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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
十七.策略と信義

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刺客ー①:炎の記憶――残る都

馳せる思いー迫る気配

   十七.策略と信義

 刺客


 近江路を南へ。琵琶湖を左に見やりながら進む道は、秋の気配を濃く帯びていた。湖面は穏やかに空を映し、まるで何事もなかったかのように静まり返っている。されど、道行く人々の口から漏れる言葉は、その静けさとは裏腹であった。


「羽柴が……」

「清須では……」

「次は、どこが潰れる……」


誰もが声を潜めながら、それでもなお名を口にせずにはいられぬ。その広がりこそが、力の証であった。


「……京が近づくほど、空気が重くなるように感じられまする」


蘭丸がぽつりと漏らす。


「都は常に戦の余熱を抱えておる。まして今は……」


私は言葉を切る。京は、私にとって重き地となった。信長を失うた場所。その地へ足を踏み入れることに、わずかな躊躇いが胸をよぎる。あの夜の記憶が、今にも押し寄せてくるように感じられたからである。


 山科を越え、京の町へ入ると、空気は確かに変わった。人は多く、市も立ち、往来も絶えぬ。だが、どこか張り詰めたものが町全体を覆っている。焼け落ちた後に建て直された家々の木は新しく、その色が返って生々しい。焼け跡の匂いは薄れたとはいえ、なお地に染みついて離れぬ。


「……本能寺の夜も、このような匂いがしておった」


私は足を止めた。あの夜。火の粉、叫び、鉄の打ち合う音。そして、燃え上がる伽藍。


 無意識に足が本能寺の跡へと向かう。本能寺はすでに焼け落ち、跡地は静まり返っている。瓦礫は取り払われているが、かつての威容を知る者ほど、この静けさに異様さを覚えるであろう。私はその中央に立つ。


 すると、あの夜の光景が、まざまざと蘇る。炎の中、血に濡れながらなお立ち続ける信長の姿。その眼は、最後の瞬間に至るまで曇ることはなかった。あの者は、最期まで主であり続けた。その姿が、私の中から消えたことは一度たりともない。信長の最期の言葉は、今なお私の内に残っている。


――生まれ変わったなら、農の民として……


何とも馬鹿げたことを、あの男は言うたものよ。されど、その言葉は、戦に明け暮れた生の果てにこぼれ落ちた、ひとつの真であったのかもしれぬ。


 あの時、私の脳裏には、黄金に実る稲穂の中で、握り飯を頬張る信長と私の姿が浮かんでいた。血と炎に包まれた場にあって、そのような光景を思い描くとは――我ながら、奇妙なものよ。


 だが、不思議と確信があった。我が夫もまた、同じ景色を思い描いていると。最期の瞬間、あの人は私を見て確かに、笑ったのだから。


「お方様……?」

「すまぬ……少し思い出しておった」

「……ここに立つと、あの夜のことが昨日のように感じられます」

「そうじゃな……されど、時は待たぬ。皆が忘れぬうちに、けりをつけねばならぬ」

「はっ」


私は静かに踵を返す。


「参ろう、蘭丸。次は摂津じゃ」


神に仕える男。高山右近。信長を恐れ、同時に信じた男。あの者は、情に流されず、物事を外から見る目を持っておる。果たして、何を語るであろうか。


 焼け跡を背に、私たちは再び歩みを進めた。京の空は高く澄み渡っている。されど、その下では、新たな時代の影が確かに伸び始めていた。やがて日が傾き、道が薄闇に包まれ始めた頃、ふと足を止める。


「お方様も感じておられますか」

「蘭丸、そなたもか」

「はい」

「どうやら気のせいではないようだな」


玄以の庵を出てしばらくした頃から、背にまとわりつくような視線を感じていた。振り返れば、そこにあるのは旅人か、荷を担ぐ百姓の姿ばかり。されど、その足取りには妙がある。重さを消し、間を詰め、気配を殺す。あれは、常の民の歩きではない。


「……やはり、ついて来ておりますな」


蘭丸が低く言う。

お読みいただきありがとうございます。

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