第28話 リンカーンズ・イン・フィールズの扉
カムデン区ホルボーンに古くからある公園、リンカーンズ・イン・フィールズ。
車を降りたレフとルッツはジーンがいるはずの公園内のカフェに向かっていた。
(オイゲン・アイゼンクランツ……)
レフは歩きながら先日のティータイム終了間際に本名を名乗ったジーンの事を思い出していた。
——近いうちにフォレント・ゲン・ファーマの工作員が僕を連れ戻しにくるだろう。
——僕は父の言いなりにはならない。
ルッツが立ち止まった。
「おイ、あれは本当にオイゲンさマなのだろうナ?」
「そうですよ」
ルッツが指差したその先。
ジーンはカフェのテラス席でカフェオレとカップケーキを堪能していた。
「遅かったね。この時間に車で南下は厳しいよ」
「車だとこんなにかかるんだな。地下鉄の方が早い」
土地勘も無くナビで最短距離を選んだルッツに言う義務もなく黙っていたレフ。
用は時間稼ぎだったわけだが、ルッツは怒りだすよりかジーンの容姿の方に関心があるようだった。
「オイゲンさマが女になっていル」
女物を纏うジーンは小柄なのもあって、一見すると女性にしか見えない。
ルッツの知るジーンはきっとスカートを履いてない姿なのだろう。
ルッツがジーンに何らかの言葉を掛ける。
ジーンが同じように返す。
(ドイツ語か?Setz dich hinは確か……)
ルッツがジーンの向かいに座った。
(座って、だ)
レフはジーンの隣に座った。
「僕は好きな格好をしてるだけだ。これは自由の象徴だ」
ルッツの視線に気が付いたからか、会話にレフも巻き込む為か、ジーンは英語で自身の女装の話から切り出した。
「父上は男らしさからの逸脱を許さない。これは僕の意に反する」
「オイゲンさマ、ご自分の立場を分かってますカ?」
「……好きでCEOの息子に生まれたんじゃない」
(好きでCEOの息子に生まれたんじゃない、か)
レフはテーブルの下でスマホを弄り検索を掛ける。
フォレント・ゲン・ファーマ。欧州大手の製薬会社で、本社はミュンヘンにある。
創業して50年ほどで、今のCEOは三代目。
(これがジーンの父親か)
CEOメッセージに黒髪オールバックの男性の写真があった。
名前はハインリヒ・アイゼンクランツ。
(製薬会社CEO……こいつがゼムリャ、なわけないか。背格好が違い過ぎる)
顔を上げ、「ハインリヒさマ」の元へ帰るようジーンを説得するルッツを見る。
「オスカーはバージルの相手をしていル。横流しの尻ぬぐいをする俺達をちょっとは気遣って欲しイ」
「……僕が横流しを止める、と言えばバージル所長から手を引くんだな?」
「ええ、約束しますヨ。ただシ、オイゲンさマが俺達と帰るのがもう一つの条件でス」
「それは飲めない」
緊迫した空気の中、カフェ手前の道で散歩中の犬軍団とその飼い主が通り過ぎる。
賑やかな彼らが去った後、ジーンは口を開いた。
「この場にいる者で勝負をしよう。まずここで異世界の扉を探す時間をくれ」
「……異世界?」
「この公園には異世界に通じる扉の噂があるんだ」
ルッツは半信半疑の顔をしている。
レフはジーンがこの公園を指定した訳を理解した。
ジーンはAH行きの別ルートを探している。
「今日中に扉を一番に発見した者の言う事を聞く。僕が先に見つけたら、もう一つの条件は却下だ」
「まさか。噂は噂でしょウ」
ルッツは笑うが、直ぐに真剣な目に戻った。
「……できない場合ハ?」
「僕はドイツへ帰る。そうでなくても横流しを止める以上この条件は君たちにとって有利なはずだ」
無茶苦茶な話だ。
しかしこう述べるからにはジーンは確信があるのだろうか?
「ルッツ、そしてレフ。いいだろうか?」
「構わない」
「了解でス。オスカーに連絡入れまス。その条件ならオスカーが途中で加わってもいいですネ?」
「もちろん」
ルッツはスマホを取り出しメッセージを打っているかのような動作をする。そしてジーンに向けてスマホを掲げてきた。
画面にはスキンヘッドことオスカーの顔が写っていた。遷移してバージルの顔も写る。
向こう側にはこちらの光景が見えているようだ。
「本当にオイゲンさマが言ったかどうかの証明でス」
「ごめんなさい所長。今は……薬は渡して」
ルッツのスマホ画面がバージルの顔で埋まった。
「気にすんな。それより面白そうな話だな」
言い終わるや否や画面は遷移し、オスカーの顔に戻った。
「Ich mache mich zusammen mit Virgil Curtis auf den Weg dorthin.」
《バージル・カーティスを連れてそちらに向かう》
「Mit der U-Bahn geht es schneller.」
《地下鉄を使った方が早いゼ》
“カティサ、今どこにいる?”
レフはカティサに向けてメッセージを打つ。
カティサが所長と一緒にいる様子がなかった。それにオスカーは所長の名だけを出した。
(所長はカティサを逃がしてる)
“マダム・ベスの家。今レイラさんに通報したとこ”
カティサの返事がきた。
“リンカーンズ・イン・フィールズのカフェに来れるか?所長達も来る”
“分かった”
“レイラさんには奴らの仲間を抑えるよう伝えてくれ”
記憶を思い出し苦しむカティサの顔が浮かんでしまった。
(ひょっとして彼女が通ってきた扉だったとしたら?)
スマホをポケットにしまった。
(扉探しの勝負なのは後で教えよう)
「カティサ・クロムには本当に連絡を取ったのだろうな?」
「ええ。取りましたし公園にも呼びました」
ジーン、レフ、バージル。そしてルッツとオスカーがカフェの前に募っている。カティサだけがいない。
カティサを逃してしまった事をオスカーはルッツに報告する。オスカーのいかつい雰囲気に通行人がよそ見しながら歩く。
「俺が逃がしたからなー」
「ちっ」
棒付き飴をくわえながらバージルは飄々とした態度を取る。
「……勝負は説明したとおりだ。扉を見つけるんだ」
「あるとは思えん。オイゲン様は何を根拠に仰っているのだ?」
「まーうちの助手達考えあるようだから聞いてやってくれ」
(オスカーを完全に手玉に取る所長、流石だ)
しかし分かったと返してきたカティサが来ないのは心配になる。
何かアクシデントがあったのだろうか。
オスカーが口火を切る。
「我々も暇ではない。カティサ・クロムは待てない。さっさと始めて欲しい」
「じゃあ、始めようか」
リンカーンズ・イン・フィールズ。
参加者5名による異世界の扉探しが始まった。
「状況的にここはヘルハウンド事件の現場だ」
園路から少し離れた場所。
茂みの前にひっそりと一輪の花が2束、添えられているのをレフは見つけた。
レフはしゃがみ、三本指で東方正教会式の祈りを捧げる。
「許してもらえるだろうか……いや、許さなくていい」
若者三人の内、一人は助かった。
しかし彼は片腕を失った事を事務所で働きだしてから知った。
「俺は罪を抱えて生きる」
「本当ですか?」
レフが振り返ると、そこにはあの赤いゴスロリ服の少女がいた。
「ヴァーミリオン……!」
「私が添えたんです。そのお花」
ヴァーミリオンは近寄ってきた。
「アーケインホロウでしか咲かないお花なんですよ」
レフの隣に同じようにしゃがみこみ、微笑みを浮かべながら振り向いた。
「扉、開けましょうか?」




