第20話 大時鐘は静寂をもたらす
野次馬でごったがえすビッグ・ベンの真下でロンドン警視庁が規制線を張り出す。
時計塔の意匠に止まる悪魔のような怪人は、ゴシック建築に相応しいガーゴイルそのものだった。
「近づけなーい!」
ウエストミンスター橋を渡ったレフとカティサだったが、流石は観光地。人が多すぎて渡り切れず規制線まで近づけなかった。
「どうやら橋そのものを通行禁止にするようだ。戻るしかない」
「!何だ?」
手に何かが触れる。
思わず振り返るとカティサがじっと見つめていた。どうやら触れているのはカティサの手のようだ。
「離れないように、だよ。人が多いんだから」
二人の間を容赦なく人が通る。手と手は一旦離れる。
(迷ってる暇はない、か)
レフはその手を繋ぎ返した。
「行こう」
カティサの手を引きながらレフは周辺を見渡す。
(プリズラク用のスマホを出したいが、こうも人が多いと……)
橋を渡って来た時より人が多く走れない。
手を繋いだカティサは時折後ろを振り返っていたが、三度目の振り返りでレフの手をぎゅっと掴んだまま止まってしまった。
「喋ってる……」
知性型怪人ガーゴイル。
その声は拡声器を使ってもいないのに鮮明に聞こえてきた。
「皆さんこんにちは。ワタシはAdapt四柱クローフィの配下が一人、カーミニ。またの名を怪人ガーゴイル」
まるで心に直接語り掛けているような不思議な声音だった。
「あいつ、何しようとしているの?」
カティサの問いにレフは首を振る。
「……知らない。作戦自体を知らされてない」
バングルが振動しない。クローフィの連絡が来ない。
(大規模になる作戦はいつも事前通達してくれた姉さんが、何故……?)
避難を促す警官達の呼びかけも空しく、群衆はカーミニの語り掛けに立ち止まってしまった。
同時刻、バージルの病室。
ビッグ・ベンの異変は上階の彼の病室からもはっきり見えていた。
「見えねえ。レイラ、これ外せ」
レイラが何事かと窓際に寄る中、手錠で繋がれたバージルはベッドから動けないでいた。
「外見るだけだ」
左腕の鎖を引くバージルを黙って見つめていたレイラは、やがて無言のまま近づき解錠した。
窓際に寄ったバージルはオペラグラス片手に怪人を見る。
「こりゃ、派手にヒーローと戦う舞台を整えたもんだ」
バージルが振り返るとジーンはノートパソコンを開き、現場の生配信映像を探し当てていた。画面にはカーミニと名乗る怪人の姿と、混乱する橋の上が映っている。
「さすが俺の助手1だ」
「所長、ありがとうございます」
バージルの誉め言葉にジーンは照れくさそうに礼を返す。
(あんた、変わってないね……)
自分とジーンの空気を変えてくれた彼にレイラは安堵する。
表情を悟られないよう目線をノートパソコンに変える。
「橋は封鎖途中か。あれ?このポニーテールはカティサじゃないか?」
レイラがノートパソコンの画面を指差す。配信者のカメラは雑踏最中のウエストミンスター橋を映し出していた。
「うわ、マジでカティサだわ」
「レフもいますね……あっ!」
ジーン達の見ている生配信動画が旋回し始める。
「これはヤバい」という声と共に配信者が走り出す。
バージルは再び外を見た。
上空に浮かぶカーミニ。その指先に巨大な黒い球体が出現していた。
「凄いでしょう。これ、魔法なんですよ」
カーミニが喋っている間にも指先の球体は少しづつ大きくなっていく。
「魔法を使いたいならですね、人は進化しないといけないのです」
黒球からパチパチとはじける音がする。
パトカーのサイレン音をも凌駕する不穏なパチパチ音。
誰もが息を飲み空を見上げていた。
「まずい。逃げろ」
レフはカティサの手を引く。しかし将棋倒しが起きそうな人混みの中進もうにも進めない。
「無理だこれえ」
カティサの悲鳴も空しく上空からカーミニの詠唱が響く。
「時を刻む針は止まり、命を刻む針も止まる。大時鐘よ静寂をもたらせ」
ビッグ・ベンが午後3時15分のチャイムを鳴らす。
同時に巨大な黒球から小さな黒球が無数に飛び出てきた。
「キャアア!」
黒球に当たった女性が驚愕の表情のまま石になる。
「あ」
スマホから顔を上げた若者がカーミニに視線を向けたまま石になる。
「逃げ……」
避難を促した警官がポーズもそのままに石へと変わる。
黒球に当たった者達が次々石へと変わっていく。
レフは咄嗟にカティサを庇い、地面へ伏せた。
「ダメ!あなたが!」
レフの左腕のバングルがうねりだす。
それはやがて銀色の傘になると、レフとカティサをすっぽり覆う。
「まーくん!」
「あの時のうねうね!」
雨のように降りそそぐ黒球を、傘となったまーくんが受け流す。
しかし衝撃までは受け流されなかった。
「ぐ……」
レフの背中が何度も何度も打たれる。
「レフ!しっかり!」
下のカティサがレフの体を支える。背中からドンという響きがしてレフの意識は飛んだ。
「静かになりましたね」
カーミニは呟いた。ビッグ・ベンを中心に石化した人々の像の羅列。わずかな生存者が倒れた像の下で呻いていた。
パトカーのサイレンは鳴り止んでいた。乗り込もうとした姿勢のまま石化した警官。開いたドアの奥にいた子供はそんな彼をじっと見つめていた。
黒球はウエストミンスター宮殿にも衝突しており灰色に変わった痕ができていた。
テムズ川の対岸まで橋の上に石像が立ち並ぶ。
午後3時30分のチャイムが鳴った。
「レフ……レフ!起きて!」
レフが意識を取り戻した時、彼の体はカティサに身を預ける形になっていた。
慌てて体を起こす。背中からパラパラと石の破片がこぼれ落ちる。
「まーくんが守ってくれたのか……」
レフは肩口から背中のまーくんに手を伸ばす。
しかしいつもの反応がない。石の色から銀色に戻らない。
「そんな……嘘だろ……!」
まーくんはレフの背中で石化していた。
一部はさっきの起き上がりで砕け散っていた。
「まーくんって呼んでたけど、これスライム?」
レフはカティサの質問に答えない。
もう一度問いかけようとして止めた。レフのこんなに傷ついた顔を見た事がない。
起き上がったカティサは怒りを胸に上空のカーミニを睨んだ。
「降りて来なさいよ、卑怯者おー!」
カティサが叫んだその時だった。
カーミニに矢印状の板のようなものが飛んでいった。
「何ですか?これは」
カーミニの胸に矢印がへばりつく。矢印は下を向いていた。
次の瞬間、カーミニは下に引っ張られるかのように体が伸びだした。
「ぐ、ごぼ!ぎゅうっ!」
苦悶の声を上げた彼は伸びた体のまま垂直に落下していった。
「ヒーロー?バーンブレイカーじゃなさげ?」
カティサはカーミニを倒したヒーローを探しキョロキョロする。
カティサの近くにいた生存者が一点を見つめていた。
カティサも同じ方向を見る。
少女が空に浮かんでいた。
「魔法少女シアンでーす!宜しくね!」
黒髪に青メッシュの入ったツインテールの少女が、上に向いた矢印を背にホバーボードの上で堂々とポーズを決めていた。




