第14話 帰郷
カーティス探偵事務所襲撃事件から2日後。
先に退院したカティサはバージル所長の病室を訪ねた。
人の姿に戻った所長はベッドで横向きのまま眠っていた。
“退院した。骨は折れてなかった”
“所長は爆睡してる。手錠かけられてる”
ベッドの横に座ったカティサはメッセンジャーを弄り、レフに向けてメッセージを飛ばした。
あの日レフは割れた仮面の奥で目を伏せて、ばつが悪そうに去っていった。
それから会ってない。
怒らないから返事欲しい、と書いた前のメッセージも未読のままだった。
「約束なんだ。バージルが再び狼男になったら警察が身柄を拘束すると」
病院のロビーでレイラはカティサとジーンに告げた。
「警察の面子ってやつさ。潜入捜査で拉致され怪人化なんて公表できないからね」
「そんな……」
「バージルも了承しているんだよ」
カティサは俯く。ただ、「怪人ウェアウルフに襲われバージルとカティサが負傷、警察が駆けつける前にウェアウルフは逃亡し現在行方不明」という半分真実半分嘘の口合わせに乗ったのも事実だ。
フラットオーナーのマダムに窓ガラス割ったやらかしを説明できそうにない。
「世間と協会のおもちゃにされたくはないね……」
レイラはタンブラーのコーヒーを飲む。
スマホ片手に2人の話をじっと聞いていたジーンは、顔を上げると静かにまくしたてた。
「所長を返して欲しい。罪は問えないはずだ。僕の提出した薬と逆位相データは強制進化からの回復を証明できる。役に立つはずだ」
レイラはタンブラーを置くと諭すように返答した。
「バージルの様子と協会の動向を見て、それから釈放になるだろうね」
それからふっと笑みを浮かべてこう言った。
「……大丈夫だよ。あんたたちの居場所は私が守る」
一方その頃。
レフはAdapt英国支部にある転送装置の前にいた。隣にはクローフィ。
勇者クロム確定の報告を受けたクローフィは、組織の首領である王に姉弟共々報告へ行く事を述べた。
『この仮面は嫌だ……』
今のレフが手にしている予備の仮面は罪悪感を抑制する効果がある。人を殺める事に抵抗のある弟の為に姉が用意したもの。
罪の意識が軽くなっても、外すとめまいがするので嫌だった。
しかし生身で“あれ”に会うのはもっと危険なので被らざるをえない。
『修復中だから我慢しなさい』
姉弟ながら仮面時は英語だが、今回はロシア語を許可していた。
普段目元だけを覆うクローフィは今回セパレートの下顎部分もはめ込んでいる。顔全てを覆った仮面は彼女の正装である。
肩には相棒のスライム、ヴィーちゃんが乗っていた。体の一部が仮面に伸びている。
彼女は転送装置に入り、弟プリズラクが来るのを待っている。
転送装置は外見だけなら円筒状のエレベーターだ。だがボタンを押せば天井と床が光り、内部のものを同型の転送装置に飛ばす。
英国支部にあるこれは人体実験を経て乗用の安全性が証明されたものだ。
『お父様が作った転送装置……倫理を越えたAdaptでなければ乗用開発はもっと時間が掛かったことでしょう』
クローフィはコントロールパネルを撫でる。
弟の方を見ると、彼はようやく仮面を被っていた。
ヴィーちゃんと双子であるまーくんが同じく自身と仮面を接続させると、プリズラクとなったレフは転送装置への階段を昇ってきた。
『……カローリに言いたい事は直接伝えなさい』
クローフィは弟の入室次第コントロールパネルを操作した。転送装置が閉まる。
次に天井と床が光る。何度かチカチカして、最後にプシューという音がした。
『久々の里帰りね』
Adapt本部。
それはロシアに存在しながら、世間には存在しないことになっている「地図に載らない町」にあった。
旧ソ連時代から続く閉鎖都市。
1992年に解体済として処理され今や記録にも残ってない――
アルハンゲリスク47。
ここはレフの故郷だ。
『やっぱりロンドンとは空気が違うね』
姉が本部職員と言葉を交わしている間、まーくんとプリズラクは周囲を見渡す。室内ながら空気がひんやりしている。
『悪の組織の根城だからな。13年前、この町をAdaptが乗っ取って……変えてしまった』
政府とは密約が交わされた。表向き非公認、裏では軍事利用データ取引。
アルハンゲリスク47丸ごとがAdaptであり住民はAdaptの一員である。
『謁見は夕方になったわ。時間があるので一旦家に帰りましょう』
クローフィが防寒具一式を渡してきた。
外へ出るなら防寒なしでは凍える。ブーツも寒冷地用に変更する。
仮面を外しバラクラバを装着する。まーくんの温度調整と二重の意味で金属製仮面の凍傷リスクを防ぐ。
まーくんにも毛糸の帽子を被せてあげた。母の技術の粋とはいえ彼も極寒では体が硬くなってしまう。
外に出る。辺り一面真っ白だが降ってはいない。
除雪された道を家のあるD棟に向かって進む。
人影はない。時折、雪煙を巻き上げながら軍用車だけが走り去っていく。
途中でスーパーに寄った。昼食に姉がボルシチを作るという。
品数は少ない。配給じみた最低限の並びは子供の頃から変わらなかった。
会計をする。店長がすっとんできた。ただの買い物である事を述べると彼は安堵の表情を浮かべた。
『……外した方が良かったかもね』
クローフィは仮面の下で苦笑いした。
D棟の前では子供達が雪遊びをしていた。奥の雪山は彼らぐらいの頃よく遊んだ場所だ。
仮面姉弟と同じく科学者を親に持つ子供。
住民の内訳は科学者とその関係者――及び実験体として連れてこられた者のみ。
「Я дома!」
《ただいま》
電子錠を外し家の扉を開ける。中は暗くて少し埃臭かった。
町がAdaptとなるまで両親と姉の4人で暮らした家。今は姉と2人だけの家。
『……父さん、今はこっちの家は見向きもしない』
『仕方ないわ。偉くなってしまったもの』
防寒具と仮面を脱ぎ「エレーナ」に戻った姉はエプロンを装着していた。ヴィーちゃんも揃いのエプロンをしている。
『ご飯できるまで掃除をお願い』
同じく「レフ」に戻るとまーくんと一緒に掃除を始める。
掃除機を掛けながらふと戸棚に置かれている写真立てが目に入った。
レフ6歳の誕生日に撮った家族写真。
英語で「Happy 6th Birthday Lev」と書かれたケーキ。
母アレクサンドラからプレゼントされたまーくんを嬉しそうに抱えた自分。
家族を穏やかに見守る父フョードルと、当時10歳の姉エレーナ。
『……まーくんがロウソクの火を代わりに消して家族みんなで大笑いしたんだったな』
一生懸命掃除する相棒を横目に微笑む。
『あの頃は母さんがまだ生きていた……』
写真立てを手に取った。
――私の邪魔をするな。
母との思い出に浸ろうとしたレフを、6歳のあの日からまもなく訪れた悲劇の記憶が襲う。
――パーパやめて!マーマ、マーマ!
レフの目線は写真の父一点に集中する。
『黒い霧に包まれた父さんが手を伸ばした。母さんに闇が巻きついて、 ピンクに光って、それから……』
ちょん。
いつの間にかまーくんが肩に乗り、レフの頬をつついていた。
過呼吸を起こしていた。写真立ては涙で濡れていた。
『ごめん、まーくん……』
胸に手をあて呼吸を整える。自分の頬と写真立てを拭い元に戻した。
『できたわよ』
ビーツの香りに乗るかのように、ダイニングから姉の声が響いた。




