第30話 それぞれの選択
リージェンツ・パークの桜が葉桜に変わった4月半ばのロンドン。
3月いっぱいで一時休業し、残処理も一段落したカーティス探偵事務所は閑静としていた。
今度は旅立ちの為の休業。
「あ、ジーンいた」
2階から降りてきたカティサは事務所のソファでタブレット片手に座るジーンを見つけた。
彼はレフが撮影した扉の写真を見ていた。
「動画モードにしてくれてたら良かったのに」
「ごめん。私も撮影しとけば良かった」
「いいよ。カティサは無理しないで」
「そうそうジーン、給料振り込まれたの見た?」
ジーンはウィンドウを開き、銀行のサイトにアクセスした。
「入ってる」
「3月分で振り込みは当面無しだって。4月以降はどうするんだろ?」
「どうするって、手渡しに変更だよ」
「事務所休業で所長、どうやって払うの?」
ジーンは薄々気が付いていた。
Adapt英国支部が出す魔剣探索費用にはカティサの分が含まれているが、自分と所長の分はない。
AHは現代通貨が通じると思えず所持金は金塊に変える必要があるが、まだその指示はない。
マダム・ベスには事務所の家賃を払い続け維持はする。
所長は旅費をどうするつもりなのか。
確証はない。ジーンは口をつぐんだ。
ジーンは再び扉の向こうの絶景と、その上空を飛び回るドラゴンの写真を見つめる。
「動いているのを見たい」
「姉さん……来るのかな」
レフはセント・ポール大聖堂北の小さな公園、ポストマンズ・パークのベンチに一人座っていた。
バージル所長がお使いと称して渡してきたメモにあった言葉「11:00 Heroic Self-Sacrifice」
その言葉はこの公園の記念碑を意味することは分かった。しかし姉との待ち合わせ場所、という推理はレフの賭けだった。
「今はまだ待てと連絡先すら教えてくれなかった。これで来なかったら辞めるぞ所長」
「今辞められるのは困るな……」
「!」
レフが驚いて振り返ると、ベンチの真後ろにバージルが立っていた。
「しょ、所長!?」
「背後取られるたぁ、エージェントにしては甘いな?」
「くっ……」
悔しがるレフをよそに、バージルはレフの隣に座った。
「お使いは正解だ」
バージルは棒付き飴をくわえた。
「もう来てるぞ」
「え?」
レフは周囲を見回す。
奥のベンチに茶髪ボブカットと眼鏡の女性がいる。
レフは女性に視線を合わせた。
「連れてきた」
バージルの一言でレフは理解した。
ベンチから立ち上がると茶髪の女性に近づき声を掛けた。
「姉さん、お久しぶりです。心配してました」
女性は顔を上げた。
レフと同じ青い瞳の女性はふふと微笑んだ。
「心配かけてごめんなさいね。こうするしかなかったの」
当たりだった。
レフは安堵の表情を浮かべた。
「このウィッグと眼鏡、バージから借りたのよ」
「だと思った」
「探偵の基本だからな。こうして気付かれず近づくのも」
レフはまたバージルに背後を取られていた。
エレーナは再び笑い、そして立ち上がった。
「あなたに言っておきたい事があるの。人除けはしたから大丈夫よ」
エレーナはバージルの横に立つと、右手を上げ紹介するかのような仕草をした。
「バージは仲間になったわ」
「え?」
レフは姉と所長を交互に見る。
「バージ」と愛称で呼んでいる時点でいつの間にか親しくなっている。
「まあそういう事だ」
「そんな。俺達は悪の組織ですよ!何故ですか?」
「そりゃお前、金の問題よ。Adaptから金貰いながら異世界探索の方がいいからな」
「……」
「レフお前、旅費や滞在先を調べているか?考えているか?」
レフは絶句してしまった。
カローリの勅命に気が引ける思いを見透かされている。
AHへの旅はAdaptに巻き込むことを意味する。できれば自分一人で済ませたかった。
「……AdaptがAHに作った拠点を利用します」
「同じ考えだ。それで、俺はクローフィにつくことにした。拠点は前の英国支部長が整えたからな」
「いいのですか?所長は……Adaptに、いや俺達に酷い目に合わされた」
レフは俯く。
公園の木々がそよいだ。
二人の会話を黙って聞いていたエレーナが口を開いた。
「バージはそれでも、私達を選んでくれたの」
レフは顔を上げた。
バージルは飴をガリガリ噛んでいる。
「カーミニがかなりの戦力を引き抜いてしまったから、正直、今は少しでも戦力が欲しい」
「ガリェーチと戦う為、ですか?」
「そう。英国支部を取り戻す」
姉弟は素顔のまま、クローフィとプリズラクの会話をする。
「強制捜査のその日、支部に帰還するわ。そして仕掛けを起動する」
「仕掛け?」
「潜入当時聞いた話でしかないけどな。協会に攻め込まれた時の仕掛けがあるんだとよ」
バージルが代わりに答える。
飴の棒を指に挟んだままだ。
「私も知らなかったけど、仕掛けのスイッチは支部の執務室にあるみたいなの」
レフはスイッチの心当たりを考える。
思い至らない。
「ガリェーチ派と警察を消耗させ、両陣営の撤退を狙う。リョーヴァはその隙に転送装置を使って」
「クローフィ……いや、姉さんは残るのですか?」
エレーナはずれてきた眼鏡を片手で上げた。
「私のバカンスは終わりよ。決行は……4月23日」
「23日。つまりそれが、AHに行く日……」
レフは押し黙る。
バージルがエレーナのフォローに入った。
「今の支部はガリェーチが占領しクローフィは雲隠れ状態である事を警察に流した」
バージルは飴の棒を曲げ始めた。
「あとはあいつ等の都合のいいようにロンドンマラソン前までにクローフィ帰還の日を決めればいいだけだった」
飴の棒が折れた。
「はー、ようやく目途が立ったわ。お前ら姉弟どちらの立場も取ったらこの日に動くしかねえ」
携帯灰皿を取り出し飴の棒を中に入れる。
「入らねえ」
蓋が閉じず悪戦苦闘するバージル。
そんな彼を見てエレーナはふふと笑った。
「彼のコードネームはрыжий。見たままね」
ロシア語で赤毛の人物を差す言葉。
「復活させた。まー、分かりやすいだろ?」
ようやく携帯灰皿の蓋を閉めたバージルが頭を掻きながら言う。
しかしレフは戸惑った。
「これからはルィージイ呼びですか?」
「今まで通りでいい。俺は仮面は使わん」
「ではバージル所長で」
バージルは口角を上げた。
「Спасибо」
エレーナはバージルに聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で礼を述べた。
「まだ緑の捜索は続けてくれるんだな!」
事務所を訪れた大我は、ティータイム中だったジーンとカティサの輪に加わりクッキーを頬張る。
「もちのロン!状況的にAHに飛ばされた可能性が高い、が私の推理」
「ありがたやありがたや」
「こうしてティータイムを楽しめるのも今のうちだけだよ。所長の考えなら、僕らはAdapt英国支部で敵同士になる」
紅茶よりクッキーを食べるのに夢中になっていた大我の手が止まった。
「……ガリェーチを惹き付ける。あんたらの元には行かせない」
姿勢を正し大我は続ける。
「警官隊をどこまで惹き付けられるかは分からないけど」
「できるところまででいいよ」
そう言うと、ジーンはアッサムティーをすすった。
大我もカップを手にし、中の茶を眺めながらぽつりと呟く。
「あんたらに協力してる事、協会にバレたらヤバい。けど、オレは……」
一口だけ飲んで大我はカップをテーブルに置いた。
「オレは、緑を救う可能性の方を取る」
「かっこいい。正義のヒーローかっこいい」
カティサが目をキラキラさせる横でジーンは微笑んだ。
「ありがとう大我。所長の代わりに礼を言うよ」




