第15話 姉さんの手料理
エレーナは茹でたペリメニを鍋からすくい上げ、レフは黒パンを切り分ける。
ヴィーちゃんはテーブルを拭き、まーくんは皿を用意している。
ロシアの昼食は3食の内で最もボリューミーだ。テーブルが鮮やかになっていく。
赤いボルシチ、紫のヴィネグレット(ビーツのサラダ)、黒パン、白いペリメニ(水餃子)、鮮やかな赤のモルス(ベリードリンク)
ビーツとディルの香りが部屋中を漂う。レフは思わず鼻腔を鳴らした。
『ペリメニは冷凍よ』
エレーナは笑うが、市販品といえどいつも食べていたものは懐かしさを感じる。
配膳の湯気で暖まりながら姉弟と双子のスライムは着席し、祈りを捧げてから食事を開始した。
『ちゃんと食べてる?』
レフがまーくんと一緒に黒パンの香りを堪能してから食べているのを見てエレーナは弟を気遣う。
『問題ありません、クローフィ』
『今はエレーナ、よ』
互いに仮面を付けている時は上司と部下、逆に外した時は姉弟として接する、そういう取り決めだった。
レフは荷物と共に自室に仮面を置いた一方、エレーナは脇に置いている。
(常に”幹部クローフィ”へ戻れるようにしている。これは姉さんの経験則なんだろうな)
レフは努めて明るく振舞った。
『食べてるよ!黒パン久しぶりなんだ。ペリメニも、姉さんの手料理も……懐かしくて』
エレーナはふふと笑う。
『子供の頃もそうやって嗅いでたの思い出した』
『ボルシチで火傷しないでね』
ボルシチを一杯食べて熱!となったところでエレーナのツッコミが入る。
そうだ慌てて食べて火傷したんだった。
スプーンにすくったボルシチを吹いて冷まし口にする。
「Вкусно」《おいしい》
「Спасибо」《ありがとう》
『……あの時はお母さんが大騒ぎだったね』
エレーナは在りし日の母の姿を思い出す。
語りを続けようとしたが、弟の顔が暗くなったのを見て止める。
ボルシチを再びすすり、それから顔を上げた。
『勇者クロム。どうだった?』
『あの力は危険、という認識は今も変わらない』
『そうじゃなくて』
エレーナは苦笑いする。
『リョーヴァはカティサをどう思っているの?』
レフは言葉に詰まった。
姉に悟られている。
でも自分でも何故彼女に惹かれているのだろう。
『あの娘の眼が印象的だった。それに……仮面の俺を見ても怖がらなかった』
エレーナはモルスを飲んで、それから微笑んだ。
『あなたが誰かの話をこうして語ってくれるなんてね』
顔の火照りを感じた。多分真っ赤になってるかもしれない。
誤魔化すようにペリメニを口に放り込んだ。
『バイト、楽しかった?』
エレーナは畳みかけてくる。弟と同じくペリメニを口に入れる。
スライム用に用意されたペリメニ皿からヴィーちゃんがペリメニを食べると、まーくんも食べだした。
『探偵事務所?』
『そ』
『……仕事の成り行きでバージルにハメられたようなものだ』
レフはモルスをぐい、と飲んだ。
そして一呼吸置き呟いた。
『猫を探して客に引き渡した時の安堵の表情。正直……悪くはなかった』
レフは饒舌になっていく。
『カティサはフィギュアコレクション第2弾もコンプ予定だとか、ジーンは所長の身なりの無頓着さとカティサのだらしなさに苦労してるとか、所長は猫撫でたくて仕方ないとか……』
エレーナは微笑みながら聞いていた。
『あっ、いやちゃんと取れる情報は取っている』
『そう。良かった』
エレーナはヴィネグレットをつつきながら再び微笑んだ。
『命令違反は責めないのか』
『ん?』
『バージルを戻した事』
レフはスプーンを置いて神妙に聞く。
エレーナは黒パンを割く手を止めた。
『よりにもよってターゲットであるバージルから庇われ、離脱タイミングを失い正体を知られ敵に従う……』
レフはうつむいた。支部で報告した時と同じフレーズが繰り返されている。
まーくんがエレーナに近づこうとしてヴィーちゃんに窘められる。
『失態です』
『……ここは責める場ではないのよ。私も、クローフィに戻りかけていた』
エレーナは視線を落とし、ヴィーちゃんとまーくんが喧噪になりかかっているのを止めに入る。
『あなたが元に戻す判断をした理由、それはあなたにとって大事な事よ』
スライム達を手で遮りながら続ける。
『私はクローフィとして冷酷な判断をしながらも、姉としてそれだけは……Adaptに染まらず失って欲しくないと思っている』
レフは「それ」を上手く言語化できなかった。
ただ、親代わりの姉が見抜く自分の本質なのは分かった。
その後二人は『大学どう?』『話通り留学生が多い』と大学の話をしながら食事を続け、食べ終わる頃に再びエレーナが口を開いた。
『カローリに会うの怖い?』
夕刻、日の入りを過ぎれば謁見の時間。
『怖くない』
『嘘ね』
エレーナは脇に置いていた仮面に手をつき、ぽつりと言った。
『リョーヴァ、あなたの思いをカローリに絶対に悟られてはダメ』
分かっている。
あれは得体のしれない存在。
『「魔王」はね』
エレーナは考え事をするかのように瞼を閉じて、それからゆっくり開いた。
『“希望を捨てきれない人間”を好むの』
皿を姉と共に片付け食器洗浄機に入れた後、レフは自室に戻る。
ロンドンより緯度の高いここは今の時期、日の入りは早いため部屋が既に薄暗い。
電気を付ける。子供の頃からほぼ変わらないインテリアがそこにある。
成長に合わせて調整できる勉強机、図鑑と漫画に専門書が挟まる本棚、クローゼットとシングルベッド。
(ろくに通えなかったからこの机で補習ばかりだったな)
本棚から図鑑を一冊引き抜き机の椅子に腰かける。
レフの頭に乗っていたまーくんが慣れたようにレフの膝に乗る。
めくると太陽系の解説ページが出てきた。天体の図鑑だった。
(父さんや母さんのような科学者になりたかった。二人が量子力学と生命工学の学者なら、僕は天文学者だと思ってた)
机の上に置きっぱなしだったユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのパンフレットを手に取る。
(今はUCLで進化生物学の事を学んでいる。先の事は分からないな)
カティサのメッセージをようやく見る。通知を切っていたので未読も構わず送って来てたのを今になって知る。
事件は通りすがりのウェアウルフのせいという事になっていた。
事務所はバージルが復帰するまで休業中だが、事件を知り連絡してきた大我に報告を行い契約更新を取り付けたらしい。
(境井 緑の捜索は長期になると事前通達済だが、大我はまだ事務所を拠り所にしてるのか)
レフはスマホをスワイプし文字を打つ。
”実家帰省中。営業再開の目途が立ち次第出勤する”
一言だけ返した。
(カティサの居場所はあっても、俺の居場所があるとは限らない)
(ただ話はつけなければならない。そしてこれは、カローリも同じ)
リビングに出たレフは写真立てを見つめる。
写真立てを取ろうとして一瞬止まる。
(これが見れなくてどうするんだ?俺)
ワンテンポ置いて手に取った。
『今からあなたに会いに行きます……父さん』
Adaptの首領、コードネーム王。
組織が勇者クロムを探し、異世界調査も行う全ての理由。
アルハンゲリスク47をAdaptへと変えた全ての元凶。
13年前、転送装置から現れた「異世界アーケインホロウの魔王」を名乗る存在。
“彼”はレフの父フョードル博士を依代として選んだ。




