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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
十六. 重臣たちの真意

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前田玄以―③:母の決断――血の行方

託された言葉ー消えぬ疑惑

「お義母上様。私には……子らを、織田の世継ぎに立てるつもりはございません」

「……そうか」

「秀吉殿が三法師様をお立てになるのであれば、それでよいのです。これ以上、子らを争いの渦に巻き込みとうございません」


その声には、揺らぎがなかった。だが、その奥に潜む恐れは隠しきれてはおらぬ。毒もあろう、人質として奪われることもあろう、あるいは名目のために担ぎ上げられ、やがて不要となれば切り捨てられることもある。戦の世において、血とは守られるものにあらず、利用されるものでもある。


 秀吉が三法師を立てるとはいえ、そのまま織田の当主として担ぎ続けるとは思えぬ。やがて天下を己がものとする。その流れは、もはや誰の目にも明らかである。その只中へ、我が子を差し出すことを、母として望むはずもない。


「私は、いずれ母の実家筋へ身を寄せ、静かに暮らすつもりにございます」


美弥は、決意を秘めた目で私を見た。だが、その手はかすかに震えている。織田の正統な血を引く子を抱えながら、それを世より遠ざける。その決断がいかほどの重みであるか、私にも分かる。ただ、この者は、武家の理ではなく、母として語っておる。


 もし私が、信忠の子らを旗印として立てると言えば、美弥に拒む術はない。それほどまでに、この子らの血は重い。


「それが、そなたの望みであるならば……そうなさればよい」


美弥は、驚いたように私を見上げた。拒まれるものと思うておったのであろう。


「……よろしいのですか」

「織田の血が、血で争う姿を、私は見とうない。それに……相討ちにでもなれば、それこそ秀吉の思うつぼよ」


それは偽らぬ本音であった。されど同時に、胸の奥にはなお消えぬ迷いが残る。信忠の子。彼らは疑いようもなく、信長の直系。その血を、世の表から遠ざけてよいものか。


 かつて幾多の家が、正統の名のもとに争い、やがて潰えていった。その歴を思えば、血は力であると同時に、災いの種でもある。美弥の思いは分かる。賢い女だ。表に立てば、子らは「旗」となる。立たねば、命は守られる。その理を、身をもって知っておるのであろう。私が黙していると、美弥は視線を落とし、ゆっくりと口を開いた。


「義母上様は……この先、秀吉殿にお会いになられますか」

「……いずれは、会わねばなるまい」

「それならば、どうか……この思いを、秀吉殿にお伝えいただけませぬか。我らは、天下を望まぬ、と」


信長が生きておったなら、この選択をどう見たであろうか。


――裏切る者は斬ればよい。だが、去る者は放っておけ。所詮は役立たずよ――


あの言葉が、ふと脳裏に蘇る。されど、ここで去ろうとしているのは母の意であって、子らの意ではない。いずれ成長すれば、何を思うかは誰にも分からぬ。だが今は、是非を論ずるよりも、まず命を守ることが先決である。ここにもう信長はいない、それが現実。私は静かに頷いた。


「分かりました……そなたの思い、秀吉に伝えて進ぜよう」


私の言葉に、美弥は深く、深く頭を下げた。


「ありがとうございます……お義母上様」


その姿を見つめながらも、胸の内には重たいものが沈んでいた。果たして秀吉は、その言葉を言葉どおりに受け取るであろうか。あの男は情に厚き顔を見せながらも、実のところは利をもって動く。不要と見れば、情けを捨てることに躊躇いはない。


 今は幼くとも、子はやがて成長する。その時、いかなる志を抱くか分からぬ。「我こそは織田の嫡流」と名乗らぬという保証はどこにもない。戦の世においては、芽は小さきうちに摘まれるもの。それが常であった。幼子であろうと、その理から外れることはない。


 この近江の寺は、嵐の中心から距離を置いた地にある。されど、その静けさの底で、次の時代のうねりは確かに動き始めている。やがて押し寄せるであろう波は、ここをも呑み込むやもしれぬ。

お読みいただきありがとうございます。

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