第4話 大我の幼馴染
ズズッ、ズズズッ――。
ロンドン中心部、洗練されたモダンな、しかし活気のある賑やかなラーメン店。
テーブル席の向かいに座った大我の食欲はレフの想像を絶していた。
レフが一杯目で値を上げた特盛豚骨ラーメンを彼はぺろりと平らげると当然のように替え玉を注文し、慣れた手つきで塗り箸を操る。
麺を啜り、から揚げを放り込み、合間にチャーハンをレンゲですくう。
更に追加で頼んだ餃子が運ばれてくると、大我は満足げに目を細めた。
(マナーの違いなのだろうが、その、啜る音はどうにかならないのか)
ロシア育ちのレフにとって、その音は生理的な違和感を拭えない未知の刺激だ。
だが、その音は不思議と、この男の底知れない生命力の躍動のようにも聞こえた。
『タイガ、いっぱい食べるね』
『そうだな。こいつのエネルギー源は、すべてこの胃袋に直結しているらしい』
小声のロシア語でまーくんと言葉を交わす。
バングルに擬態しているまーくんが、レフの左手首で「ぷるぷる」と震えた。
脂の香りに当てられたのか、それとも大我の放つ熱気にあてられたのか、液体金属の質感がわずかに露出しかけている。
『……おい、よせ。今はダメだ』
低い声で嗜めるが、大我の鋭い目はそれを見逃さなかった。
「それ。生きてんのか?」
「! ……ただの、ペットのようなものだ。気にするな」
レフが袖で隠そうとするより早く、まーくんがバングルの形を解き、テーブルの上にぴょん!と飛び出した。
時折青色にも見える銀色のスライムは、大我の食べかけの餃子の周りを興味深そうに跳ね、小さな気泡をパチんと弾けさせる。
「へぇ、変わったペットだな! お前、名前は?」
「Mercury。人工生命体、まーくんだよ。よろしくね、タイガ!」
まーくんは嬉しそうに全身を震わせ、銀色の体内に、大我が差し出したレンゲ一杯のスープを取り込んだ。
「まーくんか! よろしくな。お前、美味そうに食うなぁ」
大我が笑う。
正体を見破ったエージェントを前に、こうも無防備に笑える男がいるだろうか。
(……緊張感というものがないのか、こいつらは)
敵とあっという間に打ち解ける相棒を前に、レフは警戒心を解かない。
(腹は満たしても情報交換としては非効率だ。早く用件を言え)
「……オレが頼んだバニラアイス、あいつも好きだったんだ」
締めにバニラアイスを頼み、スプーン片手にようやく大我は語りだした。
先程とは一転してその瞳には無邪気な色が消え、深い憂いが混じっている。
「オレには境井 緑って幼馴染がいる。オレと同じ19歳の女の子。またいとこなんだ」
大我はレフと同い年だった。
彼は遠くを見るような目で話を続ける。
「緑は2年前、突然消えてしまった」
大我はスプーンを置いてうなだれる。
「光に包まれて、光が分解するかのように、オレの……目の前で消えた」
光が分解するかのように。
オレの。
目の前で。
レフの心臓の鼓動が高まる。
レフの脳裏に、あの日見た「闇」がフラッシュバックする。
мама!
マーマの足元から這い上がってきた、どす黒い霧。
それはとぐろのようにマーマの体に巻き付き、マーマをピンクの発光体に変える。
とぐろが霧散するのと同時に、マーマは格子状になって、そして跡形もなく消えた。
「どうした?」
「……何でもない。続けてくれ」
意識を無理やり現実に引き戻す。
まーくんが察したのか、頭に乗っかっている。
「オレは緑を探す為ヒーロー協会に入った。協会はAdaptの関与が濃厚と言ってるんだ」
初見で姉の名を出してくるからその所業を問い詰めてくるかと思いきや、彼の口から出てきたのは意外な頼み事だった。
「俺に聞きたいのは緑を知っているか、という事か?」
「そう。何でもいい。情報をくれ」
「何でもいい」で警戒モードに戻る。
「対価は?」
「は?」
「情報には価値がある。無償では渡さない」
大我は一瞬きょとんとした後、苦笑した。
「なるほどな……じゃあオレも話す」
「いいだろう」
「先に話してくれ」
「……残念ながら俺は知らない。実験体データベースでも境井 緑という名の日本人女性は無い」
大我の顔色が明らかに変わる。
『実験体であってたまるかよ……』
拳を握りしめ、ダン!とテーブルを叩いた。
『返せ……返せよ、緑を!!』
大我は身を乗り出しレフの胸倉を掴む。
テーブルの上でアイスの器がガタガタと揺れ、客の目線が一斉にこちらへ向けられる。
まーくんがレフの頭から大我の握りこぶしに落ちる。
「嘘は言ってない。本当だ。俺は境井 緑を知らない」
冷静に答えるレフの瞳をじっと見つめ、大我はゆっくりと手を離す。
座り直した大我は拳に乗ったままのまーくんを無言でテーブルに下ろすと、溶けかかっているバニラアイスを食べだした。
気まずい空気のままレフも一緒に頼んでいたチョコアイスにスプーンを入れる。
(このアイスは本来もっと美味いのだろうな……)
レフは妙案を思いつく。
偵察ではリスクを考え事務所の内部調査まではしなかった。
ただあの場所なら相互に利益を得られる。
「大我、探偵に調査依頼を出してみないか?」
大我の手が止まる。
驚愕と、不信。悪の組織の人間がなぜ自分を助けるようなことを言うのか。そんな顔だった。
「俺にも突然目の前で失った大切な人がいる。お前の気持ちは分かるつもりだ」
「さっきのが、そうか?」
レフはただ一言「そうだ」と答えた。
あれは本当のことだ。この男は諦めが悪い。
(分解された者が生きているはずがない。ただ……希望を持てるのは正直羨ましい)
大我は考え込むように水を飲み、しばらくの沈黙の後、呟いた。
「……オレが英国に来たのはAdapt幹部горе́тьがこの国に逃げ込んだからだ。協会からこれをあんたの姉さん、幹部クローフィに伝えるよう言われた。対価はこれでいいか?」
「成程。新情報だ」
そこで何故協会が動くのか疑問に思いつつ、思惑を考えるのは報告した後にする。
「話には乗る。ただ、お前を信用したわけじゃないからな」
「構わない。こちらも同じだ」
奇妙な共闘関係が出来上がる。
「まーくん、戻れ」
レフの言葉に従い、まーくんがテーブルから飛び上がり、レフの左手首に巻き付く。
カチリ、と硬質な音を立てて、再び無機質なレザーバングルの姿へと擬態した。
「カーティス探偵事務所。ロンドンで一番、失踪事件に強い探偵事務所だ。そこへ行く」




