第3話 鮮血のエレーナの弟
ロンドン郊外、通りに面したフラットの1階にある小さなオフィス。
Curtis Detective Agency
ウィンドウサインの書かれたガラス扉の向こうで、カティサは今日も助手の仕事に励んでいる。
『ここがカティサ・クロムの職場。ここが、惨劇の舞台になる……』
一歩離れた場所で事務所を眺める、黒ジャンパーにジーパンスタイルの男子大学生はそう言うと目線を落とし、すぐに顔を上げる。
仮面を取ったプリズラク――レフである。
カーティス探偵事務所所長、バージル・カーティス。金髪ポニーテールの少女、カティサ・クロムの調査の過程で浮上したAdaptの離反者。
彼を狼男に“進化”させ、助手のカティサを襲わせてカティサが「勇者クロム」であるか確かめるのが今回の任務。
『本物じゃなかったらどうする?偶然クロムの苗字なだけかも?』
レフの左手首のレザーバングルが振動する。正確にはバングルではなくバングルの形に圧縮して化けた「まーくん」である。まーくんは問いかけてきた。
『矛盾点はあるけど、姉さんの判断が間違ってるとは思えないよ』
決行は狼男覚醒に相応しい満月の晩。それまで日がある。
レフは事務所の立地を見ながら襲撃計画を練る。
勇者クロムとはAdaptが設立時からその身を捜索していた女性である。
但しその出現は13年後という試算を組織のボスであるКорольが出していた。今年はその13年後だ。
彼女は異世界人で、ゲームの世界の「勇者」のように「魔王」と戦っていたとされる。
その異世界の名は「アーケインホロウ」
英政府が公には否定する、かつて魔女狩りにあった本物の魔女が作った隠れ処の異空間であるらしい。
そこで暮らす住民達は魔女狩りから逃れた魔女とその関係者の子孫であり、産業革命の影響を受けず現代まで古い時代の文化を維持したまま独自に発展しているという。
Adaptが使う「転送装置」はこのアーケインホロウ――通称A.Hに接続できる。
ただレフは任務でもまだ許可が下りず行った事はない。
推定年齢17~18歳とされるカティサのプロファイルと13年前に活躍していた勇者クロムの年齢は合わない。
しかし先日発生した怪人事件でのカティサの活躍は「金髪ポニーテール」「浄化の風魔法を使う」という勇者クロムの特徴と一致している。そして「クロム」の苗字。
『勇者クロムなら負けないだろうが、 万が一は逃がせるようにしよう』
それに。
『あの印象的な瞳を、もう一度見たい』
地下鉄駅のベンチに座る。カーティス探偵事務所偵察の帰り道。
電車が出た直後のホームにはレフを除いて人の気配がない。
追跡がないかスマホを手にしたままレフは改めて確認する。
襲撃計画の段取りは8割方決まった。
あとは帰宅後にまとめようとメモアプリを切ったところで、隣に赤黒いゴスロリ服を着た少女が座っているのに気が付いた。
「クロム様に近づくな。レフ・アレニエフ」
いつの間に。しかも本名を呼んできてぎょっとする。
近づくなというわりに自分はやけに距離を詰めてきた、この少女は何者なんだ?
「君は誰だ?」
質問に答えない。目は正面を向いたまま少女は言葉を続ける。
「あなたは禍の者」
そう言って立ち上がり、相変わらずレフの方は見ないまま早足で去っていった。
しばし呆然としはたと気付き、思考回路を強引に“プリズラク”に変える。
Adaptに仇なす者か?名前を呼ばれた以上放置しておけない。レフは追いかける。
『見失っちゃったね』
まーくんが残念がる。
あの特徴的なゴスロリ服が通路奥の階段を上がるまでは確認できた。
外は小雨が降っている。時刻は日没後。
赤い二階建てバスがライトを照らし目の前の道を通り抜けていく。
雨も構わず辺りを見回している男がいた。
『赤い服の女の子どこ行った?』
(これは……日本語か?容姿も東洋人だ)
レフは先日の日本人ヒーローを思い出す。
着ているジャケットもあのバーンブレイカーと同じオレンジがかった赤色だ。
『あ。マジでいた』
男はレフを指差す。そのまま拙い英語が飛び出る。
「鮮血のエレーナの弟、あんたがそうなのか?」
心臓が縮み上がった。
「鮮血のエレーナ」とは姉の二つ名だ。今日は一体何なんだ。
流暢な英語で言葉を返す。
「お前……何者だ。なぜ、その名を知っている」
警告を発してきたゴスロリ少女とはまた違う、まるで獲物を狙う猛獣のように近づいてきた男を前に、レフは右手を左手首のバングルに伸ばす。
バングルが振動する。まーくんが反応している。
レフの殺気を感じたのだろう、男は両手を上げる。
「ノーノー!待て待て!敵じゃないって!」
「……その言葉を信用しろ、と?」
間を置かずに返す。
「 すまんすまん。オレ、大我。ヒーローだ。ヒーロー協会に言われて探してた」
「……先日の怪人事件の」
「そうそうイエスイエス。先に言っとくけど戦う気はない。ノーバトル」
ヒーロー協会にプリズラクの正体はここまで割れているのか。
(いや、まだ断定は早い)
睨みつける視線ではない。逸らすようなそぶりはない。
両手は上げたまま。武器らしいものはない。
即座に攻撃態勢へと取れる姿勢になってない。
むしろ防御すら手薄だ。ちょっとは警戒しろ。
敵意は薄いの結論に至ったレフはバングルから手を放す。
それを見た大我は安堵の表情を見せて両手を下げる。
「はー……よかった。いきなりやり合うのは勘弁なんだよな」
「何の用だ。簡潔に言え」
「いや固いな!?こんな雨の中で立ち話もなんだしさ、ラーメンでも食いながら話そうぜ」
(正体を見破った相手と、ラーメンを?)
(……正気か?)
道の真ん中で会話していた二人に赤いバスが近づいてくる。
(だが、情報を引き出すには悪くない)
バスがクラクションを鳴らし止まる。
二人はヘッドライトに照らされる。雨粒が光を散らす。
「……いいだろう」
「お、マジで?ありがと」
「ただし、奢りは不要だ。借りは作らない」
「オーケーオーケー」
ヘッドライトライトから降りた光と闇のヒーローは並んで歩きだした。




