第13話 仮面の境界線
ピィィ――――ン。
どこからともなく音が聞こえた。
まるで糸を張り詰めたかのような。
嫌な音。
カティサが思ったと同時にバージルの右腕が突然横方向に動いた。
カティサはモップでガードするが道路向いまで弾き飛ばされた。
モップの柄が割れて転がる。
「なん……だ……これ……」
所長のものではない低くくぐもった声。
でもその声には意思を感じさせるものがあった。
「所長……所長なんだよね?」
カティサは寝転がったまま所長に問う。体にまとっていた黄金色のオーラは消えていた。
切った唇から血を流し片腕を抑えながらカティサは立ち上がる。
バージルは左手で右手首を抑えている。
右上腕が手の動きと反するように動く。左手で抑え込まれたまま右手はぶるぶる震えている。
足は上げる動作と下げる動作をしきりに繰り返している。
歯ぎしりをしながらうなり声をずっと上げ続けている。明らかに挙動がおかしい。
まるで他人に体を奪われているかのようだ。
(ひょっとして抵抗しているの……?)
上下を繰り返していた足の動作はやがてゆったりとした歩調になる。
すり足状態で少しづつ。
「待て……動くな……」
バージルから再び声。
カティサは赤毛の狼男を見据える。所長は中にいる。
――私の顔を見られないバージルが、あんた達がそばにいるのを許す理由は何だと思う?
最初は嫌がってた。でも居場所をくれた。
――あいつの助手の条件は、まず自分に利益をもたらす者。
「最初に思い出した『カティサ』と次の『クロム』を手掛かりにしろ」で私はカティサ・クロムとなった。所長はクロムの方を気にしていた。
――そして救済の力を持つ者。
私の恩人なんだ。絶対に見捨てない。
レイラ刑事の言葉を思い出しながらカティサは拳に力を籠める。
「ジーン!私は何をすればいい!」
「カティサ!そのまま所長を引き付けて!暴れてたらダメなんだ」
プリズラクが注射器から逆位相データを取っている間、バージルを止めるタイミングを計っていたジーンはカティサに返答する。
「所長がいつも飲んでる薬あるだろ!人狼化抑制薬、これと進化薬の逆位相データを組み合わせて楔を作る。所長にぶつけて動きを止めるんだ!」
プリズラクのランスは現在ジーンのノートパソコンと繋がっている。ランスを弄っておりデータ抽出作業は時間が掛かっているようだ。
データ抽出後それをパソコンで加工しランスにアップロードする。
あとは抑制薬とプリズラクの持っていた進化薬の予備をランスに入れ、攪拌すれば楔の完成となる。
「1分だ。攪拌して1分以内に打たなければ所長の体に変異が生じてしまう可能性が高い」
ジーンは自分のパソコンのキーを叩きながら述べる。
「……踏み込むタイミングが重要だな」
ジーンはプリズラクのつぶやきに頷くと、次にカティサに呼びかける。
「できたら合図する。それまでもって!」
「分かった」
カティサは撒いていたマフラーを手に取った。
そしてバージルを誘導すべく彼に歩み寄る。
もう一度ピ――ンという音が鳴ると、今度はバージルの左手が地面を殴りつけた。
轟音と共にアスファルトが飛び、道路がえぐられた。
「カ……ティサ……」
バージルは息を切らしつつ、その目はカティサを真っ直ぐ見ていた。
「所長……」
カティサも見つめ返す。
「今からあなたを……助手一同で助けます」
マフラーを垂らす。
バージルの動きがふっと止まった。腕も下がった。
荒い息を繰り返している。目は穏やかな瞳だった。
「お前らに……託す……」
バージルはうなだれた。どこからともなく冷気が流れた。
「俺と」
赤毛が一斉に逆立った。
バージルは面を上げた。
「戦え」
ピィィィ――――ン!
その目からは先程の穏やかさが消失していた。
瞳孔が縦に長細くなっていた。それは獲物を狙う獣そのものだった。
殺気。
タッ!
バージルは跳躍した。
直線の動き。カティサは横に飛ぶ。
轟音が響き、さっきまでカティサがいた場所に大穴が開いた。
ギャアアアアアアアアア!!!!
バージルは今までにない咆哮を上げた。
(今の所長は殺しにきてる)
バージルはカティサの回避した方に向くと、腕を上げ彼女の脳天に向かって振り下ろす。
回避する。再び腕が下ろされる。回避する。
光は消えた。手にあるのはマフラー。マタドールのように戦っている。だがそれでいい。
時間稼ぎが目的の救うための戦い。
(まだ……?)
マフラーを振り、バージルの体力消耗を狙うが光が消えた今それは甘い考えだったようだ。
カティサの息が段々荒くなっていく。
そして相手はマタドールの牛と違って“手”があった。
マフラーを掴まれたカティサは、そのまま円弧を描いて飛んでいく。
「ガフッ!」
反対側の建物に激突する。口に鉄の味が広がる。
立てない。
バージルはカティサのマフラーを持ったまま接近してくる。
――こういう時は祈るのだ。クロム。
そうだ。私はもう一人「赤毛の男」を知っている。
その人が、私に祈り方を教えてくれた。
カティサは倒れた状態で手を組む。
「勇者クロム……の多分大切な人、どうか力を貸して」
カティサは祈りを捧げる。
「清らかなる水のほとり、目覚めし白蓮の風よ。荒ぶる牙を眠りへ誘い、その魂を鎮静せよ」
バージルの周りをそよ風が流れる。
灰を浄化した時のような大きな変化はなく一見単に風がそよいでるだけのように見えた。
しかし明らかに今しがたあったはずのバージルの殺気が消えている。
「……やる……じゃねえか……」
バージルの動きが止まる。
すかさずジーンの叫び声が聞こえた。
「できた!レフ!今だ!」
ランスを構えたプリズラクが突進する。
今度は正面。
(腕がうねうねしている……あれは何?)
カティサは祈りを続けながらプリズラクの腕に覆いかぶさったうねうねが変形していくのを見る。
金属状のうねりはやがて篭手となった。篭手はランスとプリズラクの体を一体化させている。
バージルはふらふらし始めた。しかしプリズラクの姿に気が付くと一瞬だけ殺気が戻った。
バージルの右腕の振りと、プリズラクのランスが交差する。
ドスッ!
ランスがバージルに刺さった。バージルの右腕の直撃よりランスの方が早かった。
バージルは目を閉じていた。半分眠りこけているようだ。
そのまま中の液体が体に注がれる。
ランスを引き抜くと共に膝から崩れ落ちたバージルをプリズラクは正面から受け止めた。
背丈が、鉤爪の手が、毛並みが少しづつ縮んでいく。
短くなっていく鼻先からは静かな寝息が聞こえた。
「所長……重いな」
そう言ってカティサの方を振り向いたプリズラク。その仮面は半分割れていた。
額からは血が出ている。
「……フィース?」
プリズラクの仮面の下はジーンの言う通りだったはずなのにカティサは何故かその言葉が口に出た。
カティサのほんの少し真後ろで糸を垂らす少女の白い手。
ヴァーミリオンは目を細め微笑する。
「悪い狼さんを操るの、難しかったですね」
糸は段々短くなっていきやがて消える。
「禍の者。合格です。スライムさんには色々教えました」
ヴァーミリオンはスカートをたくしあげて首を垂れる。
「クロム様。そしてクロム様の運命の相手。あなた方が神秘的な洞穴にいらっしゃるのをお待ちしております」
ヴァーミリオンは路地裏へと消えた。
やがてカーティス探偵事務所に明かりがついた。




