第9話 襲撃開始
工事用の足場、その鉄骨の上に立つ影。
月明かりはあるのに輪郭だけがやけに曖昧だ。
仮面が放つ赤い光だけが動いている。
赤い光の視線はただ一つ。
カーティス探偵事務所。
話は少し前に戻る。
「すみません。今日は腹が痛いので欠勤します」
迷い猫事件を解決してから二日後。レフは仮病でバイトを休んだ。
電話を取ったカティサから「お大事にね!」の返事が来る。
その声が、今は胸を締め付ける。
電話帳の“Curtis Detective Agency”の文字。
メッセンジャーアプリの“Katisa”の文字。
束の間の構築。
事務所への連絡を終えたレフはスタジオフラット(いわゆるワンルームマンション)の自宅で鞄に道具と着換えを入れる。
プリズラクの仮面を見つめる。
自分をAdaptのエージェントに変える物。
幼少時からAdaptにいる自分はこの道しか選べなかった。学校にもまともに行けなかった。
仮面を外した大学生でいられるのは、幹部の権力を得た姉さんのおかげ。
『リョーヴァ、怖い?』
スライムの姿でくつろいでいたまーくんが相棒を心配して寄ってくる。
『……友達になれるかもしれない女の子を犠牲を伴って試さなきゃいけない』
まーくんの頭を撫でる。
『いつも一緒にいてくれてありがとう』
レフが礼を言うとまーくんはつぶらな瞳を更につぶらにしてこう返した。
「хорошо!」《ハラショー!》
仮面を鞄にしまい、時間調整の為にレフは部屋の掃除を始めた。
まーくんはゴミを集め始めた。
冬の峠を越えた今の時期の日没は夕刻だ。自宅を出たレフは空を見上げる。
暗くなっていく空と反比例するように光が増していく丸い月がレフの瞳に映る。
『きれいな月だね』
いつの間にか、バングルからスライムの姿に戻りレフの肩に乗っていたまーくんが呟いた。
――現在、まーくんは月の明かりをその身で反射させながらフラットの配電盤にへばりついてる。
昼間だけ設置されている隣接ビル工事の迂回ルート看板をプリズラクが戻した為、車の通りも無く静かだ。
一方で事務所上階と周辺の住宅には夜間工事のお知らせを入れた。時間稼ぎにはなるだろう。
プリズラクは下に降りる。そしてまーくんに合図を送った。
Начало нападения《襲撃開始》
「わっ!真っ暗になった」
定時間際に入った早急の迷い猫捜索依頼、立て続けに発生した通信トラブルで残業を余儀なくされていたカティサの叫び声が響く。
非常灯が点灯する。街灯と青白い月光が事務所に入る。
サーバーラックの駆動音、空調や冷蔵庫のモーター音も消えた為か静かだ。
「……停電?エラーが出ていたのは電気系統起因??」
ジーンが椅子から立ち上がり、スマホを照らしてバックルームに向かう。
空気がどんよりする。今はまだ暖かいがその内暖房の余韻は消えるだろう。
「今日、ホントなんかツイてないですね、所長」
カティサは玄関のドアを開けにいく。しかし。
「あれ?なんで開かないの??」
ロックを外しガチャガチャとノブを回すが開かない。
嫌な予感がしたカティサは裏庭に出るもう1つの扉も開けに行く。
「ダメだ開かない。なんでなんで??」
カティサが汗をかきだす一方、室内の空気は少しづつ冷えていく。
バージルの返答が遅れてやってきた。
「……カティサ。分からないか?」
彼は机に肘をつき、腕を立てて手を組んでいた。
突如の停電であるにも関わらずやけに落ち着いているが、その表情は拳で隠れて見えない。
「これは偶然じゃねえ。偶然が揃いすぎている。ただ」
顔を上げる。バージルの推理上に無い、理解しがたいものが1つ。
「……何故後ろに気配があるんだ?」
バージルは振り向かないまま理解する。
壁を背にしたバージルの机。
そこにあるはずのメモまみれのボード、そして椅子の背もたれが消え、すぐ後ろに闇が存在しているのを。
手が震えだすのを力を込めて抑え込むとバージルは一言呟いた。
「受けて立とうじゃねえか」
ドスっ!
次の瞬間、彼の背中に注射器状の槍が突き刺さっていた。
闇から出てきたそれは軽く刺さっているがしかし心臓の位置を的確に狙っていた。
「ぐっ……うう……」
槍はバージルの背に刺さったまま中の液体を減らしていく。
Adaptの改造を施された者に作用する薬剤が血流に乗って循環を始める。
「えっ?……何?」
「所長!」
物音を聞いたカティサと、バックルームにいたジーンが駆け寄る。
バージルは机にうつ伏せで倒れていた。
薄明かりの中でも背中から出血しているのが分かる。
ジーンは長柄状のものが背後の壁に吸い込まれるように消えていくのを見た。
「誰かが、所長を……?」
「熱い……」
バージルの体は小刻みに痙攣していた。ジーンは背中をタオルで押さえる。
呼吸と意識状態を確認し、呆然となっているカティサに声を掛ける。
「カティサ!救急車!」
ジーンの声にハッとしたカティサは救急車を呼ぼうとするが、999が通じない。
「そんな……こんな時に電話もダメなの」
「……やめろ」
自分のスマホから何度もコールするカティサをバージルが止める。
「所長!動かないで!」
「……ジーン……離れろ……」
机を支えにし無理に立ち上がった彼は机の前に出ると右手で助手達を払いのける。
その手は人ならざるものになっていた。
大きく毛深く爪が長くなったバージルの手は更に大きさを増していく。
袖口が裂ける。
窮屈になったのか革靴を蹴るように脱ぐ。
靴下が破れる。スラックスの裾が裂ける。
足も手と同様に大きく毛深く爪が長くなっていく。
バージルの背中が盛り上がり傷口を塞ぐ。
同時に彼の頭部が変形を始める。骨のきしみがはっきり音となって聞こえる。
「……加減……シロ……」
声は低くくぐもった、異質な声に変わっていく。
所長の変容に理解が追い付かず、カティサは目と口を開きある意味場違いな間抜けな表情をしていた。
ジーンは真っ直ぐ逸らさず見つめていた。まるで見届けなければならないのが義務であるかのように。
無精ひげの顎が伸び牙が生える、喉元から白毛が生え鼻先が黒くなる。
整えられてない赤毛の髪は白毛以上に生えてきた赤い体毛と馴染み、縦に長く伸びた耳が頭部に移動する。
たれ目のこげ茶の瞳が鋭い金色の瞳に変化する。
人から二足歩行の獣へ。
ワイシャツのボタン、スラックスのベルトははち切れんばかりになりながらもかろうじて留め具の役割を果たしていた。
見慣れた服を着た一頭の獣。
ようやく理解が追い付いたカティサはこの前動画サイトで見た映画を思い出した。
「狼男だ……」
カティサとジーンがバージル所長と呼んで慕っていた男は今、狼男として二人の前に君臨していた。
「ウォオオオオオ――――ン!」
赤毛の狼男は咆哮した。




