第16話 Adaptの王
コツ、コツ。カツカツ。
仮面の姉弟は王の間に続く長い廊下を歩く。
姉から置いていけと言われたが、まーくんは篭手にして連れてきている。
ヴィーちゃんは自宅で留守番だ。
「……勇者クロムは捕らえなくて本当に良かったのですか?」
プリズラクは疑問を口に出す。カローリの因縁の相手。
それにこの間にも逃げ出していたらどうするのか。
コツ。
プリズラクの前を歩いていた幹部クローフィの歩みが止まる。
振り返った彼女は弟の全身を下から上へ観察するように眺めた後、やがて口を開いた。
「逃げないわ。バージルとの絆を利用した任務だったもの。それに」
クローフィは前を向いた。
「仲間になったあなたがいれば掌握したも同然なの」
歩みを再開する。
一歩一歩進むたびに空気が淀んでいく。
理由は分かっている。これからどんどん酷くなる。
二人の前に壁が現れる。
レベル7エリア。Adapt本部最深部。
この先に、“王”はいる。
「仮面を確認しなさい。この先は瘴気が充満しているから」
クローフィは扉の前で合言葉を述べる。
壁としか見えない扉が音も無く割れるように開いた。
「耐えるのよ」
扉の先に廊下はまだ続いていた。
瘴気で紫色に染まった廊下が。
篭手がぎゅっとしまった。
「はぁ、はぁ……」
どんよりと漂う紫色の瘴気。仮面越しなのに肺が焼けるように痛い。
瘴気の吹き溜まりに足を突っ込むたび、靴底の焦げるような臭いがする。
プリズラクの呼吸が荒くなっていく。
改造人間を作る組織のエージェントにして彼は生身だった。施術に耐えられないと判断されたからだ。
――魔王の瘴気に耐えられない。
「姉さ……クローフィ。少し……休ませてください」
かがんで腿に手を突く。
仮面の中が汗ばんでいる。しかし外せばもっと酷いことになるので外せない。
プリズラクの前を歩いていたクローフィが立ち止まり振り返る。
彼女は無言のまま弟を見る。プリズラクの荒い呼吸が廊下に響く。
「……本当にいいのね?」
父親と会う。ただそれだけなのに近づけない。
しかし姉に無理は掛けられない。
上体を起こし、いつものように返答をする。
「問題無いです。クローフィ」
コツ、コツ。カツ……カツ。
変わらぬクローフィのヒール音と、不規則になってしまったプリズラクのブーツの足音。
足音は最後の扉の前で止まる。
王の間の扉。
クローフィが扉から飛び出ている半球に手を当てる。
「クローフィ及びプリズラク、到着しました。お通し願います、お父様」
半球が光る。クローフィが手を離すと左右にゆっくりと扉が動き出した。
胃液がこみあげてきたのを姉には黙っておく。
王の間。
瘴気で紫に染まった空間。
最奥に位置する漆黒の玉座から青い光の筋が伸びていた。
その筋と繋がるかのような黒衣を纏う男が一人。
フョードル・イワノヴィッチ・アレニエフ。
転送装置の開発者として知られるロシア人科学者。
クローフィことエレーナと、プリズラクことレフの父。
目は赤く虚ろ。だが理知的な顔立ち。
レフと同じ髪色。昔は下げていた前髪を今は上げている。
そして身体から湧き上がり渦巻くどす黒い瘴気。
(吐き気がする……)
プリズラクは必死で吐きそうになるのを抑え跪く。
中身はかつての優しい父ではない。異世界の勇者クロムが戦ったとされる「魔王」が父の体を使っている。
父を乗っ取った魔王は47を占領し、母の研究所を奪い抵抗した母を消し……
篭手がぶるぶる震える。
まーくんのおかげで意識が戻る。だがしかし悔しさと吐き気で既に限界に近い。
「カローリ……お父様、お久しゅうございます」
プリズラクの横で跪いていたクローフィが頭を垂れる。
姉に倣う。戻さないよう必死で噛みしめ、耐えろ耐えろと願掛けする。
玉座のカローリが口を開いた。
「面を上げよ、我が子達」
面を上げる。
ピーという耳鳴りが始まる。
心拍数が上がる。
「勇者クロム発見の報、しかと聞いた」
「はい。お父様」
(父さんの子であってお前の子じゃない……)
カローリとクローフィの会話を前にプリズラクは必死で耐える。
クローフィがプロジェクターにカティサの姿を映し出す。
灰かぶりの町を浄化する姿に猫を捕まえようと呼び込んでいる姿、そしてカーティス探偵事務所で黄金色に光り輝く姿まで。
「レフ」が撮った金髪ポニーテールの元気な娘の姿をカローリはじっと見ていた。
「浄化の風、白蓮の風を使用したのを確認しています。しかしながら勇者としての記憶は欠損しておりカローリへの敵対反応も見られません」
「……幼い。クロムはもっと険しい目つきをしていた。幾つだ?」
「推定年齢17~18歳です。カローリが交戦した当時のクロムの年齢です」
「13年……」
カローリは呟く。
「時は残酷なものだな、勇者クロム」
魔王と勇者クロムの戦いは13年前。
どうして年齢が合わないのかプリズラクも疑問に思っているが、どす黒い瘴気に喉まで焼けるようで聞くどころではない。
「現在彼女はカティサ・クロムと名乗っております」
「カティサ。ふむ……」
カローリは指にはめていた指輪をひねる。するとカティサの笑顔の横に新たな映像が出てきた。
洞窟、神殿、遺跡、城、花畑、大樹。
映し出された全ての場所に同じ紋章が描かれていた。
「この紋章はアーケインホロウ……A.Hにてクロムが施した封印だ」
カローリがプリズラクの方を見る。
プリズラクは動悸の凄まじさに襲われる。
「は……い……」
発汗が止まらない。
「魔王の剣たる魔剣は主が手にする前に……クロムによって封印されてしまった」
(何でも言う事を聞く。早く終わらせてくれ)
プリズラクの苦痛に頭痛が加わっていた。
瘴気が今まで以上に増した。
「プリズラクよ。カティサ・クロムを連れA.Hの6封印を解除せよ」
(今……何と言った?カティサを……連れる?)
カローリはプリズラクの様子も構わず続ける。
「そして魔剣を手に入れるのだ」
プリズラクは瘴気で回らない頭のまま混乱する。
(アーケインホロウ。姉さんの部隊は異世界調査を主任務とする。でもまだ行った事ない。そこへカティサを連れていく?カティサの封印を解かして?)
クローフィがそっとプリズラクの背に手を添えた。倒れないようにと気遣う姉の手。
プリズラクはめまいに襲われていた。判断を下す余裕がない。
「承知いたしました。カローリ」
カローリはニヤリと笑った。
「期待しているぞ」
クローフィに付き添われ、プリズラクは王の間を出る。
扉が閉まる寸前に後ろから声が掛かった。
「……リョーヴァ、いい加減父さんと呼んでくれないか?」
プリズラクは仮面を抑えた。
胃がもう限界だった。
「うげっ、げろろ……」
扉が閉まると同時に仮面を強引に引き剥がしたレフは、そのまま壁にもたれ嘔吐する。
胃の中のものが全部出てくる。
数時間前に食べた姉の料理まで。
仮面を取り姉に戻ったエレーナがレフの背中をさすっていた。
エレーナは何も言わず、ただ視線を落とし弟をさすり続けていた。
13年前、父が変わってからずっと繰り返されてきたこと。
『お前は違う……返せ……』
篭手もさするように動き出す中、ひとしきり吐いたレフは憎しみに襲われていた。
『父さんを返せ……』
レフは顔を上げた。頬を涙が伝う。
涙が地面に落ちた時、青い目が憤怒の光を帯びた。
『魔王!』




