第26話 三日月の夜に帰る場所
テムズ川をくぐるシルバータウン・トンネルが無料時間帯に入った22時過ぎ、トンネル内をダークグレーの車が走っていた。
トンネルを抜け更に走らせ住宅街へ出たところで、運転席の赤毛の男が時刻を確かめる。
「ちょうど頃合いか」
車を幅寄せし、到着したメッセージを元バディに飛ばす。
すぐさま、「そのまま入って」と返ってきた。
バージルは車をいつも止めていた位置に移動させると、玄関に向かった。
「ブルーマウンテンでいい?」
レイラがコーヒーの種類を問うてきた。頷くと彼女はそのままシンクへ向かった。
仕事の疲労感を背もたれに寄せ、バージルは4年ぶりの部屋を見渡す。
いつものブルーマウンテン。
いつものソファ。
カーテンの柄が違う。
戸棚の位置が違う。
テレビが新調されている。
グリニッジのフラットに位置するレイラの家はかつて二人が共に暮らした家だった。
バージルの無頓着さはレイラが私用に入り込む形となり、いつしか公私を共にする間柄になっていた。
Adaptがバージルを狼男にするまでは。
レイラが二人分のコーヒーを持ってきた。
バージルは黙り込んだまま啜る。
レイラはL型ソファの右斜め向かいに座った。
「で、用件は何?」
レイラは戸棚の引き出しから灰皿を取り出す。かつてのバージルが使用していた陶器製の灰皿。
しかしタバコを出す気も見せないまま彼はカップをテーブルに置き、話し始めた。
「お前に謝りに来た」
「今まで無視っていた事?」
「それもあるが……」
バージルは顔を背ける。
しかしすぐに元に戻した。
「俺、Adaptに戻るわ」
レイラが理解しかねる表情をする中バージルは頭を掻き出した。
「お前への裏切り行為なのは自覚している」
そう言うとバージルはコーヒーを一気に飲み干す。
ぷはっ、と息を吐いた後、カップを置き再びレイラの方に顔を向けた。
「抱えてる案件解決するには内部に潜り込むのが手っ取り早い。それに」
バージルは視線を左手の甲に落とす。
「……狼の力を自分の物にするため、俺を改造した奴らにカチコミ掛ける」
レイラは彼の手の甲の三日月型の痣を見つめた後、コーヒーをゆっくり飲みだした。
静寂の時間。
やがてカップを置いたレイラは、冷静な目になって口を開いた。
「英国支部の強制捜査、その前に行わなければならないことよね?」
「そうだ。事務所は休業するがあいつらには部下として動いてもらう。了承は取れてる」
「本当?あんたについていくのとAdaptに加担するのとでは訳が違うのよ」
レイラは立ち上がると、バージルの右隣に座り直した。
「ねえ、背中の傷を見せてよ」
何を隠してる?とばかりにレイラが詰問する。
バージルは思わず下を向いた。
「凶器はプリズラクの注射器。犯人は隣のビル工事を知っていた人物」
レイラはバージルの腕に体を寄せる。
「あんたに最近近づいてきたロシア人、当日は病欠だった」
次に頭を持たれてきたレイラをバージルはそのまま受け止める。
「何故……庇うの?」
バージルはゆっくり顔を上げると、右に振り向きレイラを見た。
レイラは上体を起こした。
彼女の視線が真っ直ぐ飛んでくる。
「そうだな」
右手をゆっくり上げ、レイラの頬に触れる。
「あいつもAdaptに……」
バージルの指が頬の傷を優しく撫でる。
「人生を滅茶苦茶にされたからだ」
レイラの瞳に涙が溜まる。
逸らされてばかりだったバージルの瞳が今やレイラの瞳を真っ直ぐ見つめてくる。
「あんたらしいわ」
レイラは微笑むと、バージルの無精ひげに手を添え撫で返した。
レイラの親指がバージルの唇に触れる。
「……怖くは、ないのか?」
「今日は満月じゃないじゃない」
バージルはレイラの顎をぐいと持ち上げ顔を寄せる。
二人の唇と唇が重なった。
レイラの瞳に溜まっていた涙が頬を伝う。
涙が床にこぼれ落ちるとほぼ同時に、二人は唇を離した。
「謝りに来たんじゃなかったの?」
「そうだったな」
レイラは再び微笑むと、バージルのネクタイを引っ張った。
「今夜は帰さない」
雲の合間から三日月が姿を現す。しかしすぐに厚い雲へ隠れた。
爆音を轟かせたバイクがストリートを走り抜ける。
煩い音が響き、少し経って静寂が訪れた。
再び雲間から三日月が覗く。
流れる雲が月光を薄めていきやがて完全に覆い隠した。
「あんたのお母さんからまた連絡きた。お父さんの体調の話だった」
タバコに点火しベッドにもたれるバージルを横目に、隣で寝そべるレイラは一人呟く。
情を交わした二人は着替えもそのままにピロートークをしていた。
「それでも……帰れないの?」
レイラの問いにバージルは煙を吐いて、それから答えた。
「俺は人狼の子孫だ。多分親父の血だ」
バージルは自身の赤い髪の毛を触った。
「Adaptに狙われず……最期まで人間でいさせたい」
サイドテーブルに置かれた避妊具の箱が目に入る。
バージルは何も言わず俯いた。
「……出世も望まず、ずっと町のお巡りさんでいた親父をつまらねえと思っていた」
「うん」
バージルの身の上話。以前聞いた話だったが、レイラはそのまま頷いた。
「だから、刑事になった。俺は派手にやってやると」
「ドラマの見過ぎ。でも、あんたらしいよ」
タバコを灰皿に押し付けて消火した。
「今は親父を尊敬している。安全と家族を優先した親父を」
レイラはバージルを抱きしめた。
バージルの体が震えているのが分かる。
「化け物として見られるのが怖かった。お前にも、あいつらにも……」
バージルは抱きしめ返した。
「あいつらに殺されても構わなかった。それ以上に自分が怖かった」
レイラの肩がバージルの顔から垂れた雫で濡れる。
バージルは嗚咽していた。
「レイ……こんなことお前にしか言えねえ」
レイラはバージルの背中の傷に触れる。まだ盛り上がっているテーピングされた傷跡。
「一番言いたい事、それだったのね」
レイラはバージルの傷を優しく撫でた。
「助手達は……レフも含めてあんたを生かした」
それからバージルを横に寝かせた。
「何も考えなくていい。今日はもう寝なさい」
同時刻。
Adapt英国支部。
会議室の支部長席に座った長髪の男はプロジェクターでバーンブレイカーとヘルハウンドの戦いを見ていた。
「これがヘルハウンド事件の顛末です。浄化の風を使った少女の名前はカティサ・クロム」
テニは唇を噛みしめる。仮にも王の娘たるクローフィを格下に見るこの男をテニは嫌っていた。
「それで、動く」
長髪の男ガリェーチ——龍 燕明はテニに背を向けたまま呟く。
「私は戦闘狂でね。協会の対応を任せられている」
支部長席が回転する。切れ長の端正な、しかし狡猾な表情を浮かべる男が姿を現す。
「一度勇者クロムと手合わせしてみたいと思っていた」
ガリェーチは口角を上げた。
「バーンブレイカーと三つ巴で戦う舞台を整えている。無駄な戦いを好まぬ支部長殿には少しお暇を頂いた」
テニは拳を握りしめた。
「勇者クロム、そしてバーンブレイカー」
ガリェーチは両手を組んだ。
椅子がギシっと鳴った。
「会えるのを楽しみにしているよ」




