時の!

 あの時の!


 レフとカティサが同時に声を出す。ジーンは何事かと驚く。


「知ってるの?」

「知らない」

「いいや知らない」


 そんな三人のやりとりを見てゴスロリ少女は微笑む。


「お探しの猫ですよね?はい、クロム様」


 少女はカティサに猫を渡す為近づいてきた。

 空気が冷える。

 彼女は冷気でも纏っているのだろうか。

 

 レフは少女に問いかける。


「……君は俺達に何か用があるようだが、何の用件なんだ?」


 少女はレフを一瞬睨むと、すぐ表情を元に戻しカティサの方を向く。


「禍が近づいています。お気をつけて」


 それだけ言って少女は立ち去ろうとする。

 カティサはその背から問うた。


「君、名前は?」

 

 少女は振り返った。


「……ヴァーミリオン。今はそれだけお答えします」


 三人は呆然としながら少女ヴァーミリオンが去っていくのを見つめた。

 

「変わった名前の子だなー」


 そう呟いたカティサの胸に抱えられていたミスティが、同意するかのようにニャーと鳴いた。


 

 

(「クロム様に近づくな。あなたは禍の者」)

(「禍が近づいています。お気をつけて」)


 レフはヴァーミリオンの言葉を反芻していた。

 授業中も表の仕事中も裏の仕事中も。

 

 まるで予言者のような少女。

 見られてはいないか?盗聴器が仕掛けられてはいないか?

 襲撃計画の工作を進めながらレフは辺りを見渡した。

 

 事務所隣のビルの工事の音が響く。

 決行は明晩。

  

 

 

 月光が裏庭を照らしている。丸い月が浮かんだその日。

 一人、裏庭でタバコを嗜んでいたバージルは月を見上げていた。


「血が騒ぐ……」

 

 タバコをくわえながら右手で三日月型の痣を擦る。


「痣がうずく」


 右手指に力をこめ、痣にギッと爪を立てた。

 

「……来い、亡霊プリズラク


 

 同時刻。

 満月を背景に高台の上に立つ仮面の男が一人。

 虹色の液体で満たされた注射器ランスを高く掲げ、騎士のように体の前面に構える。


 注射器がヴォン!という音と共に変形し長く伸びる。

 中の液体は攪拌され月光のように淡く発光を始めた。

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